だっと(読み)だっと(英語表記)Rajani Palme Dutt

精選版 日本国語大辞典 「だっと」の意味・読み・例文・類語

だっ‐と

  1. 〘 副詞 〙 重い物が落ちたりぶつかったりする音、また、勢いよくとび出すさまなどを表わす語。
    1. [初出の実例]「あたまからもんどり打って、だっと下に」(出典:鷹(1953)〈石川淳〉三)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「だっと」の意味・わかりやすい解説

ダット(Rajani Palme Dutt)
だっと
Rajani Palme Dutt
(1896―1974)

イギリス共産党指導者、ジャーナリストインドに関する著作でも知られる。カルカッタ(現コルカタ)の名門ダット一族出身のインド人医師を父、スウェーデン人を母としてケンブリッジに生まれる。R・C・ダットは祖父の兄弟。貧民の医者として労働者街に住んだ父の家は、訪英インド民族主義者のたまり場であった。オックスフォードのバリオール・カレッジ在学中に独立労働党に入党(1914)、マルクス主義者反戦運動に参加、投獄され退学処分を受ける。まもなく復学し優秀な成績で卒業(1918)。イギリス共産党創立に参加(1920)、『レイバー・マンスリー』を創刊、編集者となる(1921~1974)。党機関紙『ワーカーズ・ウィークリー』(1922~1924)、『デーリー・ワーカー』(1936~1938)の主筆、党執行委員会委員(1923~1965)、同副議長(1943~1961)、党副委員長(1961~1965)を歴任。第7回コミンテルン大会で執行委員候補となり(1935)、B・ブラッドリーとともにインドの統一戦線強化を訴えた『ダット‐ブラッドリー・テーゼ』を執筆(1936)。独立前夜初めてインドを訪れカルカッタのメーデー大会で演説(1946)。著書その他を通じてインド共産党発展に大きな影響を与えた。終生一貫して旧ソ連共産党を擁護した。

[古賀正則]

『石沢新二訳『マルクス主義者の見たインド』(1927・叢文閣)』『松原宏訳『ファシズム論』(1936・叢文閣)』『松原宏・庄司登訳『世界政治論』(1937・叢文閣)』『新時代叢書刊行会編『大英帝国の危機――崩れゆくイギリス帝国の分析』(1951・新時代社)』『大形孝平訳『現代インド』(1956・岩波書店)』


ダット(Romesh Chander Dutt)
だっと
Romesh Chander Dutt
(1848―1909)

植民地下インドのインド人行政官政治家、経済史家。カルカッタ(現、コルカタ)の著名な作家・教育家の家系に生まれる。父は副知事。カルカッタ大学在学中ロンドンに赴き(1868)、インド高等文官試験に合格(1869)、最初のインド人高等文官となる。49歳のときオリッサ(現、オディシャ)の行政官を最後に退職(1897)。ロンドン大学のインド史講師を務め(1898~1904)、その間インド国民会議派議長(1899)となる。帰国後、バローダ藩王国蔵相を務めた(1904~1907)。19世紀インドの経済史に関する著作『ビクトリア期イギリス領インド経済史』は今日でもその価値を失わない。ベンガル農民、インドの飢饉(ききん)、インド文化史に関する著作、インド古典の翻訳、ベンガル語の小説でも知られる。61歳カルカッタで死去。

[古賀正則]

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改訂新版 世界大百科事典 「だっと」の意味・わかりやすい解説

ダット
Michael Madhusūdan Datta
生没年:1824-73

インドの詩人で,ベンガル語近代詩を確立した。東ベンガル(現在のバングラデシュ)ジェソール県生れ。カルカッタのヒンドゥー・カレッジに学び,英語での詩作に励む。19歳のとき,キリスト教に改宗。1848年から8年間マドラスで教職に就くかたわら英語の著作活動を続けるが,やがてその限界を悟り,カルカッタに戻って後,ベンガル語の詩,劇の創作に打ち込む。ヨーロッパ詩の影響の下に無韻の叙事詩,劇やソネットをベンガル語で書き,近代人の屈折した感情を表現するのに成功した。叙事詩《メグナード殺しMeghnādbadh》(1861)は彼の最高傑作であるとともにベンガル近代詩最初の収穫である。62年,念願の渡欧,辛苦のすえ弁護士の資格を取って帰国するが,晩年は極貧のうちに過ごした。代表作に風刺劇《これが文明というものか?》(1860),歴史劇《クリシュノクマリ》(1861),渡欧中の作品《十四行詩集》(1866)等がある。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「だっと」の解説

ダット
Romesh Chunder Dutt

1848~1909

インドの行政官,文筆家。ベンガル出身。スレンドラナト・バナジーらとともにイギリスに留学。1871年にインド高等文官職試験に合格し,97年に退官した。99年には,国民会議派ラクナウ大会の議長に選出された。流出理論にもとづき,民族主義の立場から書かれた『インド経済史』2巻(1901~03年)は名著の誉れが高く,今でも読み継がれている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「だっと」の意味・わかりやすい解説

ダット
Dutt, Rajani Palme

[生]1896.6.19. ケンブリッジ
[没]1974.12.20.
イギリスのジャーナリスト,政治家。 1920年イギリス共産党の創立に参加し,22~65年党政治局員,43~65年には党副委員長をつとめるなど,指導者として活躍。 21年には『レイバー・マンスリー』を創刊。父親がインド人であったため,イギリスのインド人留学生に大きな影響力をもち,インド共産党に対する影響も甚大であった。著書は"India Today" (1940) ,『現代インド』 India Today and Tomorrow (56) など多数。

ダット
Dutt, Romesh Chunder

[生]1849
[没]1909. カルカッタ
インドの歴史学者。学者の家に生れ,カルカッタ大学に学んだあと,イギリスで勉学を続け,1869年にインド高等文官試験に合格した。帰国後インド政庁の官吏となり,26年間主として地方の行政・徴税官を歴任した。退職後は歴史と経済に関する多くの著書を著わし,特にイギリス植民地時代経済史に関する2巻本 (1901~02) は,インド人の経済史研究の先駆的業績であり,ほかにインド古代文明史の研究も行なった。

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普及版 字通 「だっと」の読み・字形・画数・意味

【脱】だつと

速く逃げだす。

字通「脱」の項目を見る

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367日誕生日大事典 「だっと」の解説

ダット

生年月日:1896年6月19日
イギリスの共産党指導者,ジャーナリスト
1974年没

ダット

生年月日:1848年8月13日
インドの歴史家,文学者
1909年没

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