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ストルーベ ストルーベ Struve, Pëtr Berngardovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ストルーベ
ストルーベ
Struve, Pëtr Berngardovich

[生]1870.1.26. ペルミ
[没]1944.2.26. パリ
ロシアの経済学者,政治家,評論家。ペテルブルグ大学卒業。 1890年代の合法マルクス主義の活動家として『新しい言葉』 Novoe slovoなど多くの雑誌を編集,ナロードニキを批判した論文『ロシアの経済的発展に関する問題の批判的覚え書』 Kriticheskie zametki k voprosu ob ekonomicheskom razvitii Rossii (1894) はブルジョア的理論として V.I.レーニンの批判の対象となった。

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百科事典マイペディアの解説

ストルーベ

ドイツ生れのロシアの天文学者。1817年ドルパト天文台長,1839年プルコボ天文台初代台長。多くの二重星を観測してその目録を発表。1838年ベガの視差を観測。
→関連項目ストルーブ

ストルーベ

ロシアの政治家,経済学者。県知事の子に生まれ,1895年にペテルブルグ大学を卒業したが,すでに1880年代末には,ロシアでもっとも早い時期の社会民主主義者として活動を開始,在学中に出版した《ロシアの経済発展問題に対する批判的覚書》(1894年)はロシアにマルクス主義を流行させるきっかけとなった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ストルーベ【Pyotr Berngardovich Struve】

1870‐1944
ロシアの政治家,経済学者,評論家。いわゆる〈合法マルクス主義〉の中心的人物。ペルミ県知事の子に生まれ,1895年,ペテルブルグ大学法学部を卒業。早熟で,1880年代末というロシアで最も早い時期に社会民主主義者となり,サークルを組織した。94年に合法出版したナロードニキ批判の書《ロシアの経済発展問題に対する批判的覚書》はロシアにマルクス主義を流行させるきっかけとなり,その権威と目された。94年末ごろレーニンと出会い,友情と政治的同盟関係を結んだ。

ストルーベ【Vasilii Vasil’evich Struve】

1889‐1965
ソ連邦の代表的な古代オリエント学者の一人。エジプト学アッシリア学ペルシア学など広範な分野を文献学的に研究した。初めマネトン《エジプト史》の研究に努めたが,古代オリエント全般の社会経済的状況の解明に移り,その社会が奴隷制生産様式に立脚することを強調した。とくにシュメールアケメネス朝ペルシアに関する論考は多く,ソビエト古代史学界をリードした。長らく科学アカデミー東洋学研究所アジア諸民族研究所古代オリエント部門の責任者となって,数多くの古代史研究者を養成するとともに,科学アカデミー版《世界史》の監修者・執筆者あるいは《古代史通報》の編集者として大きな役割を果たした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ストルーベ
すとるーべ
Пётр Бернгардович Струве Pyotr Berngardovich Struve
(1870―1944)

ロシアの文筆家。社会民主主義者として出発し、著書『ロシアの経済発展の問題に対する批判的覚書』(1894)でナロードニキ理論を批判。ロシア社会民主労働党の結成宣言を起草するなど、同党と関係をもつが、その立場は当時、合法マルクス主義とよばれた。20世紀初頭にかけて社会民主主義から自由主義の立場に移り、自由主義派の政治誌『オスボボジジェーニエ(解放)』の編集人となり1905年カデット立憲民主党)の結成に参画した。09年に論集『道標』の編集人かつ共著者となった。革命に反対し、内戦期に南ロシアの白衛軍政権に加わったのち、パリに亡命し、同地で死去した。[原 暉之]

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世界大百科事典内のストルーベの言及

【合法マルクス主義】より

…1901年ころ,レーニンがかつての協力者P.B.ストルーベらに対し蔑称として使った言葉。この名称の由来を合法出版物を利用したことに帰する説明もあるが,プレハーノフやレーニンも合法出版を利用した点を考えると,適切ではない。…

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