フランス中東部,オーブ県の県都。司教座所在地。人口6万2612(1999)。パリの南東約160kmにあり,セーヌ川に臨む。18世紀から,特に19世紀に同市を中心にニット製品の生産が発展し,現在でもフランス最大の生産地である。その他,タイヤなどの工場も同市やその周辺に立地している。
かつてはケルト人の一部族の首邑であり,ローマ時代にはアウグストボナAugustobonaと呼ばれた歴史の古い都市で,4世紀にはすでに司教座が置かれた。451年にアッティラの率いるフン族から市を救った司教ルーLoup(426-478)は有名である。中世にはシャンパーニュ伯の支配下に入り,その領地の中心として栄えた。1284年に後継者ジャンヌ・ド・ナバールとのちのフィリップ4世とが結婚し,その結果,王領地に編入された。トロアを中心とするシャンパーニュ地方は,12~13世紀には〈シャンパーニュの大市〉として知られる定期市の開催地として繁栄した。それは,領主のシャンパーニュ伯が保護や特権を与えたことや,この地が当時,フランドル~イタリア,パリ~ドイツなどの西ヨーロッパ諸地域間の内陸交通の結節点であったことなどによる。大市は13世紀に繁栄の頂点に達したが,14世紀に入ると,イタリアとフランドル,イングランドとを直接結ぶ海上交通の発達,百年戦争の勃発などにより急速に没落した。百年戦争中には,イギリス国王ヘンリー5世にフランス王位継承権を認めた〈トロア条約Traité de Troyes〉(1420)がこの地で締結された。旧市街には教会や古い木骨造の家屋などが数多く残っている。
執筆者:礒部 啓三
13世紀初め~17世紀に建造された大聖堂(サン・ピエール・エ・サン・ポール)は,パリのノートル・ダム大聖堂とシャンパーニュ地方の教会堂建築の両形式を総合したもの。1208年起工され27年にほぼ完成した同大聖堂内陣は,ゴシック・レイヨナン様式の起源を解く鍵となる構造で,サン・ドニ修道院身廊に直接の影響を与えた。また各時代にわたるステンド・グラスも知られる。他方,1262年,同市出身の教皇ウルバヌス4世(在位1261-64)の命で着工されたサンテュルバン教会は,トリフォリウムを除去した単純な2層構成をなし,極度に細い部材を用いた石柱間はすべて典雅なステンド・グラスで覆われ,後期ゴシック建築の典型をなす。また,マドレーヌ教会の内陣障柵と聖女マルタ像(石造。作者不詳)は16世紀トロア派彫刻の最良の例である。市立図書館はクレルボー修道院旧蔵書ほか約20万冊(3000以上の手写本)の蔵書を誇る。
→シャンパーニュ
執筆者:岸本 雅美+馬杉 宗夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランス北東部、オーブ県の県都。パリ東南東158キロメートル、セーヌ川沿いに位置する。人口6万4769、都市圏人口12万5240(1982)。シャンパーニュ地方南部にあり、ランスに次ぐ同地方第二の都市。司教座の所在地で、中世以来、商業が栄えた。伝統的な頭巾(ずきん)・靴下製造のほかに、ゴム(タイヤ)、車輪リム製造、起重機、錠(じょう)、照明、金属杭(くい)、製紙などの工業も盛ん。パリ―バーゼル間の鉄道幹線に沿い、近くに空港もある交通の要衝。サンピエール・エ・サンポール教会(13~17世紀)、サント・マドレーヌ教会(12、16世紀)、ゴシック様式のサンチュルバン大寺院(13世紀)、サン・パンタレオン教会(16世紀)など古い教会が多い。
[大嶽幸彦]
…1285年フランス王領へ併合された。主都はトロアTroyes。パリをかなめとする扇のような,同心円状の三つの地帯からなり,内側は〈イル・ド・フランスの急崖〉の丘陵地帯,中央部は〈乾燥(不毛な)シャンパーニュChampagne sèche(pouilleuse)〉の台地,外側は〈湿潤シャンパーニュChampagne humide〉の低地である。…
※「トロア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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