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一国社会主義 いっこくしゃかいしゅぎsotsializm v odnoi strane

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

一国社会主義
いっこくしゃかいしゅぎ
sotsializm v odnoi strane

先進資本主義諸国における革命を待つまでもなく,ソ連一国で社会主義が建設できるとした I.スターリンおよびその後継者の理論と政策。 1917年のロシア革命までは,マルクス主義の革命観は,先進諸国における同時革命を原型としていた。後進資本主義国のロシアで革命が成功したため,それをどう性格づけるかが問題となった。永久革命を主張する L.トロツキーに対して,V.I.レーニンも,基本的にはロシアのような農業国が,単独で社会主義建設を実施することは困難であるとしながら,実際の政策面では,西欧諸列強との一時的共存と国内での新経済政策 (ネップ) の方向を打出した。 24年レーニンの死後,トロツキー排除を決意したスターリンは,レーニンの一時的共存と譲歩の政策を,積極的,恒久的なものに置き換える一国社会主義の理論を展開しはじめた。彼は,その外的条件を資本主義諸国間の不均等発展と対立の不可避性,内的条件を国土の広大さと資源の豊富さに求めた。 25年の第 14回ソ連共産党大会は,このスターリンの理論に基づき,ソ連を「独立の経済単位」とするための工業化方針を打出した。その後のソ連指導者は,数次の5ヵ年計画を通じて重工業化を強力に進めるとともに,一国社会主義の国際版である平和共存政策と,国内版である社会主義的生産関係論を展開し,61年の第 22回党大会では,ソ連において「社会主義が完全かつ終局的に勝利した」と規定するにいたった。

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百科事典マイペディアの解説

一国社会主義【いっこくしゃかいしゅぎ】

1924年スターリンが唱えはじめ,その支配とともにソ連の指導理論となった。世界革命がなければロシアにおける社会主義社会樹立は不可能であるとするボリシェビズムの伝統的思想(永久革命論)に対して,一国だけでも社会主義社会建設を完了し得ると説く。
→関連項目カーメネフスターリン主義ソビエト連邦共産党トロツキー平和共存

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世界大百科事典 第2版の解説

いっこくしゃかいしゅぎ【一国社会主義 Sotsializm v odnoi strane[ロシア]】

世界革命を待たずとも,一国(歴史的な文脈に即していえばソ連邦)だけで社会主義を建設しとげることが可能だとする主張。英語では,Socialism in one country。マルクス主義の古典では社会主義は世界革命の産物として想定されており,ロシア革命も当初は世界革命の突破口と考えられていた。しかし,第1次世界大戦後のヨーロッパ諸国における革命運動が後退すると,革命ロシアは孤立の中で国内建設を余儀なくされた。

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大辞林 第三版の解説

いっこくしゃかいしゅぎ【一国社会主義】

西ヨーロッパでプロレタリア革命の成功がなくても、ソ連一国だけで社会主義の建設は可能であるとする理論。晩年のレーニン、スターリンによって提唱された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一国社会主義
いっこくしゃかいしゅぎ
социализм в одной стране sotsializm v odnoy strane ロシア語
socialism in one state英語

ロシア革命勝利後、ソ連において行われた、社会主義建設をめぐる路線論争におけるスターリン‐ブハーリン派の主張で、一国社会主義建設可能論のこと。ロシア革命を勝利に導いたボリシェビキ党の指導者たち(レーニン、トロツキーら)は、革命がただちにドイツおよび全ヨーロッパへと飛び火し広がる世界革命を期待していたが、現実には、第一次世界大戦後の革命的情勢のもとで勝利しえたのはロシア一国のみであったため、1923年のドイツ労働者蜂起の敗北と24年1月のレーニンの死後、ソ連共産党内では、もともと世界革命の一環として開始された後進国ロシアの革命を、どのようなテンポで世界的な社会主義へと導いていくかが重要な論争点とされた。この論争でトロツキーは、西欧プロレタリアートの勝利と支持がなければソ連の社会主義建設は勝利しえないとする「永続革命論」を唱えた。スターリン、ブハーリンらは、「社会主義建設」と「社会主義の完全な勝利」を区別し、後者は一国のみでは不可能であるが前者は可能であるとして、トロツキー派を失脚させ、追放した。この理論は、レーニンの不均等発展論と、レーニン晩年の西欧革命の敗北により余儀なくされたソビエト国家維持の志向とを結び付けたものであったが、スターリンはこれを「マルクス・レーニン主義」の教義として普遍化し、しかも現実の建設過程では、ブハーリンらの主張を排除した強行軍的テンポでの工業化と農業集団化を強引に推し進め、1934年には「社会主義の勝利」を宣言していった。
 ここで論争された「社会主義建設」とは、もっぱら生産手段の国有化と中央集権的計画経済樹立を指標とした経済主義的思考に依拠したもので、労働者階級の人間的解放や政治的民主主義の問題を捨象したものであった。また、勝利したプロレタリア政権を維持・確保し長期にわたる世界革命への橋頭堡(きょうとうほ)を築いてゆくという理由で、この理論はソ連を「プロレタリアートの祖国」と観念させ、スターリンの粛清を合理化する機能をも果たした。1989年の東欧革命、91年のソ連崩壊で、この論争そのものの政治的性格と理論的限界が明らかになった。[加藤哲郎]

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世界大百科事典内の一国社会主義の言及

【戦間期】より

…こうしてヨーロッパの戦後の混乱期は終わり,相対的ないしは一時的安定期が始まった。 レーニンの後継者の一人に擬せられていたスターリンが1924年末に初めて唱えた〈一国社会主義〉は,党のオーソドックスな立場からいかに離れていたにせよ,ヨーロッパの国際関係の安定,したがって革命情勢の退潮という当時の現実を反映していたのであり,〈革命外交〉における〈革命〉と〈外交〉の分離,さらには前者の後者に対する従属を含意していた。
[民族運動の前進]
 20世紀の特徴の一つは,アジア,アフリカ諸民族のヨーロッパへの反逆であった。…

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