翻訳|sphinx
人間の頭とライオンの胴体をもった怪獣。古代におけるスフィンクスの美術・文学上の表現は,エジプト,ギリシア,メソポタミアに見られ,その起源は最古期のエジプトに求められる。
エジプトではカイロ郊外ギーザの丘のピラミッド群と並んで自然岩から彫り出された巨大なスフィンクス像がよく知られているが,小型のものはエジプト各地の遺跡に見られる。ナイル中流テーベ遺跡の対岸にあるカルナック神殿では,ピロン(前門)の入口に達する参道の両側に何十もの小型スフィンクスが立てられており,古代エジプト人にとってスフィンクスはなじみ深いものであった。ギーザのスフィンクスは大ピラミッドが建設された第4王朝以前のものとされており,前2600年以前にさかのぼる古いものであること,また,古代エジプトにおいてはしばしば動物が神格化されて信仰の対象となっていたことなどから,スフィンクスの原型はエジプトで生じたと考えられる。ここでは百獣の王としてのライオンが,神格化された王ファラオと合体し,王権の象徴とみなされるようになった。新王国時代になるとスフィンクスは死者の神としての性格をもつようになるが,これはエジプトからメソポタミアへ伝播したスフィンクス崇拝に他の要素が合体し,エジプトに逆輸入されたという説が有力である。エジプトにおけるスフィンクスについての観念が時代によって変化している証拠として,スフィンクスを表す古代エジプト語の用語の多様性がある。古期の〈ピラミッド・テキスト〉では2頭のライオンをルゥティと読んでスフィンクスを示していたのに対し,中期の文書(たとえば《シヌの物語》)では,シェセプ・アンク(魂の像)と呼んでいる(この語からギリシア語スフィンクスsphinxが出たという説もある)。また新王国時代には,有翼のスフィンクスがフルナ,フロン(セム系の太陽神を表す言葉)などと呼ばれているが,これはメソポタミアから逆輸入されたものである。
メソポタミアのスフィンクス彫像の代表としては,北イラクのニムルド(アッシリア王宮址)の井戸の底から見つけ出された象牙製のものがある。翼をもつ女性のスフィンクスであり,ほかにも同種の小型の装飾品が見つかっている。有翼の空想的動物はほかにもあり,その代表はアッシリア王宮入口におかれた巨大なラマッス(人頭有翼獣像)である。その人頭には三重に牡牛の角がついているが,身体は明らかにライオンである。同時期(前9世紀)の北シリアのハラフ文化出土品にも古拙風スフィンクス像があるが,これは鳥の脚とサソリの身体から成っている。このような有翼獣の起源は必ずしも明らかではないが,シュメール,アッカドの円筒印章に見られる,なかば神格化された猛禽とつながりをもつと思われる。これらは一方ではシュメール系嵐神アンズー鳥となり,他方では太陽神としての猛禽崇拝に発達した。アッシリアのラマッスのような有翼獣像は古代ペルシア美術,とりわけアケメネス朝期彩色浅浮彫に見られる。これらの神話的イメージは一方ではライオンの変形として東方に伝播し,ついには日本の唐獅子となり,他方では有翼の神として各種の天使像,さらには東洋の飛天像にも影響を及ぼした。
他方,ギリシアの伝説ではスフィンクスを蛇女エキドナと犬のオルトロスの子とするもの(ヘシオドスの《神統記》),テーバイ王ライオスの娘(庶子)とするものなどがあり,最も有名なものはオイディプス伝説の一部を成している。これによるとスフィンクスは女神ヘラによってテーバイ西方のフィキオン山におかれた。このスフィンクスは旅人に謎をかけ,解けない旅人を食ったという。オイディプスがやって来ると,スフィンクスはいつものように,〈一つの声をもち,四足,二足,三足になるものはなにか〉と謎をかけた。オイディプスが,それは人間である(赤児は四足ではい,成人すれば二足で歩き,老人になれば杖をつくから)と答えると,スフィンクスは山から身を投じて自殺した。ギリシアのスフィンクスは,美しい顔と胸をもつ有翼の女性として表されており,これがメソポタミアの影響を受けたスフィンクスであることを示している。
スフィンクスに類似の空想的動物として,怪獣グリュプス(英語ではグリフォン)がギリシアの伝承中に何度か言及されている。これはワシの頭と翼,ライオンの胴をもつもので,ヘロドトスの《歴史》第3巻によればこの怪獣は北方の国で黄金を守護しているという。スフィンクスとグリュプスとの関係は今なお明らかではないが,エジプトで誕生したスフィンクスが多様化しつつメソポタミアから北方を経由してギリシアへ入る過程で生じた一変形と思われる。
スフィンクスは中世にはほとんど忘れ去られていたが,近代の美術や文学ではしばしば〈問い〉〈悲しみ〉〈男に挑む女〉などの主題のもとに再登場した。絵画ではアングル,G.モロー,D.G.ロセッティらのものがあり,ハイネは《歌の本》でスフィンクスに悲しみを代表させた。
執筆者:矢島 文夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
頭は人間、胴体はライオン(場合によって有翼)の神話的存在。エジプトに起源を発するが、のちに、シリア、アナトリア、地中海世界、ギリシア本土などに伝播(でんぱ)した。エジプトにおいてスフィンクスは、古くは第四王朝期(前2650ころ)に、ギゼーにある王カフラのピラミッドに並んで刻まれた大スフィンクスとして登場する。これは、王自身の像だといわれる。そもそもスフィンクスは、王をライオンとするエジプトの古い観念に発するといわれ、王妃も女性スフィンクスとして表された。紀元前二千年紀に入ると、スフィンクスはしばしば神――たとえば太陽神――の化身としても信じられた。
前二千年紀中葉から前一千年紀前半にかけて、アナトリア、シリア、パレスチナ、キプロスなどにおいてもスフィンクスが重んじられたことは、考古学的発掘により明らかになってきている。スフィンクスの石像が門の両側に置かれたり(アラジャ・ホユック、ハットウシャ。前14世紀ごろ)、建造物の一部として用いられたり(カルケミシュ、サムアル。前9~前8世紀)、象牙(ぞうげ)の浮彫りや青銅像が宗教色の強い装飾として使われた(キプロス、サマリア、ルサヒニリなど。前9~前7世紀)。これらはすべて有翼(女性?)像で、守護神(霊)的な役割を果たしていた。ギリシアでスフィンクスは、初めは死を見守る神話的存在として厄祓(やくばら)いの目的で盾や墓などに刻まれていたが、のちテーベ伝説に取り込まれ有名になった。
[月本昭男]
ギリシア神話において、スフィンクスはもっとも普通には、女の顔と獅子(しし)の身体に翼(つばさ)をもつ怪物として描かれる。古くは子供をさらい、戦士の倒れるのを待ち受ける死霊のごときものと考えられていた。が、反面、魔除(よ)けの護符の図像ともされた。次の段階では、スフィンクスは土地の害獣とされた。系譜上ではエキドナ(蛇女)とティフォンの子、あるいはキマイラとオルトスの子とされ、兄弟であるネメアの獅子がネメアの地を荒らしたごとく、スフィンクスはヘラ女神によりテバイ(テーベ)に送り込まれてその地の人々を苦しめた。これは、テバイ王家が犯した罪に対する罰であった。
さらにスフィンクスは、土地の害獣から、謎(なぞ)をかける怪物へと発展する。「一つの声をもち、(朝に)四つ足、(昼に)二つ足、(夜に)三つ足となるものは何か」「一方が他方を生み、生んだ女が生まれた女によって生み出されるような姉妹とは何か」「生まれ出るときもっとも大きく、盛りのとき小さく、老いてふたたび最大になるものは何か」など。スフィンクスは、人々にこれらの謎をかけては解けない者を食い殺していた。やがてオイディプスが現れて、第一の謎の答えは「人間。幼時には四つ足で這(は)い、長じては両足で歩き、老いては杖(つえ)を引くから」と解くと、スフィンクスは恥じて身を投げ、死んだ。残りの二つの謎の答えは、昼と夜の姉妹、および影である。
[中務哲郎]
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人頭,獅子身の怪物。翼を持つものもある。悪魔や敵を調伏するために,古代オリエントの各地に建立され,王宮や神殿の入り口に安置された。エジプトのギザにあるスフィンクスは特に有名。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 小学館の図鑑NEO[新版]動物小学館の図鑑NEO[新版]動物について 情報
…〈宇宙卵〉の墜落と歴史の始まりという宇宙開闢(かいびやく)神話の残響がここに聞きとれる。〈朝は4本足,昼は2本足,夕は3本足の動物は何か〉という有名なスフィンクスのなぞも,単なる遊びではなかった。なぞに答えられない者を食べてしまう怪物によって,テーバイの国は危機に陥っていたが,オイディプスがこれを〈人間〉と解いて,怪物を退治し,秩序を回復したのである。…
…骨はまた死の象徴でもある。オイディプスが人面獅子身の怪物スフィンクスに出会ったとき,彼女のまわりにはなぞに答えられず食われた旅人の骨が散乱していた。オデュッセウスらを魅した海の魔女セイレンたちの座るあたりには人骨がうずたかく積もっていた(ホメロス《オデュッセイア》)。…
※「スフィンクス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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