古代ギリシアの歴史家。トラキア地方に富と勢力をもつ、アテネの有力貴族の家に生まれた。保守派の政治家キモンとも縁続きであったと思われる。しかし、彼は青年期に民主派の指導者ペリクレスをめぐる若者のグループに属し、自然哲学者アナクサゴラスらに学んだらしい。
紀元前431年、アテネとスパルタとの間にギリシアの覇権をかけたペロポネソス戦争が起こると、彼はこの戦争が史上最大の規模に達するであろうと予測し、その戦況を逐一記述することを決意した。前424年にアテネ軍の将軍となり、トラキア地方のアテネ植民市アンフィポリス救援のために艦隊を率いて出動した。しかしこの作戦は失敗に終わり、彼はその責任を問われて追放処分を受け、トラキアの自己の所領へ亡命した。ここで彼は金山経営の収益によって十分な生活の余裕を得るとともに、広くギリシア各地を訪れ、事件の正確な情報をその参加者や目撃者から収集した。また、追放の身を逆用し、両軍から等距離の位置を保つことによって、戦争の経過を公正な見地から観察することができた。20年間の亡命生活を送り、前404年に戦争がアテネの敗北で終わるとともに、帰国を許され、その後数年間著作活動に専念したのち死亡した。
ペロポネソス戦争を主題とする彼の『歴史』は、八巻からなっているが、記述は前411年までで未完のまま終わっている。この戦争に至るまでのギリシア史を概観した「考古学」の部分に続いて、彼は、1年を夏冬の2期に分け、戦争開始の年から季節の順を追って記述する編年史の形で、21年間の事件を叙述する。話をおもしろく読ませることよりも、真実を伝えることに永遠の価値をみる彼は、対象を厳密に政治・軍事史に限定し、綿密な吟味を加えた史料に基づいて、事件の誘因と真因とを区別しながら、事実をできる限り正確かつ公平に叙述することに努めている。しかし、彼は単なる実証的な年代記作家ではなかった。荘重な文体と難解な文章で叙述された彼の『歴史』には、各国の指導的人物の民会や戦場で行った演説が、敵味方を対(つい)にして、随所に挿入され、危機に陥ったり決断を迫られたときの人間の心理を鋭くえぐり出している。そこにみられる人間心理への洞察の深さこそ、その史料批判の厳密さとともに、『歴史』を古典古代の歴史叙述の最高傑作にまで高めている要因であるといえる。
[篠崎三男]
『久保正彰訳『戦史』上中下(岩波文庫)』
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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