翻訳|Tirol
アルプス山脈の東部に位置し,標高3000m前後の山々が氷河や万年雪をいただいてそびえ立っている山岳地帯。ティロルとも書かれる。チロルは,地理的には北,東,南の三つに分かれ,北と東はオーストリアのチロル州を構成し,南チロルは第1次大戦の結果イタリア領となり,トレンティノ・アルト・アディジェ州に属している。オーストリアのチロル州は面積1万2647km2,人口67万3504(2001)。
チロルの特徴は,中央を流れるイン川に,氷河に源を発する川が谷に沿って流れこみ,谷ごとに異なった景観を誇っていることである。渓谷は階段状台地をなしており,酪農の営まれる牧地と,台地一面に広がる牧草地,中腹にまで達する森林,その間に点在する果樹園や耕地で彩られ,きわめて変化に富んでいる。河川の豊富な水量は,チロルをオーストリアにおける重要な水力発電地帯にしている。スキーで有名なザンクト・アントンSankt Antonからチロル州の州都インスブルックに行く途中,車窓から望見できる氷河に輝くエッツタール・アルプスで有名なエッツタールÖtztalは,東アルプス最大の渓谷の一つであり,また古い民俗の宝庫としても知られている。
チロル州の住民の大半を占めるのは6世紀に北方から入ってきたバイエルン族であるが,南からはロマンス語系の人々,北西からはアラマンニ族が入り,その間に古来のケルト系の子孫と思われる人々が残存して,方言,服装,家屋,習俗は渓谷の多彩な景観と対応して,谷ごとに,村ごとに異なるとさえ言われている。チロルの人々は造形芸術にすぐれ,アルプス・ゴシック文化を造出するとともに,多くの山岳画家,農民芝居や農民文学も生んでいる。服装面でも鳥の羽やカモシカの髯の小束をつけたチロル帽,革の半ズボン,女性のディルンドルDirndlは有名である。
州都インスブルックはイン川に臨み,北にカルウェンデル山脈のハーフェレカーHafelekar山(2334m)が聳立(しようりつ)する,森に囲まれた中世以来の古都であり,チロル州の政治,経済,文化の中心地であり,観光地としても知られ,また冬季オリンピックの開催地でも有名である。市の中央には聖女アンナの記念柱が立ち,北端は旧市街のフリードリヒ公街であり,市の名物〈黄金の小屋根Goldenes Dachl〉が輝いている。16世紀に建てられた宮廷教会Hofkircheはマクシミリアン1世の霊廟であるが,ドイツ,オーストリア皇帝霊廟中の最大規模を誇り,またルネサンス式建築としても重要文化財である。そこにある28体のブロンズ像は有名で,東ゴート王テオドリックとイングランドのアーサー王の像はデューラーが下図を作ったことで知られている。その左に隣接するチロル民俗芸術博物館にはチロル民俗資料が数多く陳列されており,チロル州博物館にはこの地方の自然史に関する資料や現代美術の作品が収蔵されており,地方博物館としては一流のレベルにある。市の南東にあるイーゼル丘はチロル人の霊地となっており,ナポレオンの軍を打ち破ったチロルの英雄A.ホーファーの銅像が山頂に建立されていて,チロルの自由を象徴している。
チロルは,また冬季スキー場として有名である。アールベルク・トンネルを東に抜けると,国際的なスキー場として知られているザンクト・アントンがあり,アールベルク山の南斜面には著名なスキー場ザンクト・クリストフSankt Christofがある。世界的に有名なスキー地キッツビューエルKitzbühelは,インスブルックからイン川に沿って汽車で1時間ほどのところにあるウェルグルからザルツブルクに向かう途中にある。町からケーブルカーでキッツビューラー・ホルンに登ることができるが,そこから眺める雄大な東アルプス連峰の景観はすばらしい。ウェルグルから本線と分岐してドイツに入る国境の町クーフシュタインKufsteinの北隅には,古城がそびえ,石灰岩質アルプスの最も代表的な剛峻を示威するカイザー山塊が偉容を誇っている。
古くはイリュリア人が居住していたが,前15世紀末からケルト人が進出,前1世紀ころからローマの属州下に入った。6世紀末にバイエルン族が南下して,スラブ人やアラマンニ族,ランゴバルド族を押し出した。これらの諸族が現在のチロルの民族構成の基礎となっている。788年には,カール大帝によってフランク王国に編入された。11世紀には,有力な伯がこの地の支配をめぐって争った結果,メランMeran近郊出身のチロル伯がこの地域を握り,これが今日のチロルの名称のもととなった。同家は1253年断絶し,チロルはゲルツGörz伯領となったが,この時代にメラン,インスブルックをはじめとする都市や農村共同体が発達し,チロルはラントとしての一体性を備えるにいたった。1363年,チロルはオーストリアのハプスブルク家に譲られ,塩と銀の産地として栄えた。やがて同家のマクシミリアン1世は周辺に領域を拡大し,インスブルックを居城とする独自の家系を築いた。
ナポレオン支配下の1805年,チロルはバイエルン領に編入された。これに対し,09年,チロルの住民はホーファーAndreas Hofer(1767-1810)の指揮下に反乱をおこしたが,バイエルン,フランス,イタリアの連合軍に鎮圧され,チロルは三つに分割されるところとなった。14年再びオーストリア領に統合されたが,第1次大戦後のサン・ジェルマン条約(1919)によって再び分割された。北および東チロルはオーストリア領となったが,南チロルはイタリア領とされ,現在に至っている。
チロルの谷々は,民俗の宝庫といわれ,冬から春にかけて雪の村々に仮面仮装の異形が現れ,春ともなれば珍しい農耕儀礼が行われる。チロルの農民にとって冬将軍との闘いは,その訪れを示す11月2日の万霊節(死者の日)で始まり,聖ニコラスの日,十二夜を経て春近いファスナハトFasnacht(カーニバル)でクライマックスを迎える。ファスはfaseln(成長する)を意味し,ファスナハトは来るべき春の成長と実りを願う予祝行事として古来より祝われた神聖な夜(ナハトNacht)であった。この季節はなお寒さが厳しく,悪霊は村や町を徘徊して人々に多くの不幸をもたらしていた。冬の悪霊を払い強力な春の神々を招来する行事は,それゆえ恐ろしい異形の仮面仮装のものが多い。その代表的な行事として,タウアー村のムーラーラウフェン,イムスト村のシェーメンラウフェン,ナッサーライト村のシェーラーラウフェンが挙げられる。タウアーではファスナハトの日曜日には魔女が箒をふりかざし,鈴をつけた男たちを先導し,次にトゥクサーのグループが村を踊りながら歩く。トゥクサーは頭上を色々の羽毛で飾り若者の仮面をつけている。七面鳥やクジャクの羽根飾とキツネの毛皮のついた帽子をかぶったツォトラーが見物人をぶつしぐさをして走り回り,春のシンボルとして冬の大地を要所要所でふみつけて春の到来を観衆に告げるのである。
イムストのシェーメンラウフェンは13世紀の写本に出ているくらい古い行事であるが,恐ろしい老婆の仮面をつけ,トウモロコシの葉を入れた袋をかついだザックナー,ムーア人の黒色仮面をつけた泥かけ男シュプリッツァーが群衆を驚かしつつ行列を先導し,34人のロラーとシェラー,8人のラーゲン,32人の魔女の集団その他が,これに続いた。ロラーは老人と美女の仮面をつけ,優雅に歩くが,シェラーはさかんに跳びはねて腰の鈴音で冬の悪霊を退散させる。醜い老人と美女の仮面は冬と春を対照させているかにも見え,暗鬱な冬を追い払って太陽の明るい輝きを取り戻そうとする予祝の行事を意味するものであった。ナッサーライトのシェーラーラウフェンは,〈ファスナハトの墓掘り〉から始まる。その夜異形の仮面仮装者は魔法の杖をもってファスナハトを象徴する男を積雪の畑から探し出すことに努める。ファスナハトの期間中その男は冬の役割を演じつづけねばならず,最後には発見されて村から追い出されることになる。これらの行事は今は数年ごとに行われているが,行われる年は当年の1月から準備が始められ,村民の連帯感を強める役割も果たしている。
執筆者:住谷 一彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新