ドイツ初期ロマン派の代表的作家。ロマン派の中ではあらゆる文学ジャンルに熟達した最も多作な作家。ベルリンに生まれ,若くして文筆活動に従事したが,合理主義・啓蒙主義の時代精神と自由な内面的・芸術的精神の相克に苦しむ。大学時代,同郷・同窓の友で夭折した初期ロマン派の詩人ワッケンローダーWilhelm Heinrich Wackenroder(1773-98)と共にバンベルク,ニュルンベルクに遊び,中世的な雰囲気と中世キリスト教芸術に魅せられる。この体験とワッケンローダーの宗教的・神秘的な資質は,ティークのロマン主義への傾斜に決定的な影響を与えたが,未完の小説《フランツ・シュテルンバルトのさすらい》(1798)の中で示される芸術観はその結晶であるといえよう。ドイツの中世民衆童話の形を借りた一連の創作童話の中では,人間の意識の深淵にひそむ不安,恐怖,記憶,あこがれ,予感などの主要モティーフが,戦慄的な自然の背景と結びつき,人間存在の根源的なものが暗示される。代表作《金髪のエックベルト》(1797)の中で歌われる詩句〈森の孤独Waldeinsamkeit〉はドイツ・ロマン派を象徴する語となった。一方,同じ童話的物語《長靴をはいた牡猫》(1797)の中で示される〈ロマン主義的イロニー〉は,初期ロマン派に特有の醒めた理性的側面を物語っている。ノバーリス,シュレーゲル兄弟,シェリングらと共にイェーナにおいて初期ロマン派のサークルを形成(1799-1801),その後も小説・戯曲の創作,演劇論,演劇批評など多面的に活躍,古い外国文学の発掘,紹介,翻訳ですぐれた業績を残した(《ドン・キホーテ》の初訳,A.W. シュレーゲルのシェークスピア翻訳の編集出版など)。
執筆者:中井 千之
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ドイツの作家。ベルリンの綱匠の息子として生まれる。いわゆる「前期ロマン派」の巨頭の1人で、ロマン主義文学運動を推進したが、後年には短編の新しいジャンルを開拓した。才気にあふれ、詩に、長・短編小説に、メルヘンに、戯曲に多彩な創作を繰り広げたほか、劇場監督や評論家としても活躍し、シェークスピアのドイツ語訳の業績も残した。
幼少のころは啓蒙(けいもう)思想の影響下に育ったが、学友ワッケンローダーと南ドイツを旅して中世を再発見し、『芸術を愛する一修道僧の心情吐露』(1797)を共同で著し、またゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』に倣って芸術家小説『フランツ・シュテルンバルトの遍歴』(1798)を書いた。このころフリードリヒ・シュレーゲルのロマン主義文学理論に共鳴し、ベルリンとイエナにあってシュレーゲル兄弟、シェリング、ノバーリスら「ロマン派」の会合の要(かなめ)の役割を務め、風刺劇『長靴をはいた牡猫(おすねこ)』(1797)や、いわゆるクンスト・メルヘン(創作童話)の典型とされる『金髪のエクベルト』(1797)などによって名を馳(は)せた。グループの解体後は友人の貴族の所領やドレスデンに住み、『人生のゆとり』(1839)のような市井の日常に取材した短編シリーズや、歴史長編『ビットーリア・アコロンボーナ』(1840)などを発表し、演劇界でも活躍、晩年はプロイセン王の知遇を得てベルリンで余生を送った。
初期の啓蒙主義の亜流からロマン主義を経て後期の市民的リアリズムまで幅広い作風をみせたが、その機知とイロニー、奔放な空想力が評価される反面、過度の主観主義や深みの欠如を批判する向きもある。日本ではロマン主義期の作品のほかはほとんど顧みられないが、18世紀から19世紀にかけての流動的な文学思潮を体現する文人としての彼の意義は見直されてよい。
[信岡資生]
『大畑末吉訳『長靴をはいた牡猫』(岩波文庫)』
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…ベヒシュタインL.Bechsteinの《ドイツ童話の本》(1844)がそれにつづく。一方では,L.ティーク,ブレンターノ,F.de la M.フケー,E.T.A.ホフマンが不思議な物語を手がけ,その流れから創作としてぬきんでたW.ハウフの《隊商》(1826)が生まれた。T.シュトルムやA.シュティフターにも子どもに向く作品はあるが,レアンダーR.Leanderの《フランス風暖炉のそばの夢想》(1871)とザッパーA.Sapperの《愛の一家》(1906)が大きな収穫となった。…
…一方,スコットランドの過去の歴史をよみがえらせ,中世騎士道精神と郷土愛を賞揚するスコットの一連の歴史小説Waverley Novelsは,歴史学と小説に中世賛美の機運を興し,過去の時代の精確な生き生きとした描写を目ざす一種のロマン主義的写実主義とも称すべき傾向を生み,ユゴーの《ノートル・ダム・ド・パリ》やメリメの《シャルル9世年代記》,あるいはミシュレの《フランス史》等に影響を与えた。 ドイツでは,1770年ころからフランスの文化支配を脱し,啓蒙主義に対抗して個人の感性と直観を重視する反体制的な文学運動シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)が展開されたが,そのほぼ20年後にシュレーゲル兄弟,ティーク,シュライエルマハーらによって提唱されたロマン主義文学理論は,この運動の主張を継承し,フランス古典主義に対抗するものとしてのロマン主義を明確に定義づけ,古代古典文学の再評価とドイツに固有の国民文学の創造を主張した。フィヒテやヘーゲルの観念論哲学と密接な関係をもったドイツ・ロマン主義文学は,自我の内的活動の探究,夢と現実あるいは生と死の境界領域の探索,イリュージョンの形成と自己破壊(アイロニー)などを主題とするきわめて観念論的かつ神秘主義的な色彩を帯び,ノバーリス,J.P.リヒター,ホフマンらの幻想的な作品を生み出した。…
…国民性の重視また中世への回帰的影響から生まれた年代記的な史劇や宗教劇,詩の聖典(カノン)といわれた童話に材をとる童話劇,夢幻劇,また多少迷信的ともいえる宿命を導入した運命悲劇(Z.ウェルナー《二月二十四日》)など,ロマン派演劇には多くのジャンルが生まれたが,舞台的な成功を収めたのは運命悲劇のみであった。実際,風刺劇,ナンセンス劇などは,もともと上演用より作者の知的な立場を示すために書かれており,L.ティークの有名な劇中劇《長靴をはいた猫》なども,後世になってから舞台上演が注目されたものである。また,A.G.vonプラーテンの《不吉なフォーク》(1826)は運命悲劇のパロディとして知られている。…
※「ティーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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