翻訳|Tibetan
中華人民共和国のチベット(西蔵)自治区(主都ラサ),青海省,四川省西部,甘粛省南部,雲南省北部,およびブータン,ネパール,インドのヒマラヤ地帯に分布するチベット族の言語。チベット語(ラサ方言)ではプケェbod skad(ローマ字は原則としてチベット文字によるつづりのローマ字転写)という。プゥbodは〈チベット〉,ケェskadは〈言語〉の意。パキスタンのカシミール地区,バルーチスターン地方のバルティーBalti語もチベット語の方言と認められる。チベット族の人口は,中国領内に387万(1982),その他に80万~100万と推定される。
広大な地域への拡散の歴史が古く,方言差が著しいが,五つの方言群に分類される。分類名とおもな分布地域は,(1)中央部方言(ラサを中心とするウュ(衛)dbus地方,シガツェを中心とするツァン(蔵)gtsang地方の名をとってウーツァンdbus gtsang方言ともいう):チベット自治区,(2)東南部方言(カム(康)khams方言ともいう):チベット自治区那曲・昌都地区,四川省甘孜・阿壩チベット(蔵)族自治州,雲南省迪慶チベット(蔵)族自治州,青海省玉樹チベット(蔵)族自治州,(3)東北部方言(アムド(安多)amdo方言ともいう):青海省,甘粛省甘南チベット(蔵)族自治州・天祝チベット(蔵)族自治県,四川省甘孜・阿壩チベット(蔵)族自治州,(4)西部方言:先のバルティー語のほかは,インドのカシミール地区ラダック地方,ヒマーチャル・プラデーシュ,(5)南部方言:ヒマーチャル・プラデーシュ,ウッタル・プラデーシュ,ネパール,シッキム,ブータン。ネパールのシェルパSherpa語,ブータンの国語ゾンカDzongkha語などは南部方言に含まれる。
系統的には,シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属し,ネパールに分布するヒマラヤ諸語,四川省に分布するギャロン(嘉戎)語,チャン(羌)語などとともに,その下位語群,チベット語群を形成すると考えられるが,語群内諸言語との系譜関係についても諸説がある。
チベット語は,7世紀,中国史料によるところの〈吐蕃〉王国の創始者ソンツェン・ガンポ王の時代に,インド系文字を範とし,当時の,おそらくは中央チベットのいずれかの方言の発音に基づいて考案された表音文字,チベット文字によって書写されるようになった。現存チベット語文献の最古層は8~9世紀にさかのぼり,ラサにある〈シューZholの石柱碑〉(780前後),〈唐蕃会盟碑〉(823)などの碑文のほか,敦煌,トゥルファン出土の,数千点に達する文書があるが,その内容はサンスクリット仏典の翻訳,年代記,法律・商業・卜(ぼく)暦・医薬関係など多岐にわたる。その書写チベット語は,書写された時期,地域により多少の差異があり,つづり字にも不統一が見られるが,それによって当時の口語の状態を推定することができる。9世紀にはいり,主として仏典の翻訳を整備するため,正書法(つづり字法)を定め,サンスクリットの形態に従って訳語を定め,翻訳仏典の集大成《チベット大蔵経》の主要部分が成立した。いわば制定された,《大蔵経》のチベット語文語を〈古典チベット語〉という。以後,仏典の翻訳も続けられたが,チベット人自身の著作活動が,各時代に,宗教とくに仏教をはじめ,各分野について盛んに行われ,その著作の大部分は大蔵経を含め木版印刷により伝えられた。それらの文献は翻訳大蔵経に対し,〈蔵外文献〉といい,その言語は,執筆の時代・地域の口語を反映し,また内容により多少の差異が認められるが,古典チベット語の文法を基礎に成立した文語で,つづり字もほぼ一定している。1950年代以降,中国のチベット解放に起因する政治・社会情勢の変化に対応し,中国,インド,ブータンにおいて,口語の発音に基づく正書法の一部修正,口語文法の導入,単語の新造により現代文語が成立しつつあるが,文語と口語との差異は,方言によりその程度は異なるとはいえ,かなり大きく,とくに,前出のいくつかの地名等も示すように,単語のつづり字と発音との差異は著しい。
9世紀から現代まで,口語の変遷に関係なく,ほとんど根本的な修正を受けずに伝承されてきたチベット文語のつづり字には,文字が作られた7世紀のチベット語の音韻構造を反映して,音節の頭に2~4個の,音節の末尾に2個の,子音群を表す子音の結合が書かれることがあるが,中央部方言,東南部方言,南部方言ではほとんど子音群が消え,そのかわりに声調が発達した。たとえば,中央部方言に属し,最も標準的な口語とみなされるラサ方言の音節構造は,CV(C=子音音素,V=母音音素),CVV(VVは同じ母音音素の連続),CVCの3種類,CVには高平[⁻],低昇り[ ´]の2型,CVV,CVCにはそのほかに高降り[ `],低昇り降り[ ^]の2型が加わって4型の声調,2音節の単語では同様の4型の単語高さアクセントが認められる。一方,東北部方言,西部方言には,古形を保存して子音群が認められるが,声調は認められない(表1参照)。
チベット語の形態構造は,単音節語的傾向があり,単語は多く1音節から成るか,1音節の語幹・接辞に分析できる。例,ラサ方言(/ /内は音韻表記,カタカナ表記は便宜的なもの):/ ´ca/チャbya〈鳥〉,/ ´capo/チャポbya pho〈雄鳥〉,/ ´camo/チャモbya mo〈雌鳥〉,/ ´casha/チャシャbya sha〈鳥肉〉,/⁻sha/シャsha〈肉〉。動詞語幹もすべて1音節で,文語では原則として現在形・未来形・過去形・命令形の四つの替変形式があるが,口語ではより単純な替変形式が対応する(表2参照)。時制・相・格などの文法範疇は,語順によるほか,動詞語幹,名詞に主として後置される接辞・助詞・助動詞などによって示されることが多い。例,ラサ方言:/⁻kyhöra `khalaa ´saki ^yipää?/〈おまえ(は)・食事(を)・食べ・るか。〉,/⁻kyhera ki `söötsii `chöö baa?/〈あなた・は・お食事(を)・召し上がりまし・たか。〉,/ ^ngää ^sää-bá yi./〈私は・食べ-た。〉,/ `khöö ´thatà khalaa ´saki ^duu./〈彼は・今・食事(を)・食べて・いる。〉。語順は,主語+目的語+述語が原則であり,修飾語は被修飾語の後に置かれる。文語にも敬語形式が認められるが,とくにラサ方言では豊富な敬語形式と複雑な用法を発達させた。以上のほかに,少なくともラサ方言の特徴として,述語の表す動作・状態などの帰属する主体を,話し手が身近なものと感じて発話するかどうかによって〈近称〉と〈遠称〉の範疇が区分され,それぞれに異なる助動詞が呼応することを挙げておく。
執筆者:北村 甫
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チベット地方、カシミール地方、ブータン、ネパールなどに住むチベット人の言語。系統的にはビルマ語などとチベット・ビルマ語族をなすとされる。話し手人口は300万を超え、バルティ語、ラダック語(以上カシミール)、ラサ方言、ツァン方言(以上チベット中部)、アムド方言(中国青海省)、カム方言(中国貴州省南東部)その他数多くの方言に分かれる。文字は、7世紀にインド系文字に倣ってつくられた表音文字であるチベット文字を用い、正書法は現代ラサ方言などの発音とはかなり食い違っているとはいえ、明確な対応関係を示す。『西蔵(チベット)大蔵経』など膨大な文献が残っている。諸方言中、ラサ方言はその中心的なものであり、研究ももっとも進んでいる。以下、ラサ方言について述べる。
音韻的には八つの母音、日本語などよりかなり数の多い子音を有し、後者のなかには、無声流音や無声鼻音といった比較的珍しい音が含まれる。ただし、3種類ある無声鼻音はそれぞれただ一つの単語(または形態素)にしか出てこない。閉鎖音や破擦音は有気・無気の対立であるが、ほかに有声音を有する方言もある。音節構造は(子音+)母音(+子音もしくは同一母音)であるが、音節末子音の種類は少数に限定されている。アクセントは高低アクセントである。文法的にみると、文節のレベルでは、語順は日本語に酷似している。すなわち、述語が文末にたち、それ以外のものは述語の前にたつが、それらの間には文法的に決まった順序というものは認められない。形容詞はそれが修飾する名詞に後続するが、名詞を修飾する関係節は前にも後ろにもたちうる(若干、形が変異する)。助詞が名詞(句)に後置される点は日本語と同様である。述語の構造はさして複雑ではないが、用いられる助動詞のたぐいの意味はかなりむずかしい。これまた日本語に似て終助詞のたぐいがかなり豊富である。名詞は一音節語、二音節語が基本であり、動詞は複合語を除いて一音節語幹である。敬語が発達しており、名詞についてはその一部に存在するだけであるが、動詞については原則としてどの動詞にも対応する敬語動詞が存在する(ただしその多くは複合語となる)。日本語と異なり、話し相手を含む集団の行為を表す場合には、その集団に話し手本人が含まれていても、敬語表現を用いることが可能である。なお、チベット語をいわゆる能格言語に数える人がいるが、少なくとも現代ラサ方言に関する限り、それは皮相な見方である。
[湯川恭敏]
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…第3に,単語を用いるといってよいのか語形変化であるといってよいのか判然としない場合がある。たとえば,チベット語では,〈…の〉を表す場合,名詞が子音または長母音で終わっている場合には単語といえるものがつくが,短母音で終わっている場合には融合長母音に変化することによってそれが表される。kong(彼)→kong gi(彼の);nga(私)→ngää(私の)。…
…ミャンマーのチン特別地区に住むチン族の言語も動詞は面倒な形態変化や人称接辞をもち,また一部のチン語では口語体と文語体で違った構造を示している。漢語(中国語)は殷・周時代までさかのぼる記録をもつが,それ以外はチベット語が7世紀,ナム語(死語)が8世紀,西夏語(死語)が11世紀,ビルマ語が12世紀,シャム・ラオス語が13世紀までさかのぼれるのみで,ほとんどの言語は20世紀に入って文字言語となった。言葉の実態と歴史がよくわからなかったのが大きな原因となって,この語族の比較研究はなかなか進展しなかったが,最近は種々の報告が公にされ,研究が著しく進んだ。…
…漢字で蔵緬語派と書く。
[分類]
シナ・チベット(漢蔵)語族に属し,数個の語群,さらに語系に細分されるが,その分類にはまだ定説がない。かりに五つの語群と下位語系に分類し,代表言語とおもな分布地を以下にあげる。…
※「チベット語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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