ローマ帝政時代のストア哲学者。小アジアのフリギアの生まれ。ローマの奴隷の身分でありながらストア哲学を学び、のちに解放された。90年ごろギリシア西海岸のニコポリスに移り、学校を創設した。著作はなく、弟子アリアノスLucius Flavius Arrianus(87―145)の筆録した『語録』Diatribaiと、それを要約した『ハンドブック』Encheiridionが残存する。エピクテトスの立場をもっともよく表すのが「忍耐せよ、断念せよ」という標語である。「われわれのものと、われわれのものに非(あら)ざるものとがある」と彼はいう。われわれの判断や欲望や行為はわれわれの自由になるが、身体、財産、名声、権力などは必然によって支配され、われわれの力ではどうにもならないものである。このありのままの「自然」を認識し、われわれの意志をそれに一致させるための修練が哲学である。かくして、「私は神とともに選び、ともに欲し、ともに意志する」と唱えた。彼の影響は、同じストア学派のマルクス・アウレリウスをはじめ、キリスト教の教父たちや、近世のパスカルなどにまで及んでいる。
[田中享英 2015年1月20日]
ローマ期のギリシア人哲学者。古代ストア学派の哲学を伝える数少ない断片を残している。奴隷の子として成長したが,向学心があったため,主人は当時の有名なストア哲学者ムソニウス・ルフスMusonius Rufusのもとに弟子入りさせ,後に解放してやった。初めローマで哲学を講じていたが,86年ドミティアヌス帝の哲学者追放令によってギリシアのニコポリスに行き,そこで教団を開いて生涯を終えた。生涯,著作を書かなかったが,弟子のアリアヌスが師の言行を伝える《語録》と《箴言》を残している。それらがローマ皇帝マルクス・アウレリウスに与えた影響は甚大なものがある。彼はストア精神の源流に帰ろうとし,ソクラテスやシノペのディオゲネスの生き方を手本とした。人間が完全に自由に支配しうるのは自分の意志しかない。これは父なる神からの最善のたまものなのである。この意志を外的なものによってねじまげられてはならない。つねに自分のできることとできないことを弁別すべきであり,できないものを追求するところに,あらゆる不幸の原因がある。〈心にとめなければならない二つのことがある。一つは意志を離れては善いものも悪いものもないということ,二つはできごとを予期したり支配しようとしてはならず,理性によってそれを受けいれなければならないということである〉。この諦念に達したとき初めて,人は神の偉大さに気づき,その摂理に従うことによって,真の幸福にあずかることができる,とするのである。
執筆者:大沼 忠弘
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55頃~135頃
ローマ時代のストア学派の哲学者。小アジアのフリュギア出身の奴隷としてローマに住み,のち解放されて自由人となる。ドミティアヌス帝に追放され,ギリシア北西部に移る。自然の法則に合致した生活により魂の自由を得ることを説いた。弟子アリアノスの編集した『語録』が伝わる。
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