チャールズ(1世)(読み)ちゃーるず(英語表記)Charles Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャールズ(1世)」の意味・わかりやすい解説

チャールズ(1世)
ちゃーるず
Charles Ⅰ
(1600―1649)

スチュアート朝第2代のイギリス王(在位1625~49)。ジェームズ1世とデンマーク王女アンとの間に生まれる。1612年、兄ヘンリーの死により皇太子となり、1625年、王位を継承し、同年フランス王女アンリエッタ・マリアと結婚した。彼の治世は、側近で親友でもあったバッキンガム公が弾劾されるなど最初から議会との衝突が絶えなかったが、ことに国王の課税権をめぐる争いは国制に関する論争にまで発展し、1628年「権利請願」を裁可しなければならない事態に立ち至った。そこでチャールズ1世は、1629年議会を解散し、以後11年間、議会を開かずに自ら政治を執り行った。しかし大主教ロードとストラッフォード伯に支えられたこの統治も、1637年、スコットランド国教会祈祷(きとう)書を強制したことをきっかけとして崩壊する。祈祷書の強制に怒ったスコットランド人は反乱を起こし(1638)、1640年チャールズ1世は戦いに敗れた。スコットランドとの和約に必要な経費を得るために招集した長期議会は、チャールズ1世の政策を批判し、側近の処刑要求して、さまざまな国政改革を行った。当初、議会の要求を受け入れていたチャールズ1世も、1642年、自ら兵を率いて議会に乗り込み、結局、内戦の引き金を引くことになった。しかし戦いは国王側に不利に進み、スコットランド軍に投降したチャールズ1世は、議会に引き渡され、1649年1月30日、処刑された。イギリス史上初めて「人民の名において」処刑されたこの国王は、政治的判断に誤りを犯したことは否定できないが、チューダー朝以来山積してきた国家的諸矛盾が、彼の治世に噴き出してしまったという点では不運な国王であったともいえよう。(書籍版 1987年)
小泉 徹]

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旺文社世界史事典 三訂版 「チャールズ(1世)」の解説

チャールズ(1世)
Charles Ⅰ

1600〜49
イギリス国王(在位1625〜49)
父王ジェームズ1世のあとを継ぎ,王権神授説を奉じて専制政治を行い,ピューリタンを抑圧した。1628年,議会と衝突して「権利請願」を承認したが,翌29年より11年間も議会を開かず,国教を強いたことに対するスコットランドの反乱を機に1640年議会を召集したが,これがピューリタン革命の導火線となった。敗れて1649年に人民の公敵として処刑された。

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