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セルギー セルギー Sergie, Tihomieroff

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セルギー
セルギー
Sergie, Tihomieroff

[生]1871
[没]1945. 東京
日本ハリストス正教会大主教。ロシア人ペテルブルグ神学大学に学び,1905年主教に叙聖。 07年大主教ニコライの補佐として来日,12年大主教の没後その跡を継ぎ,ロシア革命関東大震災などにより低下した教勢の維持拡大に努めた。

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セルギー
セルギー
Sergii

[生]1867.1.23. ゴーリキー近郊アルザマス
[没]1944.5.15. モスクワ
ロシア正教会の総主教。俗名イワン・ニコラエビッチ・ストラゴロツキー。セルギーは修道名。ヤムブルク主教,フィンランドのブィボルク大主教などを経て,1917年ニジェゴロドの府主教となった。

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セルギー
セルギー
Sergii, Radonezhskii

[生]1315頃.ロストフ
[没]1399.9.25.
ロシアの修道僧,聖人。 1345年頃兄とともにモスクワ公国内のラドネジにトロイツキー修道院を創建,修道院の共同生活の組織化に努め,モスクワ大公ドミトリー・ドンスコイらの支配層とも結んで,政教両面に大きな影響力をもった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

セルギー Sergy, Tihomiyerov

1871-1945 ロシアの宣教師。
1871年6月15日生まれ。明治41年(1908)来日,ニコライ大主教を補佐。45年ニコライ没後,大主教をへて,昭和5年日本ハリストス正教会府主教となる。この間,ロシア革命,関東大震災のため打撃をうけた教会の復興に尽力した。昭和20年8月10日死去。74歳。ノブゴロド出身。ペテルブルグ神学大卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セルギー
せるぎー
Тихомиров Сергий Tihomirov Sergiy
(1871―1945)

ロシア正教の主教。ノブゴロドの神父の子として生まれる。ペテルブルグ神学大学に学び、ニコライ大主教の補佐として1907年(明治40)来日。ニコライの永眠(1912)後、日本正教会の第2代首座主教となる。1923年(大正12)の関東大震災で大破したニコライ堂を、ロシア革命後、伝道会社からの送金が絶えていたなかで、苦労して復興した。昭和に入り、軍国主義の台頭や、教会内部の問題など苦難のなかで、1940年(昭和15)に隠退し、太平洋戦争終戦の年に没した。名説教家であり、神学者としても知られた。著書に『十二位一体の聖使徒』(1935・パリ・YMCA)がある。[田口貞夫]

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