ドミティアヌス(英語表記)Titus Flavius Domitianus

改訂新版 世界大百科事典 「ドミティアヌス」の意味・わかりやすい解説

ドミティアヌス
Titus Flavius Domitianus
生没年:51-96

ローマ皇帝。在位81-96年。父ウェスパシアヌス帝から兄ティトゥス帝在位中にかけて何度かコンスル職を務めたが,兄とは仲が悪く不遇であった。81年兄の急死後即位。その統治厳格ながらも公正であったといわれるが,一方,元老院を抑圧し,10回もコンスル職を兼任し,また〈主にして神〉と自称してキリスト教徒を弾圧するなど,独裁的な専制政治を展開した。対外的にはゲルマニアのライン,ドナウ川上流地帯にリメス長城)を築き,またブリタニア北部を征服したが,たび重なるダキア族の侵入に対し大敗を喫し,屈辱的な条件で和平を結ばざるをえなかった。こうした対外戦争や民衆の人気取りのための公共事業などにより多大な国費が浪費された。89年ゲルマニア総督サトゥルニヌスの反乱後ますます疑い深くなり,有力な元老院議員の処刑,財産没収が相次いだ。特に93年以後恐怖政治が強まり,ついに96年,妃ドミティアらにより暗殺された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドミティアヌス」の意味・わかりやすい解説

ドミティアヌス
どみてぃあぬす
Titus Flavius Domitianus
(51―96)

ローマ皇帝(在位81~96)。フラウィウス朝の創始者ウェスパシアヌス帝の息子。兄ティトゥス帝の死後に即位した。有能な政治家で軍人としても優秀であったが、反面専制的傾向が強く、85年以後終身ケンソルcensor perpetuusとなり、元老院を無視して独裁化を強め、さらに「主にして神」dominus et deusと称してユダヤ教徒やキリスト教徒などを迫害した。88年の上ゲルマニア総督サトゥルニヌスAntonius Saturninusの反乱以後、密告を奨励し、有力な元老院議員を次々と処刑して財産を没収した。対外政策では、アグリコラAgricolaによるブリタニア征服や、ゲルマニア・ダキア征服戦争などが行われたが、ダキア征服は成功しなかった。93年以後、彼の猜疑(さいぎ)心はますます強まって恐怖政治は頂点に達し、側近、有力者の処刑が相次ぎ、またエピクテトスなどの哲学者が追放された。身の危険を感じた妃ドミティアDomitiaが側近と謀り、96年9月18日、ドミティアヌスを暗殺した。

[島 創平]

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百科事典マイペディア 「ドミティアヌス」の意味・わかりやすい解説

ドミティアヌス

ローマ皇帝(在位81年―96年)。ウェスパシアヌスの子,ティトゥスの弟。属州統治や辺境防衛に力を尽くしたが,専制的な傾向が強く,〈主にして神〉を自称してキリスト教徒を迫害し,恐怖政治を行ったため暗殺された。
→関連項目ネルウァ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドミティアヌス」の解説

ドミティアヌス
Titus Flavius Domitianus

51~96(在位81~96)

ローマ皇帝。ウェスパシアヌス帝の子で,ティトゥス帝の弟。専制的な傾向が強く,元老院議員などの有力者を反逆のかどで処刑した。帝自身も暗殺された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ドミティアヌス」の解説

ドミティアヌス
Titus Flavius Domitianus

51〜96
古代ローマの皇帝(在位81〜96)
兄ティトゥスのあとをついで即位。皇帝権の絶対性を主張し,ライン,ドナウ川上流に長城を築くなど,ゲルマニアの統治に成果をあげたが,晩年は元老院を無視して暴虐となり,妻らに暗殺された。

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世界大百科事典(旧版)内のドミティアヌスの言及

【キリスト教徒迫害】より

…けれども伝承ではペテロ,パウロなどがこのとき殉教したとされている。 以後1世紀末ドミティアヌスの治世になると,小アジアで大きな迫害が行われたらしい。この時期に書かれた《ヨハネの黙示録》が,怪物になぞらえられたローマ帝国にはげしい憎悪を示しているのはそのためだといわれるが,具体的な迫害の様相は不明である。…

【フラウィウス朝】より

…ネロ帝の死によるユリウス・クラウディウス朝の断絶に続く内乱を収拾したフラウィウス家のウェスパシアヌス(在位69‐79)は元首に迎えられ,その治世には法制が整えられ,官僚制も進展した。彼の後を継いだ長子ティトゥス(在位79‐81)は善政をしいて〈人類の寵児〉とたたえられたが,次子ドミティアヌス(在位81‐96)は恐怖政治に傾いたので,反感をかい暗殺された。【本村 凌二】。…

【本】より

…出版物はローマの皇帝が検閲した。暴君ドミティアヌスなどは,自分の意に反する書物が出版されると,その著者のみならず筆写した奴隷まで殺したと伝えられる。法治思想の発達したローマではあったが,版権に関する規約はなかった。…

【ローマ】より

…彼はエルサレムを攻略し,他方四帝並立のすきに蜂起していたライン地方のキウィリスGaius Julius Civilisの反乱,ガリアのクラッシクスJulius Classicusの独立運動も破砕された。こうして内乱鎮圧者として〈世界の再建者(レスティトゥトル・オルビスrestitutor orbis)〉として権力を確立したウェスパシアヌスは,自分(在位69‐79)と2人の息子,ティトゥス(在位79‐81)とドミティアヌス(在位81‐96)の帝位を確立し,フラウィウス朝を開いた。 この王朝の下で皇帝はしだいに絶対主義的になった。…

※「ドミティアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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