日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレンナー峠」の意味・わかりやすい解説
ブレンナー峠
ぶれんなーとうげ
Brennerpaß
ヨーロッパ・アルプスの南北を結ぶ峠。標高1370メートル。日本ではブレンネル峠ともいう。オーストリアとイタリアの国境に位置し、黒海とアドリア海へそれぞれ注ぐ河川の分水界にあたっている。アルプス越えの重要な峠としてはもっとも低所にあり、1年を通じて自動車の通行が可能で、交通経済上の価値が高い。先史時代より「琥珀(こはく)の道」として知られ、ローマ時代にはすでに交通の要衝となり、北のマトライや南のビピテーノはローマ軍の宿駅であったし、中世には神聖ローマ帝国の南北を結ぶ掛け橋であった。1867年ブレンナー鉄道が峠を越えて通じ、貨客輸送量が増大したが、さらに1973年インスブルックとボルツァーノを結ぶ有料アウトバーンが開通し、南北交通はいっそう活発となった。1934年ナチスによるオーストリア首相ドルフースの暗殺に対しイタリアのムッソリーニは峠に軍隊を派遣してドイツ・オーストリア合邦を牽制(けんせい)した。ドイツのポーランド進攻後の40年3月、ここでムッソリーニとヒトラーとの間に日独伊三国同盟の結成が話し合われ、6月のイタリア参戦を促し、10月にも再度会談がもたれ、第二次世界大戦の拡大を決定的にした。
[前島郁雄・進藤牧郎]