ソ連の市場経済移行計画(読み)ソれんのしじょうけいざいいこうけいかく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソ連の市場経済移行計画」の意味・わかりやすい解説

ソ連の市場経済移行計画
ソれんのしじょうけいざいいこうけいかく

1985年ゴルバチョフ政権が成立して以来,中央指令・官僚統制による計画経済を緩和し,市場経済を導入する方向で,87年外国貿易の自由化,88年国営企業の部分的な独立採算性の導入が進められたが,これは従来の計画経済の枠組みの中での手直しという性格のものであった。こうした経済改革を行なったものの状況が好転しなかったことから,90年に入ってから市場経済への本格的な移行の動きが出て,その考え方をめぐっては2つの立場が対立した。一つは,ルイシコフ首相が提唱した連邦政府案であり,連邦政府や共産党の中央指令や官僚統制を残しつつ,上から5年程度の時間をかけ市場経済を漸進的に指導・育成していくものであり,土地生産手段所有形態はあくまで国家所有を基本とするというものである。もう一つは,シャタリン大統領会議委員が取りまとめ,エリツィン・ロシア共和国最高会議議長がロシア共和国だけでこの経済改革を実施すると表明した急進的な 500日計画 (別名シャタリン案) である。こちらは主権国家である共和国が主体であり,500日という短期間で一気に市場経済への移行を達成するもので,土地や生産手段をはじめ,あらゆるものに対する私的所有を基本としている。ゴルバチョフ大統領は,当初この 500日計画を大幅に採用しようとしたが,ルイシコフ首相を中心とする保守派抵抗に遭ったためこれを断念し,連邦政府案との調整に入った。その結果,90年 10月 16日に 500日計画をベースに連邦政府案の一部を取り入れて調整した「国民経済安定化と市場経済移行の基本方向」を連邦の最高会議に提出し,19日に採択された。ところが,その後のソ連政治の保守化に伴い,連邦で採択された計画は中央集権的な色彩が濃厚となり,その実施も遅々としたものになった。

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