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トルコマンチャーイ条約 トルコマンチャーイじょうやく

百科事典マイペディアの解説

トルコマンチャーイ条約【トルコマンチャーイじょうやく】

ロシアとカージャール朝イランの国境紛争後,1828年にイランのトルコマンチャーイTorkomanchayで結ばれた条約。戦いに敗れたイランは,アラス川以北のザカフカスの領土割譲,賠償金支払いのほか,ロシア人に治外法権を認め,以後西欧列強の圧力増大に苦しんだ。
→関連項目アゼルバイジャン(地方)アルメニア(国)アルメニア(地方)

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世界大百科事典 第2版の解説

トルコマンチャーイじょうやく【トルコマンチャーイ条約】

1828年にタブリーズの南東,トルコマンチャーイTorkomānchāyで,ロシアとカージャール朝イランとの間で結ばれた外交・通商条約。1813年のゴレスターン条約でも取り決められなかったアルメニアエレバンナヒチェバンの領有権をめぐって,両国は26年に再び戦争をおこしたが,ロシア側の勝利に終わった。この結果,イランは巨額な賠償金支払のほかにアラス(アラクス)川以北のザカフカスを最終的に失った。また,治外法権を初めてロシアに与え,ロシアに有利な関税協定が定められるなど不平等条約の出発点となり,この状態はレザー・シャーの条約改正のときまでつづいた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トルコマンチャーイ条約
とるこまんちゃーいじょうやく

1828年2月21日、カージャール朝イランとロシアがタブリーズの南東約96キロメートルに位置するトルコマンチャーイTorkomanchyで結んだ条約。1813年のゴレスターン条約でジョージア(グルジア)、ダゲスタンとアゼルバイジャンの一部をロシアに譲ったイランでは、宗教界を中心に反ロシア感情の高まりがみられた。1825年、その帰属をめぐって両国が争っていたアルメニアのギョクチャ地域にロシアが軍を進めると、イラン人の反ロシア感情はその極に達した。翌1826年イランは開戦したが、結局1827年10月タブリーズを落とされ、屈服した。この条約でイランはアラス川以北の地を失い、多額の賠償金支払いを義務づけられた。またロシアの貿易品に課される関税が5%以下に抑えられ、イランに住むロシア人の治外法権が認められた。その後、他のヨーロッパ諸国も同様な権利を得、1928年レザー・シャーが全対外不平等条約を破棄するまで約100年間、イランはこの治外法権のために苦しんだ。[羽田亨一]

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世界大百科事典内のトルコマンチャーイ条約の言及

【アルメニア】より

…ロシアのアルメニア併合は,トルコ,イランへの対抗力としてロシアを利用しながらアルメニアを解放しようとしたこの国の指導層に依拠する形で進められた。19世紀初頭3度の対イラン戦争の後,1828年トルコマンチャーイ条約によって東アルメニアはロシアに併合された。続く対トルコ戦争でロシア軍はカルス等を占領したが,29年アドリアノープル条約でトルコへの返還を余儀なくされた。…

※「トルコマンチャーイ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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