ダンバー(英語表記)Dunbar

デジタル大辞泉 「ダンバー」の意味・読み・例文・類語

ダンバー(Dunbar)

英国スコットランド東部の港町。北海のフォース湾南岸に面する。米国国立公園の父と称されるジョンミューアの生家がある。13世紀末、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を破った場所として知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンバー」の意味・わかりやすい解説

ダンバー
Dunbar

イギリススコットランド南東部,イーストロージアン北東部の町。北海の入り海フォース湾の湾口部南岸にある。856年頃建設された城塞に守られて発展した町で,今日では観光業を中心に漁業,農業,ビールやウイスキーの製造などを行なう。小さな町であるが歴史的に重要で,14世紀にはイングランド軍により城塞が攻囲され,16世紀にはスコットランド女王メアリー・スチュアートが危機に際して 2度にわたりここに身を隠した。城塞はメアリーを退けて王位についたジェームズ1世の摂政マレー伯によって 1568年に破壊された。南東郊には 1650年9月3日にオリバークロムウェル指揮下のイングランド軍とデービッド・レズリー指揮下のスコットランド軍の間で戦われたダンバーの戦いの古戦場がある。人口 6354(2001)。

ダンバー
Dunbar, Paul Laurence

[生]1872.6.27. オハイオ,デートン
[没]1906.2.8. オハイオ,デートン
アメリカ黒人詩人,小説家。逃亡奴隷を両親として生れ,エレベータボーイなどをしながら詩作に専心,処女詩集『オークと蔦』 Oak and Ivy (1893) ,第2詩集『長調と短調』 Majors and Minors (95) を自費出版。その2作を『下層生活の抒情詩』 Lyrics of Lowly Life (96) としてまとめ,W. D.ハウエルズの序文によって有名になった。その後は講演,イギリス旅行,国会図書館員 (97~98) の仕事などで過労がかさみ,小説に転じて矢つぎばやに作品を発表するうち結核に倒れ,33歳で早世した。主著,詩集『愛と笑いの抒情詩』 Lyrics of Love and Laughter (1903) ,『日光と影の抒情詩』 Lyrics of Sunshine and Shadow (05) ,小説『狂信者』 The Fanatics (01) ,『神々の戯れ』 The Sport of the Gods (02) など。

ダンバー
Dunbar, William

[生]1460頃
[没]1520頃
スコットランドのチョーサー派詩人。若くしてフランシスコ修道会に入り,のちこの道を捨ててジェームズ4世に仕え,外交の任務に携わった。 1501年ジェームズ4世とイギリス国王ヘンリー7世の娘マーガレットとの結婚を取り決める使節に同行。この結婚をたたえる政治的寓意詩『あざみとばら』 The Thrissil and the Rois (1503) のほか,愛の寓意詩『黄金の盾』 The Goldyn Targe,宗教的夢幻詩『七大罪の踊り』 The Dance of the Sevin Deidly Synnis,女性風刺の対話詩『二人の既婚女と未亡人』 The Twa Maryit Women and the Wedo (1508頃) などを書き,ラブレー風のユーモア,風刺,想像力を示している。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダンバー」の意味・わかりやすい解説

ダンバー
Dunbar

イギリス,スコットランド南東部,ロージアン州(旧,イースト・ロージアン州)東部の都市。地名ゲール語の〈丘の上の城〉に由来する。人口6015(1981)。北海に臨み,フォース湾の湾口南岸に位置する漁業中心で海岸保養地。856年ごろに建設された城はイングランドの侵入に対する重要な防衛拠点となり,町も14世紀に王立都市となった。エドワード1世による占領やメアリー・スチュアートの避難など城はしばしば歴史上の舞台となり,また1650年にはクロムウェル軍とD.レズリーのスコットランド軍の間でダンバーの戦が郊外で行われた。城跡はビクトリア港の背後の丘上にあり,町の西端には1218年設立のフランシスコ会修道院の廃墟がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンバー」の意味・わかりやすい解説

ダンバー(William Dunbar)
だんばー
William Dunbar
(1465?―1530?)

スコットランドの詩人、外交官で、一時期フランシスコ派の修道士。ジェームズ4世王の外交特使を務め、1500年に年金を与えられる。作品は諧謔(かいぎゃく)と風刺に富み、「スコットランドのチョーサー派詩人」の1人に数えられる。作品に、ジェームズ4世の結婚を扱った政治寓意(ぐうい)詩『アザミとバラ』、女性風刺の『二人の夫人と寡婦』、悪魔的な『七つの大罪の踊り』など。

[高田康成]


ダンバー(Paul Laurence Dunbar)
だんばー
Paul Laurence Dunbar
(1872―1906)

アメリカの黒人詩人。黒人奴隷を母としてオハイオ州に生まれる。大農園時代の黒人の生活を、彼らの方言を使い、哀感とユーモアを込めて誠実に歌い上げた。『卑しき生活の叙情詩』(1896)、『愛と笑いの叙情詩』(1903)が代表作。しかし白人支配下に暮らす黒人の問題意識はいまだ希薄である。

[岩瀬悉有]

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