ダライラマ(英語表記)Dalai bla ma

改訂新版 世界大百科事典 「ダライラマ」の意味・わかりやすい解説

ダライ・ラマ
Dalai blama

1642年にチベットの主権者となったデープン寺住持の歴代転生者に対する俗称。チベットの教化主とされる観音菩薩化身が転生しているものと民間に信じられている。ツォンカパの開宗したゲルー派仏教が急速に発展して従来の諸派と対立し,それぞれ東西の有力民族と結託して抗争した。ゲルー派の抵抗運動を組織したゲンドゥン・ギャツォ没後,勢力結束の象徴として,反対派の習慣にならってその転生者が選ばれた。この転生活仏ソーナム・ギャツォは1578年青海に赴いてモンゴルアルタン・ハーンと会い,ダライ・ラマ称号を受けた。ダライはその名の一部ギャツォ(大海)に対するモンゴル語である。彼がモンゴリア布教中に没すると,ゲルー派はアルタン・ハーン系の軍事力を頼みとして,その甥の子を新しい転生者に選び,その没後はオイラート部のグシ・ハーンと結託して,当時のチベット政府を滅ぼし,新転生者ロサン・ギャツォを主権者としてダライ・ラマ5世に数え,さかのぼって初代を追加した。

 5世は古派仏教の信奉者として多くの著作を遺したが,晩年モンゴルの支配をめぐって清朝と対立し,恋愛詩人の6世は清に拉致されて途中青海で没した。清はその権威を否定しようと試みたが,民衆の抵抗にあい,やむなく彼の転生者とされた7世を認めた。7世は晩年,駐蔵大臣殺害事件の処理を評価され,1751年(乾隆16)から駐蔵大臣監視を条件に政権の再発足を許された。8世は政治に関心がなく,権力の独占を摂政などに許したので,実権継承の暗闘が続き,9世から12世までのダライ・ラマは夭折させられる難にあった。13世トゥプテン・ギャツォはロシア,イギリスと清朝の外交政策翻弄(ほんろう)されながらむなしく独立を叫んで亡命を重ね,帰国後パンチェン・ラマ6世と対立し,後者に中国亡命を余儀なくさせた。これが原因となって中国との仲がこじれ,14世は1954年以来中国と対立してインドに亡命している(14世は89年ノーベル平和賞を受賞)。
チベット問題
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダライラマ」の解説

ダライラマ
Dalai bla ma

1578年,モンゴルのアルタン・ハーンゲルク派高僧ソナムギャムツォを青海地方に招いて奉じた称号の省略形。ソナムギャムツォの名前の後半部分ギャムツォのモンゴル語訳「ダライ」に,高僧を意味するチベット語「ラマ」を組み合わせた語である。のちに二人の前世者もダライラマと呼ばれるようになったため,ソナムギャムツォはダライラマ3世と通称される。ダライラマ5世に至ってダライラマ位はチベットの最高権威者となり,その影響力はチベットばかりかネパール,モンゴル,満洲の人々にまで及んだ。

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世界大百科事典(旧版)内のダライラマの言及

【活仏】より

…はじめカルマ,カーギュという2派の法主がこの方法で選出され,宗派意識の高揚に役立ったところから,この2派と対立したゲルク派が16世紀半ばに宗派的結束を図ってデープン寺住職の転生者を選んだ。これがダライ・ラマ転生の初めである。その後,活仏を選んで教法の系統を相続させる方式が普及し,客観的な証拠のないことと遺産相続を伴うところから選定がしばしば歪曲されたので,清朝支配下では金瓶に入れた名票を抽選させる対策がとられたこともあった。…

【タシルンポ寺】より

…中国チベット,ツァン地方シガツェにあり,ゲルー派四大寺の一つ。ツォンカパの弟子で,後代ダライ・ラマ1世とされたゲンドゥン・トゥプパにより1447年に建立され,政権を樹立したダライ・ラマ5世によりパンチェン・ラマ1世の没(1662)後,その転生者が住持するように定められた。三つの仏教哲学研修学堂と一つの密教実践道場があり,20世紀初めころは僧徒3500を擁したといわれる。…

【チベット】より

…結局,西部勢力が軍を動かして東部に圧力を加え,ツォンカパが創始してゲルー派が主催し続けていたラサのムンラム大祭からゲルー派を締め出すなどの実力行使に及んだ。ときに,後年ダライ・ラマ2世に数えられるゲンドゥン・ギャツォ(1475‐1542)が現れてゲルー派の支援勢力を糾合し,対抗措置を講じて1518年にそれらの権益を回復し,ラサ近郊のデープン寺の住職になった。このような争いが終わりきらないうちにこの傑僧が没した。…

【補陀落山】より

…一種の霊地として描写され,仏教圏の各地にこれにちなむ地名が生じた。チベットでは観音の化身とされるダライ・ラマの宮殿がポタラ宮と名づけられた。【定方 晟】。…

【レポン寺】より

…一般にデープン寺という。1622年にダライ・ラマ5世が住持して以来ダライ・ラマ専住の僧院となった。三つの顕教学堂と一つのタントラ道場をもつゲルー派中最大規模の僧院である。…

※「ダライラマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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