硬式飛行船の発明者。ドイツ、バーデンのコンスタンツに生まれる。士官学校を卒業し陸軍将校となったのち、チュービンゲン工科大学に学んだ。1891年中将で退役すると、私財を投じて、アルミニウム合金骨格へ布を張った外殻で空気抵抗を受け、浮力を内蔵ガス袋によって得る、高速航行が可能な硬式飛行船の開発に着手した。LZ1型は長さ128メートル、直径12メートル、ガス容積1万1300立方メートル、12馬力エンジンの双発で、1900年62歳のツェッペリンが自ら船長として飛行した。その後大型化し、1910年から1914年までに、5隻の飛行船は延べ3万5000人の乗客を無事故で国内輸送した。第一次世界大戦にはドイツ海軍によって艦隊偵察やロンドンなどの爆撃に使われたが、迎撃よりも暴風などによる被害が多かった。大戦後アメリカ海軍が不燃性のヘリウムガスを用いた飛行船を採用したが、気象災害によってほとんどが喪失された。ドイツではその後も輸送に使われたが、1937年5月、LZ129型「ヒンデンブルク号」が大西洋定期横断航路を飛行してアメリカのレークハーストに着陸する際に炎上したことで、飛行船は世界の空から消えた。しかし、ツェッペリンの構想が新しく生かされ、運輸機関として復活する可能性も十分考えられる。
[佐貫亦男]
ドイツの軍人,航空技術者。硬式飛行船の発明者として知られている。コンスタンツの生れ。工芸学校から陸軍士官学校へ入り,1858年歩兵中尉となった。軍事研究のためヨーロッパ各地を旅し,またアメリカでは南北戦争にも参加している。91年陸軍中将として退役した後に飛行船と取り組み,98年に飛行船輸送促進会社を組織して設計製作に着手したが,やはり巨大構造としての技術的困難は大きく,また経済的困難のため辛苦をなめた。ツェッペリン飛行船の第1号(LZ1)は1900年に初飛行,このときツェッペリンは62歳であった。第1次世界大戦が始まる前に,ツェッペリン飛行船は定期旅客輸送に使用されるようになり,この間無事故であったが,この輝かしい業績は,ドイツ軍部と国民的後援に基づいたものであり,巨大飛行船はドイツ人の誇りとなった。
→飛行船
執筆者:佐貫 亦男
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1838~1917
ドイツの軍人,ツェッペリン飛行船の創始者。1891年中将で退役,その後飛行船の製造に専念し,幾多の困難をへて1900年第1号船を完成した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…しかし初期のものは大馬力の動力装置を積む余力がないためスピードが遅く,少し風があると航行困難になった。20世紀に入って,ドイツのF.ツェッペリンの硬式飛行船が出現するにおよんで,その性能は飛躍的に向上し,1910年からは,20~25人乗りのツェッペリン飛行船により,ドイツ国内の各都市を結ぶ世界最初の有償航空旅客輸送が始められた。この運航は第1次世界大戦の始まる14年まで続き,3万4000人を運んだ。…
※「ツェッペリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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