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トロツキズム トロツキズム Trotskism

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トロツキズム
トロツキズム
Trotskism

ロシアの革命家トロツキーの思想とそれに依拠した運動の総称。その中軸となる思想に,永続革命論がある。これは,後進国における革命の永続的推進,プロレタリア権力樹立以降の過渡期建設の完遂,プロレタリア革命の国際的規模での連続的推進の3側面から構成される理論で,『1905年,結果と展望』にまずその基本理念が打出され,スターリン一国社会主義論との抗争のなかで完成されていった。

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デジタル大辞泉の解説

トロツキズム(Trotskyism)

レーニンスターリンの一国社会主義革命論に反対し、世界革命を主張するトロツキーの思想。

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百科事典マイペディアの解説

トロツキズム

トロツキーの永久革命論に基礎をおくマルクス主義の一分派。一国社会主義に立ったスターリンらが批判的に与えた呼称。ソ連共産党ではこれを極左冒険主義と規定した。→第四インターナショナル

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世界大百科事典 第2版の解説

トロツキズム【Trotskyism】

ロシア革命の指導者の一人トロツキーの思想とそれを実践する運動。思想的には,トロツキズムの柱は永久革命論とソ連国家論の二つからなる。永久革命論は,《総括と展望》(1906)や《永久革命論》(1930)において定式化されている。トロツキーによれば,ロシアのような後進国は歴史の総合的発展により,おくれているがゆえに進んでいる社会構造をもっている。プロレタリアートは数は少なくともその力はきわめて強い。このような国の変革は,農民その他のさまざまな民主的要求をもって始まるが,政治的指導力をもちうるのはプロレタリアートのみであり,ひとたびプロレタリアートが権力をにぎれば,必ず資本主義的生産秩序に手をつける社会主義的変革へ進まなければならない。

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大辞林 第三版の解説

トロツキズム【Trotskyism】

ロシアの革命家トロツキーの革命理論。永続革命論の立場からスターリンらの一国社会主義に対して、プロレタリア世界革命なしには社会主義の勝利はあり得ないとするもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トロツキズム
とろつきずむ
Trotskyism

ロシアの革命家トロツキーの永続革命論に対して、ソ連共産党の主流派が与えた名称。極左冒険主義に対する非難のレッテルとして用いられた。
 ロシア革命の課題と展望について、プレハーノフとメンシェビキはブルジョア革命を主張し、レーニンは「労農民主独裁」から社会主義革命に進む二段階連続革命論を唱えた。これに対して、トロツキーの永続革命論は、(1)ロシアでは、ブルジョア民主主義の課題は「農民に支持されたプロレタリアート独裁」によってのみ達成され、この権力のもとで民主主義革命はただちに社会主義革命に成長する。(2)プロレタリアートの権力獲得は、革命を開始するにすぎず、社会主義建設は世界革命によってのみ成就される、と主張した。1917年の十月革命は、トロツキーの展望したように、プロレタリア革命の旗印のもとで行われ、労農政府が成立した。
 しかし、彼が期待した西欧の先進国における革命は挫折(ざせつ)し、ソ連は孤立した。それにもかかわらず、トロツキーは世界革命を待望し、一国社会主義不可能論を説いたので、スターリンによって、社会主義の勝利を信じない「降伏主義」というレッテルをはられ、革命の輸出を企てる冒険主義者とみなされるようになった。実際には、トロツキーは降伏主義者だったわけではなく、ソ連の急速な工業化と農業の段階的な集団化を進めることによって革命を防衛し、コミンテルンによって世界革命を促進することを主張したのである。彼は武力による革命の輸出には反対した。
 国外追放されたのちトロツキーは、ソ連が「堕落した労働者国家」であり、特権的な官僚層(カースト)に支配されている、と考えるようになった。したがって、国有化された工業と集団化された農業を防衛しながら、新たな「政治革命」によって官僚層の支配を打倒しなければならないと主張した。同時に、ソ連は「労働者国家」であるから、ファシズムの侵略に対してはソ連を擁護すべきことを説いた。トロツキーは、ドイツ・ファシズムの台頭に対抗して共産党と社会民主党の「防衛的」統一戦線を主張し、スターリンとコミンテルンの「社会ファシズム論」「社会民主主義主要打撃論」に反対した。彼は、共産党が政治的独立と批判の自由を確保しつつ、共通の敵であるナチスと闘うために社会民主党と協力することを提案し、「別個に進んでいっしょに撃て」というスローガンを掲げた。しかし、ドイツ共産党の敗北後コミンテルンが1935年の第7回大会で、ブルジョア政党を含めた反ファシズムの「人民戦線」路線を採用すると、これにも強く反対した。彼は「ファシズムか社会主義か」という図式に固執し、ファシズムか民主主義かという人民戦線路線は受け入れることができなかった。
 トロツキーは国際主義者であり、西欧中心主義者であったが、ロシア革命の経験から西欧の革命について類推する一面性を免れず、先進国革命の課題にはこたえることができなかった。トロツキーは第三インター(コミンテルン)に反対して第四インターナショナルを提唱した。
 このようにトロツキーの主張自体はかならずしも極左冒険主義と性格づけうるものではなかったが、スターリンや各国共産党は、党内の反対派に対ししばしばトロツキズムのレッテルをはり、党から追放し、1930年代後半には大量粛清で肉体的にも抹殺した。わが国でも、1960年安保闘争時の全学連主流派の国会突入戦術や、60年代末の全共闘運動などに対し、共産党の側からトロツキズムという非難が浴びせられたことがある。[志田 昇]

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