ポスト構造主義を代表する現代フランスの哲学者。1930年、当時フランス植民地であったアルジェリアの首都アルジェ近郊のエル・ビアールで、ユダヤ人の両親から生まれた。周囲のアラブ人、ベルベル人の文化社会および言語社会とは切り離されたフランス化された社会のなかで教育を受け、フランス語を母語として育った。彼をパリへ駆り立てるきっかけとなったのは、同じくアルジェリアからパリへ渡ったアルベール・カミュであった。彼のアイデンティティは「フランス・マグレブ・ユダヤ人」という三重の特異性から導かれている。1956年パリのエコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)卒業と同時にハーバード大学での研究生活を始め、1957年ボストンでチェコ出身のマルグリット・オクチュリエMarguerite Aucouturier(1932― )と結婚。その後2年間アルジェリアで兵役に服する。1959年フランスに戻って、ル・マンのリセ・モンテスキュー、翌1960年からはソルボンヌ大学(パリ大学)、1964年からはエコール・ノルマル・シュペリュールで哲学を教える。その後20年間エコール・ノルマル・シュペリュールで教鞭(きょうべん)をとったのち、社会科学高等研究院に移る。この間、1968年の五月革命以降はアメリカ各地の大学で講演、講義を精力的にこなし、思想的影響力を強めた。1974年にはフランスの哲学教育の抑圧に対抗するため、哲学教育グループ「Greph(グレフ):Groupe de recherches sur l'enseignement philosophique」を結成、1979年にはソルボンヌで公開討論会「哲学の三部会」(参加者1200名)を開催、1983年にはミッテラン政権下での哲学教育拡大方針に沿って設けられた国際哲学カレッジの初代議長に就任した。1980年代には政治的な行動が注目され、チェコの反体制知識人を擁護するための「ヤン・フス協会」を創設し副議長となる。しかし1981年プラハ空港で「麻薬不法取引」で逮捕、拘留された。南アフリカにおけるアパルトヘイトに激しく反発し、ネルソン・マンデラを支援、援護した。1993年に創設された「国際作家会議」の主要メンバーとして世界中の迫害、暴力にさらされている知識人らの連帯を訴えた。同時に「アルジェリア知識人支援国際委員会」のメンバーでもあった。日本にも3回訪れた。
「脱構築」déconstructionをキーワードとした哲学理論によって世界的な影響を与えている彼の著書は、『幾何学の起源 序説』(1962)を発表して以来ほぼ50冊に達している。このデビュー作に続く『エクリチュールと差異』(1967)は、脱構築思想の基礎を築いたものとして位置づけられている。さらに『声と現象』『根源の彼方に――グラマトロジーについて』(ともに1967)と立て続けに発表。とくに後者はポスト構造主義を担うデリダの形而上(けいじじょう)学批判の書であり、脱構築の宣言といえる中心的なテクストである。
デリダによれば、古代ギリシア以降の「ロゴス(ことば=理性)」の基に打ち立てられた西欧形而上学は、知性的/感性的、内部/外部、主観/客観、同一性/差異、善/悪、人間/動物、パロール(音声言語)/エクリチュール(文字言語)などの、前項が後項に対して優位を占める正反対の概念の二項対立性で構築されてきた。哲学の仕事とはこれらの階層的二項対立を解体し乗り越えること、つまり西欧形而上学を脱構築することであるという。こうした西欧形而上学の脱構築の戦略として、デリダはエクリチュールに注目し、「ことば」と「意味」(=現前)について考察する。すなわち、西欧形而上学は、世界の「根源的な意味」が存在すること、そしてその「根源的な意味」は「経験」や「直感」の直接の現れであるパロールと、その正確な模写としてのエクリチュールによって「再現前」されること、という二つの事柄を前提としてきた。しかしデリダによれば、この「根源的な意味」、つまりことばの根源となる「同一性」は、むしろことばによる代補(=再現前)の可能性に依存している。そして「根源的な意味」を求めてことばを繰り返すたびに、その意味は「ずれ」続け、「差異」を生み出し、次々と意味の連鎖を生じる。これが「差延」différance(ディフェランス)である。「差延」とは「差異」の意味で普通に用いられる名詞différence(発音は同じ)からの造語で、デリダ思想を特徴づける概念的戦略装置である。
『根源の彼方に――グラマトロジーについて』のなかで、デリダはまた構造主義に対して厳しい批判を展開している。構造主義は、イデオロギーを排除した「客観的な現実認識」に至る可能性に立脚する点で、まさに理性(ロゴス)を中心に置く西欧形而上学のもっとも古典的な基準に結び付いている。『ヨハネ福音書』に「はじめにロゴス(ことば)ありき」とあるように、ロゴスとは神のことばであり、声である。こうした「音声中心主義」あるいは「ロゴス中心主義」は、プラトンやアリストテレス以来の「存在-神-目的論」onto-théo-téléologieの形而上学に基づいているのであり、構造主義はいまだそのようなヨーロッパ的思考の枠内にあるとするのである。
デリダは1960年代にフランスで思想的地歩を確立し、その思想的影響はとくに1970年代アメリカで高まる。エール大学のポール・ド・マンを中心にエッセイ集『脱構築と批評』(1979)が出版され、エール学派のブームが生まれた。その領域は文学を中心としながら社会思想、精神分析、芸術、歴史など広い範囲に及んだ。
[平野和彦 2015年5月19日]
『高橋允昭訳『声と現象――フッサール現象学における記号の問題への序論』(1970・理想社/ちくま学芸文庫)』▽『足立和浩訳『根源の彼方に――グラマトロジーについて』上下(1972・現代思潮社)』▽『若桑毅・梶谷温子訳『エクリチュールと差異』上下(1977、1983/合田正人・谷口博史訳・2013・法政大学出版局)』▽『ジャック・デリダ著、白井健三郎訳『尖筆とエクリチュール――ニーチェ・女・真理』(1979・朝日出版社)』▽『ジャック・デリダ著、白井健三郎訳『ヘーゲルの時代』(1980・日本ブリタニカ/1984・国文社)』▽『ジャック・デリダ著、高橋允昭訳『ポジシオン』(1981/新装版・2000・青土社)』▽『ジャック・デリダ著、白井健三郎訳『哲学における最近の黙示録的語調について』(1984・朝日出版社)』▽『ジャック・デリダ著、三浦信孝訳『カフカ論――「掟の門前」をめぐって』(1986・朝日出版社)』▽『ジャック・デリダ他著、浜名優美他訳『現代フランス哲学12講』(1986・青土社)』▽『J・デリダ著、鈴村和成訳『視線の権利』(1988・哲学書房)』▽『J・デリダ他著、鵜飼哲他訳『この男この国――ネルソン・マンデラに捧げられた14のオマージュ』(1989・ユニテ)』▽『ジャック・デリダ述、高橋允昭編訳『他者の言語――デリダの日本講演』(1989/新装版・2011・法政大学出版局)』▽『ジャック・デリダ著、港道隆訳『精神について――ハイデッガーと問い』(1990/新版・2010・人文書院)』▽『エドムンド・フッサール、ジャック・デリダ著、田島節夫・矢島忠夫・鈴木修一訳『幾何学の起源』(1992・青土社)』▽『ジャック・デリダ著、高橋哲哉・鵜飼哲訳『他の岬――ヨーロッパと民主主義』(1993・みすず書房)』▽『ジャック・デリダ著、土田知則訳『ジャック・デリダのモスクワ』(1996・夏目書房)』▽『ジャック・デリダ著、高橋允昭・阿部宏訳『絵画における真理』上下(1997、1998・法政大学出版局)』▽『ジャック・デリダ著、鵜飼哲訳『盲者の記憶――自画像およびその他の廃墟』(1998・みすず書房)』▽『ジャック・デリダ著、松浦寿輝訳『基底材を猛り狂わせる』(1999・みすず書房)』▽『ジャック・デリダ著、堅田研一訳『法の力』(1999/新装版・2011・法政大学出版局)』▽『ジャック・デリダ、アンヌ・デュフールマンテル著、廣瀬浩司訳『歓待について――パリのゼミナールの記録』(1999・産業図書)』▽『ジャック・デリダ著、港道隆訳『アポリア』(2000・人文書院)』▽『ジャック・デリダ著、飯吉光夫・小林康夫・守中高明訳『シボレート――パウル・ツェランのために』(2000・岩波書店)』▽『ジャック・デリダ著、湯浅博雄訳『滞留』(2000・未来社)』▽『ジャック・デリダ著、湯浅博雄訳『パッション』(2001・未来社)』▽『ジャック・デリダ著、守中高明訳『たった一つの、私のものではない言葉――他者の単一言語使用』(2001・岩波書店)』▽『ジャック・デリダ著、合田正人・中真生訳『ユリシーズ グラモフォン――ジョイスに寄せるふたこと』(2001・法政大学出版局)』▽『ジャック・デリダ著、林好雄・森本和夫・本間邦雄訳『言葉にのって――哲学的スナップショット』(ちくま学芸文庫)』▽『ジャック・デリダ他著、林好雄訳『ニーチェは、今日?』(ちくま学芸文庫)』▽『クリストファー・ノリス著、富山太佳夫・篠崎実訳『デリダ――もうひとつの西洋哲学史』(1995・岩波書店)』▽『松本浩治著『デリダ、感染する哲学――秘められた発生の問題』(1998・青弓社)』▽『高橋哲哉著『現代思想の冒険者たち28 デリダ――脱構築』(1998・講談社)』▽『東浩紀著『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』(1998・新潮社)』▽『上利博規著『デリダ』(2001/新装版・2014・清水書院)』▽『カトリーヌ・マラブー編、高橋哲哉・増田一夫・高桑和巳監訳『デリダと肯定の思考』(2001・未来社)』▽『森本和夫著『デリダから道元へ――「脱構築」と「身心脱落」』(ちくま学芸文庫)』
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フランスの哲学者。アルジェに生まれ,エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)に学び,現在同校の哲学担当教授。現前ないし現在を中心にした時間と存在の理解にたいするハイデッガーの批判を継承しながら,音声中心的ロゴス中心的な形而上学の支配を,フッサールの現象概念やソシュールの記号概念の中にも見とどけ,その克服を,差異化の作用一般にまで拡張された〈エクリチュールécriture〉の概念をてこにしてはかり,思考に新たな次元をひらく試みを重ねている。そのための戦略としての〈デコンストリュクシヨンdéconstruction〉(〈脱構築〉〈解体構築〉などと訳される)は,特にアメリカを中心として批評界にも影響を与えている。主著は《幾何学の起源》(1962),《グラマトロジーについて》《声と現象》《エクリチュールと差異》(いずれも1967),《ポジシオン》(1972)など。
執筆者:坂部 恵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの哲学者。西洋の歴史を通じて構築されてきたロゴス中心主義的な現前の形而上学を根底から読み換える「脱構築」を提唱した。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)に講師として勤務していた1970年代半ば,高校の哲学教育を削減するアビ改革に反対してGREPH(グレフ(フランス),哲学教育研究グループ(フランス))を結成し,哲学教育の拡大を要求する運動をフランス国内外で展開した。社会科学高等研究院(EHESS)に移籍した1983年,既存の大学制度とは一線を画する国際哲学コレージュ(フランス)をフランソワ・シャトレらとともに創設し,科学や芸術,文学などの諸領域との非階層的な交差による新しいタイプの哲学の創造を目指した。制度と哲学の関係,教師と学生の関係,哲学的教育法の特質,大衆化時代の哲学などをめぐる一連の考察は『哲学への権利』(1990年)に収録されている。晩年の『条件なき大学』(2001年)では,「すべてを公的に言う権利」を人文学の無条件的な力として肯定し,大学の脱構築を通じた新しい人文学への信を表明した。
著者: 西山雄二
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
… それでは,以上のような文学理論はどのような成果を生みだしたのか。その例のひとつとしてあげることができるのは,フランスの哲学者J.デリダの《グラマトロジーについて》(1967)以下の仕事であろう。彼は西欧の人間の文化活動のうちにひそむ形而上学的な二元論を,きびしく批判する。…
※「デリダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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