アメリカの思想家。マサチューセッツ州コンコードに生まれ,エマソンの強い影響を受けた。1837年にハーバード大学を卒業後,故郷で教職につくが,当時教育手段として普通に行われていた笞刑に反対してまもなく辞職。40年代にはいってトランセンデンタリストたちの機関誌《ダイアル》などにエッセーを発表し始める。45年夏ウォールデン池のほとりに自分で小屋を建て,以後2年2ヵ月に及ぶひとりぐらしを始める。その動機をソロー自身が主著《ウォールデン》(1854)の中で,〈慎重に生き生活の本質的な事実だけに直面したかったから〉と説明している。彼には世間が生活だと信じているものを生活とは思えず,むしろ高貴なはずの精神が卑しめられている現状が耐えられなかった。森の中で一人〈深遠に生き,生活の髄をすべてしゃぶりつくしてスパルタ人のようにたくましく生き,生活でないものは追い散らし……生活を片隅に追いこんで,ぎりぎりの条件にまで単純化したかった〉。ソローもエマソンと同じように精神の主権を何よりも重んじたが,それを単なる観念に終わらせず,生活の原理として実際に生きてみようとした。この発想にソローの独自性の根源があり,おかげでトランセンデンタリズムそのものを超えて新しい地平に踏みこむことができた。
〈生活の本質的な事実〉だけを生き,それ以外の〈余剰〉はすべて拒むというソローの厳しさは,むろん自分自身の精神にも例外を認めない。たとえ精神でも,その環境になじむと〈知らず知らずのうちに一定の道すじにはまりこみ〉,気楽さと引換えに主権を譲り渡してしまうのである。そこでソローは,ぜひとも世界の中で〈完全に迷子〉になれと言う。踏み慣れた軌道を捨てて,たえず異質な風景をめざせと言う。いっさいの既知から身軽になって,未知の領域にはいりこむことを彼は〈散歩〉と呼ぶが,いつしか住み慣れた森を出たのも,まさにこの〈散歩者〉の精神からである。こういうソローの精神のありかたは,ついに彼を,観念とは無縁なところで悠然と息づいている〈広大で巨大で非人間的な自然〉の前に連れ出すことになる。遺作《メーンの森》(1864)と《ケープ・コッド》(1865)は,晩年のソローの到達点を示す重要な作品である。
いっぽう彼は社会的関心も強烈だった。《ジョン・ブラウン隊長のための弁護》(1859)は,この急進的な奴隷解放論者を熱烈にほめたたえた講演である。またメキシコ戦争に荷担することを拒んで人頭税の支払いに応ぜず,1846年夏に投獄されるが,このときの経験をきっかけに書き上げた論文《市民の抵抗Civil Disobedience》(1849)は,いわゆる不服従運動の古典として,ガンディーやキング牧師の思想形成に影響を与え,いまもなお読みつがれている。ソローの基本的な姿勢は個人の精神が政府の権力に優先するというものだが,これが自然に対する彼の姿勢と通底していることを見のがしてはならない。
執筆者:酒本 雅之
アメリカの経済学者。ニューヨークに生まれ,1951年にハーバード大学で学位を受けた。1950年以降マサチューセッツ工科大学で教鞭をとる。58年から同大教授。現代アメリカを代表する経済理論家の一人であり,ケネディ大統領の経済諮問委員会のシニア・エコノミストの一人としてケインズ政策の推進にも貢献した。ソローの最大の業績は,新古典派経済成長理論を創始したことにある。それは,資本と労働との間の代替を許す集計的生産関数の存在を仮定することによって,経済成長経路の不安定性を主張するハロッド=ドーマー型成長理論とは対照的に,経済が完全雇用を保ちながら均斉成長経路に長期的に収束する可能性を示した。また,アメリカ経済の成長は資本蓄積や労働人口増加よりも技術進歩に帰するところが大であることを示唆した彼の計量的研究は,その後経済成長と技術進歩に関する膨大な研究の先駆となった。著書に《成長理論》(1970),論文集に《資本理論と収益率》(1963),共著書に《線型計画と経済分析》(1958)等がある。87年ノーベル経済学賞を受賞。
執筆者:岩井 克人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカのエッセイスト、思想家。7月12日、マサチューセッツ州コンコードに生まれる。ハーバード大学卒業時の演説「商業精神」で、週に1日のみ働き、「あとの6日は愛と魂の安息日として、自然の影響にひたり、自然の崇高な啓示を受けよ」と語り、一生この主旨に沿った生き方を試みようとした。家業の鉛筆製造事業のほか、教師、測量、大工仕事などに従事したが、定職につかず、コンコードに住む超絶主義者のエマソンや彼の周辺の人々と親交を結び、日々の観察と思索を膨大な量の日記として残した。
作品には、兄のジョンJohn Thoreau Jr. (1815―1842)と1839年に行ったボート旅行をモチーフにした随想と詩『コンコード川とメリマック川での1週間』(1849)と、ウォールデン池畔に小屋を建て、自然の啓示を受けて単純素朴に生きる実験を行った2年2か月の生活を、初夏から次の春までの1年分にまとめた『ウォールデン――森の生活』(1854)がある。ソローは具体的事物を細かく観察したが、事物を単に事実としてのみ見ずに、ウォールデン池について、「この池が一つの象徴として深く清純に創(つく)られていることを私は感謝している」「私が池について観察したことは、倫理においても真実である」と説くように、具体的事物のかなたに普遍性を読み取ろうとした。それが「自然の崇高な啓示を受ける」ことにほかならず、このためには、観(み)る行為が正確で純粋でなければならないと同時に、観察した事象について時間をかけて思索する必要があった。ソローは1862年5月6日、44歳で死んだが、思索を十分練らないままに残された旅行記は、『メイン州の森』(1864)、『ケープコッド』(1865)、『カナダのヤンキー』(1866)の3冊にまとめられ、それぞれ死後刊行された。
ソローはまた若いころから家族ぐるみで奴隷制に反対し、奴隷制を許す体制を批判して人頭税納付を拒み続け、1846年7月投獄された。1日で釈放されたが、このときの体験がのちに『市民としての反抗』としてまとめられた(1849)。個人の良心に基づく不服従を説き、「まったく支配しない政府が最上の政府である」と主張するこの書物は、のちにガンジーやキング牧師に愛読された。
[松山信直 2015年10月20日]
『東山正芳著『ヘンリー・ソーロウの生活と思想』(1972・南雲堂)』▽『酒本雅之著『支配なき政府――ソーロウ伝』(1975・国土社)』
アメリカの経済学者。ニューヨーク市ブルックリンに生まれる。ハーバード大学に入学したが、第二次世界大戦中は陸軍に所属、終戦後の1945年に復学してW・レオンチェフに経済学を学び、1947年に卒業、1949年に修士号、1951年に博士号を同大学で取得した。1950年からマサチューセッツ工科大学(MIT)に勤務し、1958年教授に昇格した。1961年にジョン・ベーツ・クラーク賞を受賞、同年第35代大統領ケネディの経済諮問委員会委員、1964年に計量経済学会会長、1979年にアメリカ経済学会会長を務めた。
ソローは、統計学と経済成長モデルを研究し、新古典学派成長論を展開した。従来の経済成長論は資本・生産比率などを固定化したため、均衡成長に至るまでの経路が不安定になると主張した。彼はそれらの固定化を排し、資本と労働の間に代替性があり、一定の割合で成長していく恒常状態に達するとした新しい均衡成長論を提唱した。さらに技術進歩の重要性を主張し、技術進歩を計測的にとらえ、それを経済成長理論に取り入れた成長モデルをつくりあげた。このような生産と福祉の増大をもたらす「経済成長の諸要因を理論的に分析し、新古典派成長理論の基礎的枠組みを構築」した業績に対して、1987年のノーベル経済学賞が与えられた。
インフレーションと失業をめぐるフィリップス曲線の分析でも知られている。
[金子邦彦]
『ロバート・M・ソロー著、福岡正夫訳『成長理論(第2版)』(2000・岩波書店)』
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1817~62
アメリカの思想家。超越主義者エマソンらと親交を持ち,自然との共存思想を実践した先駆者。奴隷制にも反対し,『市民的不服従』(1849年)はガンディー,キング牧師らに思想的影響を与えた。主著『ウォールデン』(54年)。
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… 他方,1950年代には,ワルラスの構想した一般均衡モデルに有意な解の存在することが数学的に証明され,60年代には市場均衡の安定性を保証する条件がつきとめられた。またソローRobert Merton Solow(1924‐ )は,価格機構に導かれて生産における要素間の代替がスムーズに起こり,さらに貯蓄と投資の均等ももたらされるとする新古典派経済成長モデルを提示し,経済が自然的成長率経路へ安定的に収束する姿を描いてみせた(新古典派的成長理論)。 これに対して,J.ロビンソン,N.カルドア,P.スラッファ,L.パシネッティらのポスト・ケインズ派(ポスト・ケインジアン)は新古典派に対する強力な批判を展開した。…
…一つの解決は,〈資本財〉と〈資本価値〉とを区別することである。また,所得の源泉として貨幣価値をもつ資産に資本の語を限定して用いるべきであるという,20世紀初頭におけるフェッターFrank Albert Fetter(1863‐1949)の考え方や,資本理論の中心概念は利子率であるとして資本概念を資本理論から追放しようという,1960年代におけるR.M.ソローの考え方もある。もともと,資本を用いる生産は多くの異なる側面をもっている。…
… 最近の例は,第2次大戦後とくに50年代半ばから60年代終りにかけて,経済成長理論の発展に伴って生じた一連の論争である。それは主として,J.ロビンソンをはじめとするイングランドのケンブリッジ大学の経済学者と,R.M.ソローをはじめとするアメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学の経済学者のあいだに交わされた論争であるため,ケンブリッジ(資本)論争Cambridge controversies in the theory of capitalと呼ばれる。 それまでの数々の資本論争の再現ともいえるこの論争の根底には資本主義経済における生産と分配そして資本主義経済の発展自体を,どのような角度から分析するかについての対立がある。…
… 他方,1950年代には,ワルラスの構想した一般均衡モデルに有意な解の存在することが数学的に証明され,60年代には市場均衡の安定性を保証する条件がつきとめられた。またソローRobert Merton Solow(1924‐ )は,価格機構に導かれて生産における要素間の代替がスムーズに起こり,さらに貯蓄と投資の均等ももたらされるとする新古典派経済成長モデルを提示し,経済が自然的成長率経路へ安定的に収束する姿を描いてみせた(新古典派的成長理論)。 これに対して,J.ロビンソン,N.カルドア,P.スラッファ,L.パシネッティらのポスト・ケインズ派(ポスト・ケインジアン)は新古典派に対する強力な批判を展開した。…
…そこでは俗なるものも聖なるものとなり,聖と俗の二分法が崩され,詩は霊界からのメッセージとなる。彼に親炙(しんしや)したソローは,エマソンの説を自ら森の中の生活によって実践,その記録《ウォールデン》(1854)で物質主義化したアメリカに警鐘を鳴らした。またホイットマンは詩集《草の葉》(初版1855)で,あらゆるものの中に聖なるものを見るエマソン思想を発展させ,アメリカとアメリカの人間の生命を力強くうたった。…
…アメリカの思想家ソローの主著で1854年刊。《森の生活》ともいう。…
…行動の代表に納税や兵役の拒否がある。 市民的不服従という語は,しばしばアメリカのH.D.ソローと結びつけて語られる。1846年,アメリカ・メキシコ戦争の時,ソローはこの戦争が奴隷制拡大を目的としていると考え,その政府に税金を払うことは市民として拒むという態度をとり,わずか1日だが投獄された。…
…超越主義,超絶主義と訳す。エマソンの《自然》(1836)出版後,彼の周囲に集まったユニテリアン派の牧師たち(ヘッジFrederic H.Hedge,T.パーカー,リプリーGeorge Ripley,W.E.チャニングら),随筆家H.D.ソロー,教育家A.B.オールコット,批評家S.M.フラー,詩人チャニングWilliam E.Channing,ベリーJones Veryなどがその代表者である。彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。…
…その抵抗も受動的でなく能動的であり,ガンディーがインドの伝統の中からつくりだしたサティヤーグラハとは〈真理と愛もしくは非暴力からする力〉を意味した。ガンディーは非協力は大衆行動,不服従は選良だけが行えると区別したが,後者はアメリカ人ソローの〈市民的不服従〉から学んだといわれる。ソロー,トルストイ,ガンディーらがつくりあげ,とくにガンディーが民衆運動として確立した非暴力抵抗の原理・規律・形態をうけつぎ発展させたのが,キングらの差別撤廃運動だった。…
… K.マルクスは階級的支配の機関として国家をとらえ,その消滅が人類解放の条件と説いたが,その理論は誤って継承され,国家の永続性を前提とする社会主義的統制国家への道をひらいた。アメリカでは建国期から反国家の思想は存在したが,その代表はH.D.ソローである。彼はメキシコとの戦争や奴隷制に反対し,納税を拒否したため投獄されたこともある。…
※「ソロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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