改訂新版 世界大百科事典 「ゼムストボ」の意味・わかりやすい解説
ゼムストボ
zemstvo
ロシアの地方自治機関で,1864年1月1日の法律によってロシアの県(34県とドン軍管州)と郡に設置され,十月革命まで存続した。郡ゼムストボは,住民から選出された郡会をもち,その郡会代議員から県ゼムストボの県会代議員が選出され,郡会,県会それぞれに執行部として参事会が設けられた。この選挙は,3年の任期で,地主,都市居住民,農民共同体(郷(ボーロスチ))という三つの範疇の選挙人によって行われたが,選挙人には相当の財産資格が定められ,選挙および実際のゼムストボの運営においては貴族が実質的な支配権を握っていた。65-67年の29県の郡ゼムストボの代議員総数をみると,そのうち貴族・地主は41.7%,農民は38.4%,県ゼムストボでは,それぞれ74.2%と10.6%であった。その後資本主義の発達とともにブルジョア的要素が増していったが,貴族と農民の比率は大きく変わることはなかった。ゼムストボの任務はその地域の〈利益と必要〉にこたえていくことに限定され,具体的には初等教育,医療,道路整備,統計,郵便,保険,農業技術の援助,緊急時の食糧確保などを主とした。
しかし,ゼムストボの組織および活動は,郡は県知事の,県は内務大臣の監視の下にあり,諸制限の撤廃を求めるゼムストボと政府との間には対立がおこった。そうした背景のなかで,70年代末以降,ゼムストボは憲法と議会を要求する急進的な自由主義運動の拠点となり,それに対して政府側も,90年6月の法令(〈反改革〉と呼ばれる)によって,ゼムストボの活動に対する制限を強めた。ゼムストボの自由主義運動は,革命的運動とは敵対的であり,〈反革命的〉性格は,ゼムストボ指導者が参加して誕生した立憲民主党(カデット)や十月党(オクチャブリスト)の活動,および第1次世界大戦中に結成された全ロシア・ゼムストボ同盟の活動にあらわれている。
執筆者:鈴木 健夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報