デュマ父(英語表記)Alexandre Dumas

改訂新版 世界大百科事典 「デュマ父」の意味・わかりやすい解説

デュマ[父]
Alexandre Dumas
生没年:1802-70

フランスの劇作家,小説家。息子もまたアレクサンドルデュマと名のったので,ペールPère(父)を名につけて区別している。アレクサンドル・ダビ侯爵と黒人女との間にサント・ドミンゴ(イスパニオラ)島で生まれたデュマ将軍(1762-1806)の息子。劇,歴史,小説,旅行記などさまざまな分野にわたる300以上の作品を書き,旺盛な活動力で波瀾に富んだ生涯を送り,19世紀で最も大衆に人気のあった豊饒の作家。1825年から大衆劇を世に問い,29年にコメディ・フランセーズで上演した《アンリ3世とその宮廷Henri Ⅲ et sa cour》は,ユゴーの《エルナニ》(1830)に先がけて成功した最初のロマン派劇であり,《アントニー》(1831)は連続して130回もパリで上演され,地方でも空前の大成功をおさめた。ボカージュ,フレデリック・ルメートル,マリー・ドルビルらの名優に恵まれ,《ネールの塔》(1832),《キーン,狂気と天才》(1836。サルトルが名優ピエール・ブラッスールを得て1954年に翻案)などでパリの劇壇に君臨した。オーギュスト・マケなどの協力を得て新聞小説も手がけ,《シエクル》紙に連載した《隊長ポール》(1838)は,3週間で定期購読者を5000人ふやした。デュマは小説家としても,まず劇的効果をねらった。独学であったので,深い教養に伴う懐疑主義相対主義に陥ることなく,英雄的行為を豊かな色彩で単純明快に示し,大衆から喝采を受けた。《三銃士》(1844)に始まる一連ダルタニャン物や,《モンテ・クリスト伯》(1846)は,今日でもなお世界で最も多くの読者をもっている。

 作家として空前の莫大な金額を稼いだ。しかしけんらん豪華なレセプションを開いたり,王侯のように郎党を引き連れてヨーロッパを馳け巡ったり,城や劇場を建てたり,新聞を発刊したり,また,七月革命や二月革命で行動した若き日の思い出からか,晩年にはイタリア独立運動の擁護者としてガリバルディを助けるなど,自ら創作した小説の主人公以上に華々しい生涯を送り,ついには破産し,息子の世話になって生涯の幕を閉じた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のデュマ父の言及

【三銃士】より

…フランスの作家デュマ(父)の歴史小説。1844年作。…

【ダルタニャン】より

…フランスの作家デュマ(父)の小説三部作《三銃士》(1844),《二十年後》(1845),《ブラジュロンヌ子爵》(1848)の主人公。当初は三銃士を引き立てる脇役的人物であったが,ガスコーニュ生れの無類の快活さと素朴さと人の好さをもってひたすら猛進してゆくこの人物が,しだいに主役の座を占めるようになった。…

※「デュマ父」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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