日本大百科全書(ニッポニカ) 「バタイユ」の意味・わかりやすい解説
バタイユ(Georges Bataille)
ばたいゆ
Georges Bataille
(1897―1962)
フランスの思想家、作家。9月10日、ピュイ・ド・ドーム県ビヨンに生まれる。1922年パリの古文書学校を卒業。思春期から20代初めまで熱烈なカトリック信者だったが、突如信仰を失ってのち、生涯一貫して無神論の立場から人間の至高のあり方を探究して苦闘ともいえる思索を続けた。早くからマルセル・モースの著作などを通じて社会学・人類学に関心を抱き、精神分析の治療を受け、マルクス、ヘーゲル、ニーチェを耽読(たんどく)したことが、その思想に濃い影を落としている。シュルレアリスムにも一時接近するが長続きしなかった。1936年、カイヨワ、レーリス、クロソウスキーらの友人と社会学研究会を設立、第二次世界大戦前後からヨーガの修練に励み、しだいに神秘的傾向を深める。戦後の1946年、人文科学の総合書評誌『クリティック』誌を創刊する。
彼の著作は、哲学、社会学、経済学、芸術論、小説、詩、文芸批評など多岐にわたるが、そこで交錯する「死」「エロティシズム」「禁止」「侵犯」「過剰」「消費」「贈与」「聖なるもの」といった主題はすべて、至高性という中心テーマに収斂(しゅうれん)する。至高性探究の記録の書たる三部作『無神学大全』(1943~1945)、一般経済学の構築を目ざした『呪(のろ)われた部分』(1949)、凄絶(せいぜつ)な死とエロティシズムの小説『眼球譚(たん)』(1928)、『マダム・エドワルダ』(1941)、『空の青』(1957)、それを理論面から扱った『エロティシズム』(1957)、芸術起源論『ラスコー、あるいは芸術の誕生』(1955)、文芸評論集『文学と悪』(1957)などがある。1962年7月8日没。
[横張 誠 2015年5月19日]
『生田耕作他訳『ジョルジュ・バタイユ著作集』全15巻(1969~1975・二見書房)』
バタイユ(Henry Bataille)
ばたいゆ
Henry Bataille
(1872―1922)
フランスの劇作家。ニームに生まれる。初め画家か詩人を志したが、友人との共作の戯曲『眠れる森の美女』(1894)が契機となり2、3の習作を経て、息子の友人と恋愛する母親の情欲と母性愛との葛藤(かっとう)を描いた『ママン・コリブリ』Maman Colibri(1904)が出世作となる。ついで『結婚行進曲』Marche nuptiale(1905)でやはり皮相な恋愛に失敗し自殺する女性像を描き、『狂える処女』(1910)とあわせ三部作を完成した。しかし、第一次世界大戦直前の『蛾(が)』(1913)などに対し批評家から自然の詩味を欠く「腐った芝居」と極印を打たれ、三部作の最初の二作を代表作として、戦後まもなく没した。
[本庄桂輔]