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タルクイニア Tarquinia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タルクイニア
Tarquinia

イタリア中西部,ラツィオ州北西部,ビテルボ県の都市。ローマ北西約 80km,チレニア海岸から 7km内陸に位置する。北東 2kmの丘上にあるエトルリアの遺跡で知られる。前8世紀には,すでにエトルリア文化が成立。前6世紀のエトルリア 12都市同盟で指導的役割を果たした。前4~3世紀に最盛期を迎え,鉱物資源や,青銅器,陶器などの工芸に加え,帆布用の亜麻布で知られた。前 351年にローマに敗れ,前 181年にその植民都市となった。そののちは,塩,ワイン,サンゴの集散地となったが,5世紀のマラリアの流行,6世紀のランゴバルドの侵攻などで衰退。数千の墓 (前6~4世紀) や内部のフレスコ壁画,エジプト王ボッコリス (前8世紀) の名を刻んだ壺などは,エトルリア遺跡,遺物のなかでも,特に知られている。これらの遺跡群は,2004年チェルベテリ遺跡とともに世界遺産の文化遺産に登録された。国立タルクイニア博物館 (旧ビテレスキ宮殿) はエトルリア遺物の展示で名高い。人口1万 3784 (1991推計) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

タルクイニア【Tarquinia】

イタリア,ローマの北西約80kmにあるエトルリアの古代都市。古代名はエトルリア語でタルクナTarch(u)na,ラテン語でタルクイニイTarquinii。エトルリア12都市同盟の中心的都市国家であり,前8世紀から前5世紀まで栄えた。最初に定住したのは鉄器時代初期のビラノーバ文化を担った人々で,前8世紀にエトルリア人が都市国家を形成した。ヘロドトスによれば,トロイア戦争直後にリュディアからエトルリア人を伴ったテュルセノスの兄弟タルコンによって建設されたという。

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世界大百科事典内のタルクイニアの言及

【エトルリア美術】より

…スフィンクス,グリフォンなどの動物文,ロータス文,ロゼット文などの植物文にこの時代の東方的要素を見ることができる。この時代は,鉱物資源の開発やギリシアおよび東方との貿易によって経済基盤の確立した時代でもあり,ベイオ(ウェイイ),タルクイニアチェルベテリ,それにブルチVulciなどの都市が発展し,豊かな副葬品を伴う墓(カンパーナの墓,レゴリーニ・ガラッシの墓など)が数多く造られた。またローマを中継地とする〈塩の道〉によって南イタリアのギリシア美術とも直接的な接触をもち,前7世紀後半から,コリント式陶器を模した陶器も製作されるようになった。…

【ブッケロ】より

…南イタリアや北アフリカからの出土は,エトルリア人との交易活動を証明している。主たる製作地はタルクイニア,ブルチ,チェルベテリなどである。【青柳 正規】。…

※「タルクイニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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