チベット暴動(読み)チベットぼうどう

共同通信ニュース用語解説 「チベット暴動」の解説

チベット暴動

中国チベット自治区ラサで2008年3月10日、チベット仏教の僧侶ら数百人が中国の抑圧的統治抗議するデモを行い多数が拘束された。14日には住民らが店舗などを燃やし大規模暴動発展。抗議は甘粛、四川、青海各省に拡大した。当局が武力鎮圧。死者は当局発表で約20人だが、チベット亡命政府によると約200人。09年以降は抗議の焼身自殺も相次いだ。中国政府はいずれもチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世側が扇動したと非難したが、ダライ・ラマは否定した。(共同)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チベット暴動」の意味・わかりやすい解説

チベット暴動
チベットぼうどう

チベットの独立運動に伴う一連の暴動をいう。 1951年,中国人民解放軍のチベット進駐以後,チベットと中国との間は緊張状態が続いたが,59年3月,改革の強制と漢民族移住に端を発した暴動が発生,ダライ・ラマは亡命を余儀なくされた。その後,中国の行政区中最も貧しく,最も遅れた自治区であるという経済格差の顕在化,さらに漢民族優位の幹部登用などに対する不満を背景に,87年から独立を要求する反中国デモが毎年発生するようになった。 89年1月,ダライ・ラマに次ぐ宗教指導者で,中国とチベットのパイプ役だったパンチェン・ラマが急死すると,チベット情勢は悪化,同年3月大衆を巻込んだ大規模な暴動が起き,軍の発砲などによって多数の死傷者を出した。中国政府はこの暴動に対して戒厳令を布告し,小康状態を取戻したが,93年5月には物価上昇に抗議する市民デモが独立要求を掲げる暴動に発展している。なお 89年 10月にダライ・ラマ 14世は,解放に向けた闘争で一貫して暴力の使用を否定してきたことを評価されてノーベル平和賞を受賞した。この受賞は,天安門事件以後,きびしい民族抑圧策をとる中国政府に対する諸外国の批判を反映したものといわれる。

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