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セバストポリ Sevastopol'

大辞林 第三版の解説

セバストポリ【Sevastopol'】

ウクライナのクリム半島の黒海に臨む港湾都市。ロシアの海軍基地として発展。クリミア戦争や第一次・第二次大戦の激戦地。

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百科事典マイペディアの解説

セバストポリ

ウクライナクリミア半島南端,黒海に臨む港湾都市。工業は各種器具,食品,木材加工など。古代ギリシアの植民市。1783年ロシアが占領,現在の都市を創設。1804年ロシアの黒海艦隊の基地となり,クリミア戦争では英仏艦隊に進入されロシアは黒海艦隊を湾内に自沈させ要塞に立てこもって激戦を繰り広げトルストイの《セバストポリ物語》で知られる349日間の籠城(ろうじょう)が行われた。
→関連項目ウクライナ問題クリミア自治共和国

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世界大百科事典 第2版の解説

セバストポリ【Sevastopol’】

ウクライナ南部,クリミア自治共和国の海港都市。ギリシア語で〈高い都市〉の意。1797‐1801年はアフチアルAkhtiarと呼ばれた。人口36万6000(1993)。前5世紀には,ギリシアの植民市ケルソネソスが建設された地域として知られ,その後クリミア地方の政治・商業の中心として栄えた。13世紀タタール人の支配下で衰えたが,18世紀末にロシア領となるとともに港がつくられ,19世紀初めには黒海艦隊の基地となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セバストポリ
せばすとぽり
Севастополь Sevastopol'

ウクライナのクリミア半島南西部にある都市。人口34万2000(2001)。旧ソ連黒海艦隊の根拠地で、モスクワからの鉄道の終点であり、クリミア各地への自動車道路の基点であるなど、戦略・交通上の要地。また、ソ連崩壊後、黒海艦隊とセバストポリの帰属をめぐって、ロシアとウクライナは対立していたが、96年6月黒海艦隊を両国で二分することが決まり、さらに97年5月ウクライナがセバストポリにある黒海艦隊基地を20年間ロシアに貸すことに合意して、最終的に解決した(ソチ協定)。海軍工廠(こうしょう)のほか、船舶修理、機械組立て、水産加工などの工場がある。西に向かって黒海に突き出たヘルソネス半島が南にあり、クリミア山脈を南東に背負い、チョールナヤ川の河口とセバストポリ湾を北に控えた良港を有する。半島には古代ギリシア植民都市ヘルソネスの遺跡があり、市名も古代ギリシア語の「神聖な都市」から発生した。二度にわたって史上有名な攻防戦が行われたことにより、「英雄都市」の称号を得ている。攻防戦の記念物も多い。マラホフ・クルガンの丘の上には戦没者記念碑と廟(びょう)があり、市内には、クリミア戦争を記念する1854~55年クリミア防衛記念館、1944年5月の反攻ジオラマ館、黒海艦隊を記念する海軍博物館のほか、二つの劇場などが置かれている。[渡辺一夫・外川継男]

歴史

クリミア・ハン国併合後、ロシア政府は1783年ここに要塞(ようさい)兼港を建設し、港は帝政時代から海軍の基地として使用されてきた。1854~55年、クリミア戦争中にここに立てこもったロシア軍はイギリス・フランスの連合軍に果敢な防衛戦を展開し、士官候補生として参戦したトルストイはそのときの経験を作品『セバストポリ物語』に仕上げた。第二次世界大戦中の1941~42年にも、ソ連軍はドイツ軍を相手に二度目の「セバストポリの防衛戦」を行った。この戦闘のあと、町は42年7月から44年5月までドイツ軍に占領されたが、戦後復興した。[外川継男]

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