スエズ戦争(読み)スエズせんそう

  • Suez War

大辞林 第三版の解説

スエズ運河の国有化をきっかけとして、1956年10月にイスラエル・英・仏とエジプトの間で勃発した戦争。第二次中東戦争。スエズ動乱。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

1956年、エジプトイスラエル、イギリス、フランスとの間に起きた戦争。第二次中東戦争ともいう。56年6月の駐留イギリス軍完全撤退に続いて、7月26日エジプトのナセル政府は、多国籍企業であるスエズ運河会社の国有化を宣言、運河地帯はエジプトの主権下に復した。当時、ナセル政府は非同盟中立主義、社会主義国との友好外交を推進、52年以来のエジプト革命は新局面を迎えていた。運河国有化のアラブ民族運動への波及効果を恐れたイギリス、フランス、イスラエル3国は対エジプト共同参戦を約束(セーブル秘密協定)、まずイスラエルが10月29日に、ついで「国際運河の安全保護」を口実とする仏が10月31日に侵攻。イスラエルはシナイ半島、英は運河地帯を占領した。だがエジプト国民の抵抗と国際世論の非難の前に占領は失敗(11月6日停戦)。結果的にこの戦争は、運河国有化を不動のものとしたエジプトが自主独立へ大きく踏み出すのを可能とした。[藤田 進]

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1956年7月,ナセル大統領のスエズ運河国有化宣言を機に,同年10月イギリス・フランス・イスラエル3国とエジプトとの間に起こった武力紛争。第2次中東戦争
国連安全保障理事会で運河の国際管理案がソ連に拒否されたのち,1956年10月29日にイスラエル軍,同30日にイギリス・フランス軍が運河地帯に出兵(スエズ出兵)し,エジプト爆撃も開始した。11月に開かれた国連緊急特別総会は,米ソ両大国の支持も得て即時停戦・撤兵を決議し,国連緊急軍を派遣した。国際世論の高まるなか,イギリス軍・フランス軍は12月までに,イスラエル軍は翌3月に撤退を余儀なくされた。

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世界大百科事典内のスエズ戦争の言及

【イギリス】より

… だが国力の衰退したイギリスの外交は,急激な植民地ナショナリズムの台頭の〈変化の風〉と米ソ両超大国のはざまで動揺する。R.A.イーデン内閣は,エジプトのスエズ運河国有化宣言に対抗して英仏共同出兵した(スエズ戦争)が,スターリングの急落と冷戦の激化を恐れるアメリカの外交圧力で,イギリス帝国主義の最後の抵抗は挫折した。新首相M.H.マクミランの柔軟な対応により危機は回避され,保守党は〈平和と繁栄〉を公約して59年の総選挙で戦後最大の多数を得た。…

【中東戦争】より

…イスラエルはティラン海峡通過を認められることになった。一般にはスエズ戦争またはスエズ動乱と呼ばれ,イスラエルはシナイ作戦と呼んでいる。
[第3次]
 スエズ戦争によってナーセルは一躍アラブの英雄となり,ナーセルのパン・アラブ主義は1958年にエジプト,シリアのアラブ連合(アラブ連合共和国)結成によって絶頂期を迎えた。…

【ナーセル】より

…55年チェコスロバキアからの武器購入,バグダード条約機構加盟の拒否によって対欧米関係が悪化し,アスワン・ハイ・ダム建設に対する世界銀行の融資の約束が撤回され,ナーセルはこれに対し56年スエズ運河国有化をもってこたえた。この措置は脱植民地化のシンボルとされたが,イギリス,フランス,イスラエル軍の介入によるスエズ戦争を引き起こした。軍事介入はエジプトの抵抗と国際世論によって失敗に帰したが,エジプトの対ソ接近を確定的なものとし,アスワン・ハイ・ダムと工業化計画に対するソ連の援助が大々的に行われることになった。…

※「スエズ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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