日常生活のなかでの歩行から体育やスポーツ競技までを含めた広い意味での身体活動を、医学の面から研究しようとする学問。いいかえれば、疾病の治療や予防、健康の維持・増進、競技力の向上など、すべての身体運動を対象とした総合的な科学といえる。
[小野三嗣・依田珠江 2015年8月19日]
紀元前3000年ころから、古代中国やインドにおいては、呼吸法やマッサージとあわせた体操が用いられており、これがもつ治療効果についての記載も残されたといわれている。また、古代ギリシアでは、古代オリンピックが盛んになるにつれて体力を養成するための食物や栄養についての考察、疲労や競技による機能障害を回復するための治療法の研究が進められ、スポーツと医学の接点がもたれたとされる。さらに、ギリシアにおけるこのような体力増強や健康維持のための試行錯誤的な研究は、オリンピックのためのみではなく、戦争における兵力や産業のための労働力の養成など、種々の目的にも用いられたという。
やがて、こうした研究は西洋医学にも受け継がれ、イギリスのフラーF. Fuller(1670―1706)は、1705年に『医学的運動論』を出し、治療医学の領域における身体運動の重要性を説いた。同じく18世紀、ドイツのF・ホフマンは、治療法としての身体運動には適切な運動量があるということを述べている。やがて19世紀の初めにデンマークの体操家ナハテガルF. Nachtegall(1777―1847)の体操理論が展開され、これは、スウェーデンのリングによるスウェーデン体操やデンマークのブックN. Bukh(1880―1950)によるデンマーク体操に発展する。これらは、当時の戦争などのために、限られた施設しかなかった状況下における体力養成をねらったものであった。やがて、臨床医学的分野からは運動中の生体反応である代謝機能などの運動生理の研究が展開され、高所への順応と登山の影響、筋疲労の研究などの知見が発表されるようになる。
1896年に近代オリンピックが開催されて以降、オリンピック種目を中心として、スポーツ医学は大きく発展していく。当初は選手のけがの手当てなどというように、健康よりはむしろ競技に伴う対症療法的援助にすぎなかったが、やがて、体力に関する医学的な助言のほか、練習中や競技中に障害が生じたとき、競技を継続させるための特別な処置を講ずる方法の研究など、医学のなかでも特殊性をもった分野を占めるようになった。第3回オリンピック・セントルイス大会(1904)では、マラソンレース中に、熱射病にかかり倒れる選手が続出したため、それ以降の大会においては医師が不可欠な存在となった。第7回アントワープ大会(1920)では、アメリカ選手団のなかに公式のチーム・ドクターが6名参加していた。続く第8回パリ大会(1924)になると、アメリカは医師3名、看護婦1名、トレーナー9名、マッサージ師6名を選手団に同行させた。これ以降、スポーツ場面における特殊な処置の必要性から、他の諸国も専門医を置くようになっていく。さらに、スポーツの技術水準が高くなるにつれて、経験による練習方法だけではなく、医学的、生理学的裏づけのある練習方法も必要となってきた。このような諸事情を背景にして、やがて国際スポーツ医学会が成立することとなった。
[小野三嗣・依田珠江 2015年8月19日]
1928年に第2回冬季オリンピック大会がサン・モリッツで行われた際、国際スポーツ医学協会Association Internationale Médico-Sportive(AIMSと略す)が結成され、同年、国際スポーツ医学会がアムステルダムで開催された。2年後の1930年の第2回総会においてAIMSは国際スポーツ医学連盟Fédération Internationale Médico-Sportive et Scientifique(FIMSと略す)と改称され、現在のFédération Internationale de Médecine du Sportに至っている。第11回オリンピック・ベルリン大会(1936)のときに開催されたFIMSの総会では九つの専門分科会が設定されたが、その後の第二次世界大戦のため立ち消えとなった。しかし、第15回オリンピック・ヘルシンキ大会(1952)のFIMS総会において、次の7項目を推進することが議決された。すなわち、(1)スポーツなどの教育的意義、(2)科学的研究の必要性、(3)科学的知識の多方面への応用、(4)医学教育課程にスポーツ医学を専門科目として取り入れること、(5)スポーツマンと一般体育者に共通する医学的処置、(6)スポーツ医学における理論と実際、(7)スポーツ医学者、生理学者と他分野の研究者たちとの知識交換、の7項目である。なお、国際スポーツ医学会は、夏季オリンピックの年と、冬季オリンピックの年、つまり2年ごとに開催されることとなっている。
日本におけるスポーツ医学のおこりは、1924年(大正13)に国立体育研究所が設立されたことに始まり、その趣旨は国民体力の増強に置かれていた。1933年(昭和8)になると運動医事相談部が開かれ、スポーツマンの健康管理に対する配慮が払われるようになった。また、1938年の第10回日本医学会総会においては、臨時分科会として体育医学会が開催された。第二次世界大戦後は1946年(昭和21)の第1回国民体育大会をきっかけとして、日本体力医学会が発足し、3年後の1949年、第1回日本体力医学会が公衆衛生院で開かれた。そして、翌1950年、日本体力医学会は、日本医学会の第39分科会として正式に認められることとなる。また日本体育協会(現、日本スポーツ協会)に1947年に開設された体育医事相談所は、その後の日本のトップアスリートの競技力向上と国民スポーツ振興の推進のためのスポーツ医・科学専門委員会へとつながっていった。なお、日本体力医学会は、1954年からFIMSに加盟している。
[小野三嗣・依田珠江 2015年8月19日]
現在のスポーツ医学は、外傷や疾病の治療や予防に対しての運動療法とリハビリテーションなどのスポーツを用いて臨床医学的な貢献を目ざす面と、競技スポーツとレクリエーションスポーツを対象とした科学データをもとに医学的サポートを行う面をもつ。スポーツ医学には身体活動が刺激となって生じる体内の変化をとらえることを目的とする運動生理学分野があることから、身体の恒常性を維持する機能を解明するための基礎生理学と深くかかわっている。高地トレーニングや暑熱、寒冷環境下でのスポーツなどにおいて、スポーツ医学領域からのデータは身体にかかる負担や適応の過程などといった情報をもたらすという点で非常に重要な役割を担っている。またバイオメカニクスbiomechanics(生体力学)、栄養学などのさまざまな分野もスポーツ医学にかかわっている。
スポーツ医学の領域の一つ、練習の負荷強度、1回の練習時間内に繰り返される回数や時間の長さ(練習量)、決められた練習を週何回やるか(頻度)といった要素を計画して、それぞれの個人に適したものにすることを運動処方という。もちろん、このようにして組み立てられた運動がその人にどのような影響を与えるかを確かめつつ、次の段階の運動処方がつくられていく。運動量が多すぎたり、休養が十分でないと、かえって体に障害が生じることはいうまでもない。なお、性別、年齢や生活習慣にあった運動処方という意味では、身体障害者に対する運動も含まれる。また、発育段階の子供が無理な投げ方を続けたために野球肘(ひじ)になったり、日常生活で運動習慣のなかった者が急に運動をしたために捻挫(ねんざ)や骨折、筋や腱(けん)の断裂などの障害をおこすことがあるが、これらを予防するように指導・助言することもたいせつなスポーツ医学の分野である。また、多くの大学がスポーツ科学に関連した学部や学科、専攻を新設している。その学部、学科にはスポーツ内科、スポーツ外科、スポーツ整形外科の専門教員を擁しているところも少なくない。スポーツ科学領域におけるスポーツ医学分野の重要性が高まったことが背景にある。
[小野三嗣・依田珠江 2015年8月19日]
スポーツ医学の目覚ましい発展は、ME(医用工学)の急速な進歩に負うところが大きい。心電図や筋電図はもとより、超音波診断装置、MRIやコンピュータを導入した機器類、多くの微量のホルモンや物質を短時間に多量に分析する機器類なくしてはスポーツ医学の発展はありえなかったのである。
さらにスポーツ医学は前述の運動生理学やバイオメカニクスといった従来からその一分野を構成していたものから、スポーツ時に生体内でおこっているさまざまな分子・細胞レベルの反応を探る生化学・分子生物学・細胞生物学まで範囲が広がっている。さらに遺伝子研究の目覚ましい発展の影響がスポーツ科学界にも波及し、DNAレベルでの研究も盛んに行われるようになっている。1998年、イギリスの科学誌に「優れた登山家にはアンギオテンシン変換酵素遺伝子Ⅰ型を有する人が多い」という報告が掲載された。近年、疾病の原因遺伝子をみつけるためのDNA研究が盛んに行われているが、その波はスポーツ科学界にも押し寄せている。前述の研究報告をきっかけに、遺伝子多型や遺伝子変異についての研究がスポーツ科学の研究テーマの一つとして脚光を浴びるようになった。2001年には、身体運動能力に関連した約50種の遺伝子多型や遺伝子座を示した遺伝子地図の第1報が、そして翌2002年には第2報が報告されている。これらの情報をもとに遺伝子解析を行うことで、練習内容や「向いているスポーツ」をみつけようという試みもビジネスとして一般的に行われている。
また、現在行われているドーピング法はおもに化学合成された薬物を生体内に取り込む方法、それらの禁止薬物が検出されるのを科学的に妨害するマスキング剤の使用、あるいは成長ホルモン、エリスロポエチンなどの遺伝子改変技術によって生体外で製造されたタンパクを生体内に注入する方法などがある。そしてさらに競技力にかかわる遺伝子をヒトに導入する遺伝子ドーピングの実用化の可能性がでてきた。スポーツ界ではドーピングの摘発、使用の禁止徹底に尽力している。
[小野三嗣・依田珠江 2015年8月19日]
スポーツ医学をより多くの人々の健康増進に役だてるために、さまざまな取組みが行われている。2000年(平成12)、厚生省(現、厚生労働省)は「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」という政策を打ち出し、生活習慣病およびその原因となる生活習慣などの課題について「9分野(栄養・食生活、身体活動と運動、休養・こころの健康づくり、たばこ、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、癌(がん))」で、2010年をめどとした基本方針や目標、対策などを設定した。この健康日本21の推進は各地方自治体で行われた。身体活動・運動の推進は、日常の生活における身体活動に対する意識、運動習慣などについて成人および高齢者に分けて目標を設定し、生活習慣病の発生を予防し、運動が健康づくりの重要な要素であることを広めようというもので、スポーツ医学的な見地から数値でその効果や目標などを示し、この運動をサポートした。2013年には健康日本21(第二次)がスタートし、第一次の最終評価をもとに、改めて2022年までの目標を定め、活動が推進されている。さらに、病後社会生活に復帰するための機能回復といったリハビリテーションの分野も、遺伝を含めた先天的要因、そして自然環境や社会的環境の影響など後天的な生活歴に支配的影響を受ける個人差をふまえ、スポーツ医学がこれから深くかかわっていくべきものである。とくに注目されているのが、「ロコモティブシンドローム(ロコモティブ症候群、運動器症候群ともいう)」である。これは運動器の障害による移動機能の低下した状態を表すことばで、日本整形外科学会が2007年に提唱した。この運動器の障害には運動器自体の疾患と加齢による運動機能の低下が関与しているため、スポーツ医学分野の重要な課題の一つとなっている。
このほかにもスポーツ医学の観点からスポーツ用装具の開発に生体力学的検討を加えたり、装具をつけた状態での生体の生理反応を測定し、安全性およびパフォーマンスに対する影響を明らかにするという他の分野との共同での取組みなどが現在のスポーツ医学の領域になる。またスポーツ選手の咬合(こうごう)と身体運動機能の関係などを扱うスポーツ歯科医学、スポーツと免疫能の関係を研究するスポーツ免疫学が目覚ましい発展を遂げている。
[小野三嗣・依田珠江 2015年8月19日]
『石河利寛・松井秀治編『スポーツ医学』改訂第6版(1978・杏林書院)』▽『阿部正和・小野三嗣編『運動療法』(1978・朝倉書店)』▽『小野三嗣著『日本における体力医学研究の歴史と展望』(1991・大修館書店)』▽『黒田善雄・小野三嗣監修、福田市蔵他編『スポーツ医学マニュアル』(1995・診断と治療社)』▽『池上晴夫著『スポーツ医学2 健康と運動』(2000・朝倉書店)』▽『大野秀樹・及川恒之・石井直方編『Q&A 運動と遺伝』(2001・大修館書店)』▽『天羽敬祐・渡辺剛監修『わかりやすいスポーツ医科学』(2002・総合医学社)』▽『日本体育協会指導者育成専門委員会スポーツドクター部会監修『スポーツ医学研修ハンドブック』全2冊・第2版(2011、2012・文光堂)』▽『川田茂雄著『スポーツ医科学トピックス1』(2014・ブックハウス・エイチディ)』▽『日本整形外科学会ロコモチャレンジ!推進協議会編『ロコモティブシンドローム(ロコモパンフレット)』(2014・日本整形外科学会)』
スポーツに関連した人体の生理や疾病,傷害を扱う医学の一分野。近年はスポーツ選手の外傷の治療・予防のみでなく,一般の人々の運動不足,栄養の過誤,精神緊張などから起こる健康体力の低下やいろいろな疾病障害の予防・治療・リハビリテーションなどについても扱われる。
医療とスポーツなどの身体活動の結びつきは古く,紀元前3000-前2000年ころ中国やインドでは,体操とくに呼吸体操が身体機能の向上や障害の予防・治療に用いられていた。ヒッポクラテスは散歩,走行,乗馬,相撲,体操などを健康の保持や疾病の治療にきわめて重要なものとしている。このような考え方は西欧医学にも連綿としてうけつがれており,16世紀にメルクリアーレG.Mercurialeによって書かれた《体操書De Arte Gymnastica》には,医療体操の原則について,(1)運動は健康を保持すべきものであること,(2)運動は血液・体液の調和を乱さぬこと,(3)運動は身体各部に適切であること,(4)健康な人は規則正しく運動すること,(5)病気の人は病状を悪化させるおそれのある運動をさけること,(6)回復期の人には個々の状態に応じた運動を処方すること,(7)座りきりの生活をしている人は,第一に運動が必要なこと,などが記されている。この考え方は,現代にも大部分通用するものと思われる。
18世紀に入り,ドイツのF.ホフマンは《医学的にみた適量の運動》で運動の循環・消化・吸収に対する作用を述べ,運動は薬物よりすぐれた万能薬であるとした。また,フラーF.Fullerは《医用体操》《運動の効果と処方》のなかで,人間の生命維持に必要な運動について述べ,近代医学のなかに医療法としての身体運動の重要性を位置づけた。18世紀後半から19世紀にかけ,近代科学の進歩とともに,筋肉生理,呼吸循環生理の研究が進み,運動生理学的研究も進展し,1813年にはストックホルムにスウェーデン王立中央体育研究所が設立された。96年クーベルタンにより近代オリンピックが再興されたが,これを機に西欧におけるスポーツはよりいっそう盛んとなり,その波は世界的に広まった。このことはスポーツ医学の発展にとっても大きな意味をもっている。すなわち,競技スポーツが盛んになるにつれ,それに伴う外傷や疾病が増加し,医学的に対応する必要性が高まってきたわけである。1922年スイスでスポーツ医学委員会が設けられ,24年ドイツで体育振興ドイツ医師連盟が結成された。28年には国際スポーツ医学連盟が結成され,同年8月のアムステルダムのオリンピック大会の際に,第1回の国際スポーツ医学会が開催された。第2次大戦で中断した国際スポーツ医学会は,48年から再開され,オリンピックの年とその中間年の2年おきに行われている。
日本では1924年に国立体育研究所が設立され,スポーツ・体育の生理学,生化学,心理学,教育学的研究が始められた。28年アムステルダム,32年ロサンゼルスの両オリンピック大会で日本の選手が水泳・陸上競技などで活躍することにより,日本のスポーツも大いに盛り上がり,1928年東京,大阪であいついでスポーツ医事研究会が組織され,極東選手権大会やマラソンの大会においてスポーツ医学的調査研究が行われた。第2次大戦後,49年に日本体力医学会が設立され,日本医学会分科会として認められ,54年国際スポーツ医学連盟に加盟した。
近代におけるスポーツ医学は競技選手の外傷や疾病の治療・予防が主要課題であったが,スポーツの発展とともに,記録向上のためのトレーニングやスポーツ技術に関する運動生理学的研究もしだいに盛んになった。また,第2次大戦における多数の戦傷者に対する治療や,社会復帰のためにも積極的にスポーツ活動が導入され,リハビリテーションの面においてのスポーツ医学も発展した。
1950年代に入り,とくに社会主義国では国の政策としてスポーツを重要視したため,スポーツ医学の発達・普及は著しく,これらの国では,スポーツ医学専門医の養成も行われている。さらに,スポーツ医学では競技選手の医学的管理・研究ばかりでなく,国民の健康や体力の向上を目的とした研究と応用がしだいに重要度を増してきている。先進文明社会では,日常生活や労働の場における機械化が進み,身体活動の強度や量が著しく減少する一方で,経済的な水準の向上に伴い栄養は改善され,質量ともに過剰・過誤の傾向を示している。また,高能率,過密スケジュール化は持続的な精神緊張をもたらしている。このような生活条件により,先進国の人々には肥満,動脈硬化,心臓疾患,高血圧,糖尿病,胃・十二指腸潰瘍,腰痛症,精神障害などの健康障害が増加してきている。これらの健康障害の予防や治療に対して,適正な身体活動の重要性が再認識され,そのためにスポーツ医学の研究・応用が求められてきたのである。したがってスポーツ医学の内容は現在,次のように考えられる。
(1)基礎医学的領域 スポーツそのものの科学的分析,スポーツを行うときに生体に生ずる諸変化の解明(スポーツ科学,運動生理学,運動生化学,運動栄養学,スポーツ心理学など)。
(2)臨床医学的領域 上記の研究成果を一般の人々や,競技選手の健康や体力の向上に役だてるための運動処方やスポーツ医学的管理。また,スポーツによる外傷・疾病・事故の予防・治療・リハビリテーション。スポーツの,もろもろの疾病の予防,治療,リハビリテーションへの活用。
スポーツ医学は現代社会においては,ますますその重要度を増しており,重要な学問分野となっている。専門的に研究し,実地に活用するために,スポーツ医学の専門教育がすでに多数の国々で行われている。
執筆者:黒田 善雄
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