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ストロッツィ ストロッツィ Strozzi, Bernardo

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ストロッツィ
ストロッツィ
Strozzi, Bernardo

[生]1581. ジェノバ
[没]1644.8.2. ベネチア
イタリアの画家。ジェノバ派バロック様式の代表的画家として活躍。また 1597~1610年カプチン会修道士をつとめたので「イル・カプチーノ」と呼ばれた。幼くして修道院に入れられ,苦しみを忘れるために絵を描いたと伝えられる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ストロッツィ【Bernardo Strozzi】

1581‐1644
イタリアの画家。ジェノバで生まれ,絵の修業後17歳でカプチン会修道士となるが,終生画業に携わった。16世紀ベネチア派や,ファン・デイクなどジェノバに滞在したフランドル画家の影響下に,暖かく豊かな色彩と自由な筆触による絵画的様式を形成。1630年ベネチアに移住し,沈滞していた当時のベネチア画壇に活力を与えた。同地で没。作品は油彩による宗教画,風俗画が中心。【高橋 裕子】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ストロッツィ
すとろっつぃ
Bernardo Strozzi
(1581―1644)

イタリア盛期バロックの画家。ジェノバ生まれ。学者になるべく父に養育されたが、15歳のときその死により画家を志す。最初の師は当時同地に滞在していたシエナの画家ピエトロ・ソッリである。17歳のときカプチン修道会に入り、そのためのちに「ジェノバの僧」あるいは「カプッチーノ」とあだ名される。1610年家計を支え、芸術に専心するため教団を去る。14~21年港湾技術者としてジェノバ共和国に奉職。一方画業においては、師から受け継いだマニエリスムの残滓(ざんし)を捨て、自然主義的傾向を強めたが、それには当時ジェノバに滞在していたフランドルの巨匠、ルーベンスやファン・ダイクの感化によるところが大きい。『料理女』(パラッツォ・ロッソ)はこの時期の代表作。母親の死後教団に戻るという約束を反故(ほご)にしたため、裁判沙汰(ざた)となり投獄されたが、30年ベネチアに逃れる。しかし同地では『F・エリッツォ総督の肖像』(ウィーン美術史博物館)などの公的に重要な仕事に携わり、35年にはモンシニョーレの称号を得た。同地でカラバッジョの影響を受けた内外の画家やベロネーゼの作品に接することにより、彼の色彩は明るく澄み、豊かな色調を得、『聖ロレンツォの施し』(聖ニッコロ・ディ・トレンティーノ聖堂)などの優品を残した。[三好 徹]

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