タリバン(読み)たりばん(英語表記)Taliban

翻訳|Taliban

日本大百科全書(ニッポニカ)「タリバン」の解説

タリバン
たりばん
Taliban
Taleban

アフガニスタンを中心に活動するイスラム過激派組織。宗教的・政治的・経済的目的のためにテロ、殺人、暴力、誘拐をいとわないスンニー派武装勢力である。Taliban(Taleban)とは、アフガン人(パシュトゥン人)の言語であるパシュトー語で「イスラム教を学ぶ神学生、求道者」の意味。1994年、アフガニスタン南部で誕生し、イスラム原理主義による国家統治を掲げ、1996年にアフガニスタン・イスラム首長国(The Islamic Emirate of Afghanistan)を樹立した。しかしアメリカ同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンをかくまったとして、2001年、アメリカを中心とする国際有志連合軍によるアフガニスタン侵攻で政権の座を追われた。その後、アフガニスタン政府や外国駐留軍への抵抗を続け、2021年、アメリカ軍の全面撤退を機に政権を再奪取した。日本の公安調査庁によると、アフガニスタン全域のほかパキスタン西部などに勢力を広げ、勢力の総数は約10万人。

[矢野 武 2022年2月18日]

アフガニスタン

旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗したアラブ諸国義勇兵(ムジャヒディン)同士の争いが激化するなか、1994年、初代最高指導者となったムハンマド・ウマルが神学生を中心に武装グループを組織してタリバンが誕生した。もともと、神学生の世直し運動として始まり、欧米への明確な敵意をもってはいなかったが、1997年にオサマ・ビンラディンらを保護下に入れてその世界観に影響され、欧米諸国や国連に対して挑発的な態度をとるようになった。1996年以降2001年までの政権掌握時には、国際社会の意見に耳を貸さず、民主主義を否定し、偶像崇拝、女性の教育、飲酒、音楽鑑賞などを禁じ、世界遺産のバーミヤン仏教遺跡群の一部を爆破した(1998)。2021年の政権奪取後は、かつてアメリカ軍の侵攻で政権を追われた経験から、アメリカ、ロシア、中国などと外交協議も展開しているが、イスラム法に基づく宗教警察「勧善懲悪省」による市民監視や取締りを続けている。アフガニスタン南部・ヘルマンド州を主要拠点とし、全34州に統治機構をおく。

[矢野 武 2022年2月18日]

パキスタン

イスラム過激派である「パキスタンのタリバン運動」の拠点がある。2007年発足。タリバン支持勢力の連合体で、イスラム法による統治やパキスタン政府・軍の打倒を目ざす武装集団である。現地ウルドゥー語での名称(Tehrik-e Taliban Pakistan)は「パキスタンの学生運動」を意味し、略称TTPのほか、「パキスタンのタリバン」「パキスタンのタリバーン運動」などと表記される。日本の公安調査庁によると、武装勢力の人数は3000~5000人。アフガニスタンのタリバンと密接な関係にあり、パキスタン政府・軍の関連施設、政党関係者、教育関係者、アメリカや同国を支援する諸国の施設を攻撃対象にテロ活動を繰り返し、アメリカ、国連などはテロ組織に指定、制裁対象としている。女性の社会進出や女子教育を敵視し、2012年には、女子学生マララ・ユスフザイ(2014年にノーベル平和賞受賞)を銃撃した。

[矢野 武 2022年2月18日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「タリバン」の解説

タリバン
Ṭālebān; Taliban; Taleban

アフガニスタンで台頭するイスラム原理主義組織。名称は「神学生たち」の意。1979年末のソビエト連邦侵攻に始まるアフガニスタン紛争とその後の国内混乱を逃れ,パキスタン北部の難民キャンプのマドラサ(イスラム神学校)で教育を受けたパシュトゥン人の学生を中心に,1994年アフガニスタン南部のカンダハール州で活動を開始した。地域の軍閥や武装集団を制圧して安定をもたらしたことから住民の支持を集め,また海外の保守的なイスラム勢力の支援を得て,西部にも勢力を拡大,1996年後半にはブルハヌディン・ラバニ大統領の政権を駆逐して首都カブールを制圧し,国土の大半を実効支配した。女性の教育や就労を禁ずるなど厳格なイスラム法(シャリーア)を適用し,2001年には偶像崇拝がイスラムの教えに反するという理由でバーミアーンにある貴重な仏教遺跡バーミアーン石窟を破壊,国際社会の非難を浴びた。2001年9月11日に発生したアメリカ同時テロ事件の首謀者と目されたアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンを庇護していたことを理由に,タリバンはアメリカ軍とイギリス軍の激しい空爆を受け,同年 12月に政権が崩壊した。しかし,指導者ムッラー・ムハンマド・オマルのもと,アヘンの取り引きなどを通じて得た資金をもとに,アメリカ軍,北大西洋条約機構 NATO軍に抵抗を続けた。2015年7月,アフガニスタン政府はオマルが 2013年にパキスタンの病院で死亡していたと発表,まもなくタリバンもその事実を認めた。後継指導者にムッラー・アフタル・マンスールが立ったが,2016年5月にアメリカ軍の空爆を受けてパキスタンで死亡した。同月末にハイバトゥラー・アクンザダがあとを継いだが,おもな役割は政治と宗教の領域にとどまり,軍事部門はタリバンの副指導者で,下部組織ハッカーニ・ネットワークを率いるシラジュディン・ハッカーニが担うことになった。中央政府による全国支配が進展しないなか,ハミド・カルザイ政権,続くアシュラフ・ガニ政権はタリバンとの交渉を模索,一方のタリバンは中央政府の正当性に疑義を呈し,アメリカ合衆国との交渉を求めた。2018年タリバンとアメリカ政府はアラブ首長国連邦 UAE,サウジアラビア,パキスタンを仲介国に,おもに駐留アメリカ軍の撤退に関する交渉を開始,2019年7月には中央政府も交渉に参加し,将来的な和平交渉における一般原則を確認した。同年 9月初旬にはタリバンとアメリカが基本合意に達したことが報じられたが,カブールで発生したタリバンによるテロでアメリカ軍兵士が死亡したことにより,その後の交渉は一時頓挫した。2020年2月29日,アメリカは署名後 10日以内の中央政府との和平交渉開始,アルカイダやイスラム国 ISなどのテロ組織を国内で活動させないことをタリバンに約束させ合意文書に署名,14ヵ月以内の完全撤収を目指して翌 3月から段階的撤収に着手した。一方,タリバンと中央政府との和平交渉は捕虜交換をめぐる対立により遅延し,同年 9月12日にその第1回が始まったものの進展をみせなかった。そうしたなか,アメリカは 2021年4月に,当初 5月1日であった撤収期限を 9月11日(のちに 8月31日に前倒し)までに延期すれど,完全撤収の遂行を約束した。撤収作業により軍事的空白が生じるなか勢いづいたタリバンは,同年 6月下旬以降,各地の主要都市を次々と制圧し,8月中旬にはカブールを掌握,ガニ政権を追い落とし全土を支配下においた。(→アフガニスタン史

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス「タリバン」の解説

タリバン

《Taliban》アフガニスタンのスンニ派イスラム過激組織。1994年11月、パキスタンとアフガニスタンの国境付近にあったイスラム神学校の学生を中心に結成。組織名はアラビア語で「神学生」の意。1996年、アフガニスタンで政権を樹立するが、2001年アメリカで発生した同時多発テロの首謀者、オサマ・ビン・ラディンを保護したとしてアメリカから攻撃を受け、政権崩壊。以後、駐留米軍、アフガニスタン政府を標的とするテロを多数実行。2013年、アメリカ政府との和平交渉が始まるも不調、アフガニスタン政府との間での攻防が続いている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

精選版 日本国語大辞典「タリバン」の解説

タリバン

〘名〙 (Taliban)⸨タリバーン⸩ (アラビア語でイスラム神学生および求道者の意) パシュトゥン人のイスラム神学生を中心にアフガニスタンに結成されたイスラム原理主義組織。一九九四年にアフガニスタン北東部を除く全土を制圧したが、二〇〇一年米英軍の武力攻撃を受けて政権は崩壊し、ゲリラ活動を続けている。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉「タリバン」の解説

タリバン(Taliban)

タリバーン

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

今日のキーワード

粉骨砕身

骨を粉にし、身を砕くこと。力の限り努力すること。一所懸命働くこと。[活用] ―する。[使用例] こうなったら、粉骨砕身、身をなげうって社長の政界入りをお手助けせにゃあ[三島由紀夫*近代能楽集|1950...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android