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ユゴー ユゴー Hugo, Valentine

7件 の用語解説(ユゴーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユゴー
ユゴー
Hugo, Valentine

[生]1897
[没]1968?
フランスの女性画家。 O.ルドンの影響を受け,神秘的で幻想的な作風で,シュルレアリストとして活躍。 P.エリュアールの詩『人間と動物』の挿絵や,『オンディーヌ』の舞台装置などで知られる。

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ユゴー
ユゴー
Hugo, Victor-Marie

[生]1802.2.26. ブザンソン
[没]1885.5.22. パリ
フランスの詩人,小説家,劇作家。ナポレオン軍の将軍を父にもつ。早くから自己の文学的使命に目ざめ,1822年処女詩集『オードと雑詠集』 Odes et Poésies diversesを発表。

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デジタル大辞泉の解説

ユゴー(Victor Marie Hugo)

[1802~1885]フランスの詩人・小説家・劇作家。ロマン主義文学の指導者。共和主義者としてナポレオン3世クーデターに反対し、19年間亡命。詩集「懲罰詩集」「静観詩集」、小説「ノートルダム‐ド‐パリ」「レ‐ミゼラブル」「九十三年」、戯曲「エルナニ」「リュイ=ブラス」など。

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百科事典マイペディアの解説

ユゴー

フランスの作家。ナポレオン軍の将軍の子で,幼時スペインなど外地に滞在した。少年期から文学に熱中し処女詩集《オードと雑詠集》(1822年)以後作家生活に入った。初期は王党的で《東方詩集》などの作品があるが,次第に自由主義人道主義に向かい,戯曲《クロムウェル》(1827年)の序で古典派の美学や劇作法を攻撃し,ロマン主義の理論的支柱となった。
→関連項目ゴーティエ坂崎紫瀾サント・ブーブデシャンノディエ原抱一庵パンテオンベルリオーズボードレールポンキエリ森田思軒ランボーリゴレット

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世界大百科事典 第2版の解説

ユゴー【Victor Hugo】

1802‐85
フランスの詩人,小説家,劇作家。父はナポレオン軍の将軍で,母は王党派の家の娘。ブザンソンに生まれたが,教育はおもにパリで受け,少年時代から王党派の詩人として頭角を現した。1827年には,戯曲《クロムウェル》に付した有名な序文の中で古典主義の演劇を批判し,ロマン主義の文学運動に理論的な支柱を与えた。さらに30年には,ロマン派戯曲の典型である《エルナニ》を上演し,その後ロマン派が10年以上の間文壇で栄える契機をつくった。

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大辞林 第三版の解説

ユゴー【Victor Marie Hugo】

1802~1885) フランスの詩人・小説家・劇作家。ロマン派文学の指導者としてあらゆる分野に超人的な活躍をみせた。熱烈な共和主義者としても知られ、ナポレオン三世のクーデターに反対して、19年間の亡命生活を送る。詩集「東方詩集」「静観詩集」、小説「ノートルダム-ド-パリ」「レ-ミゼラブル」、戯曲「エルナニ」「リュイ=ブラス」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユゴー
ゆごー
Victor Hugo
(1802―1885)

フランスの詩人、小説家、劇作家。2月26日、ナポレオン麾下(きか)の将校レオポルド・ユゴーLopold Hugoとナント生まれの王党派の女性ソフィー・トレビュッシェSophie Trbuchetの三男としてブザンソンに生まれる。幼時はイタリア、スペインなど父の配属地を転々とし、のち別居中の母とともにパリに移り教育を受ける。後年『静観詩集』その他の著名な詩のなかでうたわれるフイヤンティーヌは当時の住居があった所で、母親ソフィーや代父ラオリー、ラテン語を学んだ神父などとともに幼時の精神形成に関与した。[佐藤実枝]

王党派作家として出発

ユゴーは早くから文学に熱中し、1819年トゥールーズの文華アカデミー・コンクールで一等賞を受賞、『コンセルバトゥール・リテレール』の発刊、処女詩集『オードと雑詠集』(1822)の出版で詩人としてデビューするが、初期作品には母親の影響でカトリック的、王党派的色彩が強い。22年10月アデール・フーシェAdle Foucherと結婚。この時期の詩集は中世の絵画美への憧(あこが)れを示す『オードとバラード集』(1826)、ギリシア独立戦争に多く取材したエキゾチックな『東方詩集』(1829)で時代の好みへの敏感な反応を示す。小説では『アイスランドのハン』(1823)、サント・ドミンゴの奴隷の反乱を舞台にロマン派的主人公の自己犠牲を描いた『ビュグ・ジャルガル』(1826)、そして『死刑囚最後の日』(1829)ではすでに思想的に左傾化の兆しがみえる。[佐藤実枝]

ロマン派の指導者

この時期ロマン派の指導者としてのユゴーの活動が演劇を舞台に本格化してくる。1827年戯曲『クロムウェル』につけた長文の序文によってユゴーは新演劇を模索する幾多の論争に一つの総合をもたらし、この序文は事実上ロマン主義の宣言書となった。当時アルスナル図書館長だったシャルル・ノディエのサロンがロマン派の推進母胎だったが、27年、ユゴー自身が中心となってノートル・ダム・デ・シャン街の自宅で作家・美術家を集めて「セナクル」cnacleを開き、名実ともに統率者となる。劇作ではコメディ・フランセーズにいったん受理された『マリオン・ド・ロルム』(1829)が稽古(けいこ)前に上演禁止になったため、急遽(きゅうきょ)『エルナニ』に着手、1か月足らずで完成、コメディ・フランセーズでの初演はいわゆる「エルナニ合戦」(観客の古典・ロマン両派の間に起きた乱闘騒ぎ)を引き起こしながらも観客を圧倒し、ロマン派劇全盛期を開く。古典主義的詩法では禁じられていた跨ぎ句(アンジャンブモン)enjambementや固有語(モ・プロプル)mots propresの使用によって、従来韻文劇に使用されてきた十二音綴詩型を柔軟化し、新しい演劇にふさわしい文体を創造したことが、とりわけ劇の分野でのユゴーの功績だった。[佐藤実枝]

政治的転向

1830年7月、ポリニャックの極端な反動的法令を契機に7月革命が起こる。ユゴーは革命の若い英雄たちをたたえる詩を書いて自由主義派の『グローブ』紙に掲載、はっきり右翼陣営からの転向をみせた。翌31年、スコット風の長編歴史小説『ノートル・ダム・ド・パリ』が出版され大成功をみるが、詩作品では一変して内面的深化をみせる。『秋の木の葉』(1831、「子供がやってくると……」を含む)、私生活のほかに政治や歴史など多様なテーマを盛った『薄明の歌』(1835)、『内心の声』(1837)、『光と影』(1840、「オランピオの悲しみ」を含む)などがそれである。30年代初め、衝撃的な事件が彼の私生活を襲う――友人サント・ブーブと愛妻アデールとの恋愛、そして彼の生涯の愛人となるジュリエット・ドルーエJuliette Drouetとの出会い(1833)――これらの体験がユゴーをより深く人間的にしたといえる。劇作では『リュクレス・ボルジア』(1833)を含む散文劇三編でメロドラマに近づき、興行的には成功したが、彼の最良の戯曲は韻文劇『リュイ・ブラス』(1838)で、王妃に恋する従僕というロマネスクな筋立てのなかに民衆の未来を象徴する人物を描いて、ユゴー自身の将来の政治姿勢をも予告した。しかしロマン派劇の全盛期はすでに去っており、43年の大叙事詩的演劇『城主たち』の失敗を最後に劇作から遠ざかる。またこの年、新婚早々だった長女レオポルディーヌLopoldineと夫シャルル・バクリーCharles Vacquerieの溺死(できし)事件というショックも重なり、ユゴーはしばらく筆を置いて政治に専念する。すでにアカデミー・フランセーズの会員(1841)だった彼は、45年上院議員に、48年の二月革命では共和政議員に選出され、ルイ・ナポレオンの大統領就任に力を貸したが、その後ナポレオンが反動化して帝政樹立を目ざすクーデターを起こすと、ただちに反撃に出て国外追放となり、以後19年に及ぶ亡命生活が始まる。[佐藤実枝]

亡命生活

まずブリュッセルに亡命、ついでイギリス海峡のジャージー島(1852)、ガンジー島(1855)に移って創作に没頭する。13年の沈黙を破って『小ナポレオン』(1852)を書き、『懲罰詩集』(1853)でルイ・ナポレオンの圧政を痛罵(つうば)し、共和主義的理想を表明した。ついでユゴーの詩作の最高傑作といわれる『静観詩集』(1856)、人類進歩の思想を表明してフランス最大の叙事詩といわれる『諸世紀の伝説』の第一集(1859)、若々しく軽快な『街と森の歌』(1865)を出したが、ユゴーの名を時代と国境を越えて著名にした長編小説『レ・ミゼラブル』(1862)はこの期に完成した。ミリエル司教の与えた光明によって再生し、愛と献身に生きる囚人ジャン・バルジャンの物語は、民衆の苦悩をテーマとした社会小説として30年も前から温められてきただけに、ユゴーの思想の集大成といえる。先の『ノートル・ダム・ド・パリ』とともに三部作をなす『海に働く人々』(1866)は、ガンジー島で取材された。ほかに小説『笑う男』(1869)がある。[佐藤実枝]

不屈な晩年と栄光

1870年、プロイセン・フランス戦争の敗戦によって帝政が崩壊すると、ユゴーは共和政の成立したパリに歓呼をもって迎えられる。帰国後はふたたび政治に参加、71年普通選挙でセーヌ県から選出され、国民議会で左翼を占めるが、まもなく新体制に失望して辞任する。その後ユゴーは次男シャルルCharlesを71年に、三男フランソア・ビクトルFranois-Victor(シェークスピア全訳を完成した)を73年に失うという大打撃を受けたが、なお屈せず創作を続けた。この期の作品は、大革命時代の王党派の反乱に取材し、法と愛の相克を描いた『93年』(1874)、そして次男シャルルの二人の遺児ジョルジュとジャンヌへの愛をテーマに、素朴で優しい感動に満ちた『おじいさんぶり』L'Art d'tre grand-pre(1877)は、初版が数日で売り切れ、次々と版を重ねるほど愛読された。頑健そのものだったユゴーも翌78年、初めて軽い脳出血にみまわれ、以後は主として亡命中に書かれたものが弟子たちの手で次々と出版される。『至上の憐憫(れんびん)』(1879)、『ろば』(1880)、『精神の四方の風』(1881)、最後の韻文劇『トルケマダ』(1882)、『諸世紀の伝説』続編(1877、83)など。
 1881年ユゴーは80歳の誕生日を迎え、パリ市民は祝賀行列を組んで彼の長寿を祝った。当時彼の住居があった通りはビクトル・ユゴー通りと改名された。しかし一方では、末娘アデールや生涯の愛人で忠実な助手でもあったジュリエットにも先だたれ(1883)、85年5月22日、この不死身の老人にも死が訪れる。「私は貧しい人々に5万フランを遺贈する。墓地には彼らの霊柩車(れいきゅうしゃ)で運ばれたい」という遺言にもかかわらず、先の誕生祝いにもまして盛大な国葬が営まれ、遺体は凱旋(がいせん)門下に安置され、200万の市民に見送られて偉人廟(パンテオン)に葬られた。
 19世紀を通じ比類ない創作力と果敢な政治活動によって実践したヒューマニズムは、ユゴーを国家的な偉人としたが、とりわけ彼の真の天才はその詩的創造にある。「彼とほぼ同時代の詩人たちはユゴーの光に消されまいとして独自の境地を開拓せざるをえなかった……」(バレリー)といわれるように、ユゴーはその無尽蔵な語彙(ごい)とイメージの完璧(かんぺき)な駆使によって人間の感動の源泉に深く突き入り、フランス近代詩の巨大な礎石となったのである。[佐藤実枝]
『A・モロワ著、辻昶・横山正二訳『ヴィクトル・ユゴー 詩と愛と革命』上下(1961・新潮社) ▽辻昶著『ヴィクトル・ユゴーの生涯』(1979・潮出版社) ▽赤井彰編訳『世界を創った人々24 ヴィクトル・ユゴー』(1980・平凡社) ▽辻昶訳『東方詩集』(『世界名詩大成2』所収・1960・平凡社) ▽豊島与志雄訳『死刑囚最後の日』(岩波文庫) ▽辻昶・稲垣直樹訳『ユゴー詩集』(1984・潮出版社)』

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世界大百科事典内のユゴーの言及

【エルナニ】より

…フランスの小説家ユゴーの韻文史劇。5幕。…

【オリエンタリズム】より

…文学においては,ガランによる《千夜一夜物語》の翻訳(1704‐17),モンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ボルテールの《マホメット》(1741)などがその早い例で,啓蒙主義的文明批評のにおいが強かったが,しだいにエキゾティシズムに傾いてゆく。ユゴーの《東方詩集Orientales》(1829),ラマルティーヌの《東方紀行》(1835)などがロマン主義文学者による代表例である。音楽では,モーツァルトの《後宮よりの誘拐》(1782)のトルコ趣味が早い例で,後にはベルディの《アイーダ》(1871初演)のような,エジプト風俗に関してかなり歴史的考証を経たものも見られる。…

【バンデの反乱】より

…とくにナントで国民公会議員カリエの指導により実行された大量の銃殺刑,溺死刑はよく知られており,約6000名の反徒とみなされた囚人がほとんど裁判を受けることなく処刑された。なお,ユゴーの歴史小説《93年》や,バルザックの小説《ふくろう党》などには,この革命期の反乱のありさまと背景がよく描かれている。【小井 高志】。…

【フランス演劇】より


【19世紀】

[ロマン派演劇と同時代風俗劇]
 タンプル大通りが〈犯罪大通り〉と呼ばれたのは,そこで流行した〈メロドラム〉(メロドラマ)という勧善懲悪お涙頂戴のサスペンス劇で無闇と殺人が行われたからであるが,G.deピクセレクールを代表とするこの大衆演劇は,1830年代から40年代にかけてのロマン派による文学戯曲変革の演劇的下地を作る。ユゴーによるロマン派演劇宣言《クロムウェルの序文》(1827),コメディ・フランセーズにおけるユゴー《エルナニ》初演(1830)の際の騒動(いわゆる〈《エルナニ》の戦い〉)から《城主》の失敗(1840)までの10年間を中心にするロマン派の詩人や作家の劇作は,〈犯罪大通り〉の繁栄とともに19世紀フランス演劇の第一の大きな時期を構成するが,しかしそこにはすでに,文学史と演劇史との〈ずれゆき〉をかいま見せている。たとえば,シェークスピアを神としたこの世代の最も重要な作品であるミュッセの《ロレンザッチョ》は世紀末まで上演されず,商業的成功としては,大デュマの〈時代物〉(〈マントと剣の劇〉と呼ばれる。…

【森田思軒】より

…同紙にジュール・ベルヌの《仏曼二学士の譚》(1887)などを翻訳連載した。ビクトル・ユゴーの《随見録》《探偵ユーベル》を周密な文体で翻訳し,ユゴーの人道主義を基盤にした批評の筆をふるい,国会新聞社を経て万朝報(よろずちようほう)社に入り同紙を刷新した。ユゴー《死刑前の六時間》《懐旧》などで翻訳王の名をほしいままにした。…

【レ・ミゼラブル】より

…フランスの詩人,小説家ユゴーの長編小説。1862年出版。…

【ロマン主義】より

…しかし,その影響力は大きく,例えばバイロンのギリシア解放戦争への参加と死はヨーロッパに衝撃を与え,ギリシア独立支持運動と古代ギリシア文学愛好熱高揚の引金となった。一方,スコットランドの過去の歴史をよみがえらせ,中世騎士道精神と郷土愛を賞揚するスコットの一連の歴史小説Waverley Novelsは,歴史学と小説に中世賛美の機運を興し,過去の時代の精確な生き生きとした描写を目ざす一種のロマン主義的写実主義とも称すべき傾向を生み,ユゴーの《ノートル・ダム・ド・パリ》やメリメの《シャルル9世年代記》,あるいはミシュレの《フランス史》等に影響を与えた。 ドイツでは,1770年ころからフランスの文化支配を脱し,啓蒙主義に対抗して個人の感性と直観を重視する反体制的な文学運動シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)が展開されたが,そのほぼ20年後にシュレーゲル兄弟,ティーク,シュライエルマハーらによって提唱されたロマン主義文学理論は,この運動の主張を継承し,フランス古典主義に対抗するものとしてのロマン主義を明確に定義づけ,古代古典文学の再評価とドイツに固有の国民文学の創造を主張した。…

【ロマン派演劇】より

…イタリアのロマン派劇は,概して国民主義的・政治的傾向が強かった。 マンゾーニの影響で,フランスでスタンダールが《ラシーヌとシェークスピア》を書いたのは1823年だが,V.ユゴーが《クロムウェル序文》でロマン派演劇の綱要を発表した1827年には,ドイツのロマン派はすでに終わろうとするころであった。ユゴーはシェークスピアの理念を借りて,さまざまのジャンルを総合したドラマを提唱した。…

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