ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェスパシアヌス」の意味・わかりやすい解説
ウェスパシアヌス
Vespasianus, Titus Flavius
[没]79.6.24. ローマ
ローマ皇帝 (在位 69~79) 。騎士身分 (エクイテス ) 出身のたたき上げの軍人から登位,ネロ帝没後の内乱を収拾してフラウィウス朝を開始した。父は取税人 (プブリカニ ) 。兄はローマ市長官をつとめた。 39年に法務官 (プラエトル ) 。クラウディウス帝時代,有力者ナルキッススの支持を得てブリタニア遠征軍の司令官となり成功を収め,51年には執政官 (コンスル ) に就任。 63年アフリカ総督として激しい収奪を行い,以後,常に貪欲な人物と評されるにいたった。ネロ帝の寵を得て,彼の詩の朗読中居眠りするという失態を犯したが,罰されることもなかった。 67年ユダヤの反乱鎮圧におもむく。 68年内乱が生じてネロが自殺し,ガルバ,オトーが立つとこれを承認しようとしたが,彼らも殺されるに及んで帝位獲得に乗出し,エジプト,シリア,次いでドナウ軍団の支持を得た。同年 12月ローマのウィテリウスを滅ぼして入城,皇帝と認められた。ただちに統治確立に着手。息子のチツスを重用して,軍隊の忠誠心を固め,経済再建を行う。属州からの徴税を倍加させ,ギリシア諸市の特権を奪うなどその貪欲さを発揮した。公共建築の建設を進め,綱紀粛正に努めた。 70年にはチツスがユダヤの反乱を制圧。さらにライン国境,ブリタニアの不安も一掃して辺境の安定に成功した。無名の家系出身の弱点を補うために,神託を利用して自身と息子たちの権威を喧伝し,王朝の継続実現に腐心した。しかし元老院との関係は良好で,属州民に対しても財政的見地からではあるが,ラテン権やローマ市民権を惜しみなく与え,元老院への人材補給にも努めた。勤勉,質実でローマ貴族の範とされるにふさわしく,史家タキツスにも評価されている。「パクス (平和) 」の語を好んで貨幣に打たせた。死にのぞんで神となることを望み,死後ただちに神格化された。
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