「書かれたもの」や「文字」、「書くこと」や「文体」、「書き言葉」を意味するフランス語。この語を哲学的概念として定式化したのはジャック・デリダである。
デリダは、1967年に出版された『声と現象』La voix et le phénomène、『エクリチュールと差異』L'écriture et la différence、『根源の彼方に――グラマトロジーについて』De la grammatologieの3冊で、西欧の思想を支配してきたロゴス中心主義を脱構築するために、戦略的にこの概念を使用した。ここでいうロゴスとは、一方で言葉、とくに話し言葉であり、他方で理性、合理性、論理である。デリダは、西欧の思想が、この二つの意味でのロゴスを最終的なよりどころにしてきたことを、プラトン、ルソー、ソシュール、フッサールらのテクストに沿って実証する。そして、完全な自己現前は不可能であること、パロール(話し言葉)がエクリチュールよりも直接的に語り手の意図を伝達できるわけではないこと、またしたがって単線的で一元的なテクストの意味はなく、一つのテクストにも多くの正当な解釈がありうることを主張した。
デリダが批判するのは、第一に「声は主体に近い」という考えである(音声中心主義)。自分が話す声を同時に聞くことができるという経験から、パロールこそ私の思考を直接的に表すものであるという考えが生じる。そこからエクリチュールはパロールの代補にすぎないとされてきた。第二に、この音声中心主義の基盤にあるのは、「現前の形而上学」である。すなわち、声が自己に近いとする発想は、声を出さずに「自分が話すのを聞く」ことこそ自己意識そのものだという考えを前提にしている。実際、西欧哲学では、この「自己の自己への直接的現前」としての自己意識こそが真理の起源であるとされてきた。第三にデリダが批判するのは、序論から結論へといたる直線的なエクリチュールの容れ物としての書物である。実際、これ以後デリダは、『散種』La dissémination(1972)、『余白――哲学について』Marges; de la philosophie(1972)、『弔鐘』Glas(1974)などで、単線的、一元的な意味に拘束されないエクリチュールを実践する。
デリダが主張するのは、著者の純粋な思考という唯一無二の起源はないこと、ましてやその起源なるものが自分自身といささかのずれもなく自己現前することはないということである。エクリチュールは、常に起源としての著者の純粋な思考をよみがえらせることに失敗するが、むしろそのことによってその起源について考えることを可能にする。その結果明らかになるのは、起源には自己に対する隔たりと遅れを生む働きしかないことである。そしてデリダは、この差異と遅延を生じる働きを、原(アルシ)エクリチュール、痕跡(トラス)、あるいは差延différanceと呼んだ。
[松葉祥一]
『ジャック・デリダ著、高橋允昭訳『声と現象』(1970・理想社)』▽『ジャック・デリダ著、足立和浩訳『根源の彼方に――グラマトロジーについて』上下(1972・現代思潮社)』▽『ジャック・デリダ著、若桑毅ほか訳『エクリチュールと差異』上下(1977、1983・法政大学出版局)』▽『Marges; de la philosophie(1972, LesÉditions de Minuit, Paris)』▽『Glas(1974, Galilée, Paris)』▽『La dissémination(1993, Éditions du Seuil, Paris)』
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…アルジェに生まれ,エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)に学び,現在同校の哲学担当教授。現前ないし現在を中心にした時間と存在の理解にたいするハイデッガーの批判を継承しながら,音声中心的ロゴス中心的な形而上学の支配を,フッサールの現象概念やソシュールの記号概念の中にも見とどけ,その克服を,差異化の作用一般にまで拡張された〈エクリチュールécriture〉の概念をてこにしてはかり,思考に新たな次元をひらく試みを重ねている。そのための戦略としての〈デコンストリュクシヨンdéconstruction〉(〈脱構築〉〈解体構築〉などと訳される)は,特にアメリカを中心として批評界にも影響を与えている。…
※「エクリチュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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