翻訳|Druid
紀元前10世紀ごろライン川付近に発し、アイルランドにまで及んだケルト民族の祭司階級。カエサルの『ガリア戦記』以外にほとんど資料を欠き、いまだ謎(なぞ)に包まれているが、霊魂の不滅を信じ、占卜(せんぼく)により政治的・法的決定をなしたといわれる。犠牲(いけにえ)をつかさどる祭司は、小枝細工の動物をかたどった籠(かご)を編み、その脚部に人間を入れて燃やし、詩人は歌をつくり、それを宴席で歌って戦士を鼓舞し、その上にいる神聖なドルイドは森の奥に隠棲(いんせい)して自然の秘奥を観照する。つまりドルイドは神、来世、天球の動き、未来などに通暁する賢者であった。しかしこの知恵は種族の優れた若者に限って口伝されたため、どのようなものであったか、かいもくわからない。
ドルイドは神殿を構えず、森の奥の、しかも天体のよく見える地を選んで祭壇とした。樹木のなかではとくに枝を張り巨木となるオークを神聖視した。聖なる森は聖別された泉や川により灌漑(かんがい)され、堀や土手に囲繞(いじょう)されて、中央には巨石群があったともいわれる。ドルイドがもっとも神聖視したのはヤドリギで、万病の薬と考えられ、冬至と夏至の日に恭しく採取されたという。ヤドリギはオークの木に生え、素手または金の小刀によってとられた。クリスマスにヤドリギが飾られるのはこの遺風ともいわれる。キリスト教化された後のアイルランドにおいては、ドルイドは単なる妖術(ようじゅつ)使い、巫術(ふじゅつ)使いとして敵視されるようになった。
[船戸英夫]
『ミランダ・J・グリーン著、井村君江監訳、大出健訳『図説ドルイド』(2000・東京書籍)』▽『河合隼雄著『ケルト巡り』(2004・日本放送出版協会)』
古代のケルト人の信仰をつかさどった聖職者,司祭階級。前7世紀ころから明確に姿を現す。前1世紀のカエサルの《ガリア戦記》によれば,ドルイドは貴族層に属し,公私の神事,犠牲,裁判,占星,民衆の教化などをつかさどり,絶大な権威を有した。ケルト人は霊魂の不滅を信じ,動植物の姿をとる神々を崇拝,泉や森,とくにヤドリギ,オークを神聖視し,犠牲をささげ占いをおこなった。こうした宗教を指導・教化したのが,ケルト語で元来〈オークの木を知っている人々〉を意味したドルイドであった。紀元前後ころその信仰の最大の中心地はブリタニアのモナ(現在のウェールズのアングルシー島)で,歴史家タキトゥスによれば,61年ローマ軍がここを攻めたとき,戦勝祈願に来た多数のドルイドを殲滅(せんめつ)し,神聖な樹々を切り倒したと伝えている。この事件を一つの契機に,ケルトの宗教やドルイドは衰え,キリスト教の普及とともに消滅したが,それらの要素は民話や地方的慣習の中に残存しているといわれる。
執筆者:青山 吉信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ローマと接触するころまでには,北東部にはケルトとゲルマンが混じたベルガエ人,中央部にケルト人,南西部にはケルトとイベリア人が混じたアクイタニア人が住むようになっていた。これらガリア人はドルイド教を信仰し,ドルイド神官は超部族的な支配層であったが,政治的にはガリア諸部族が統一されることはなく,この諸部族間の分立・反目がやがてローマのガリア進出を招くことになる。
[ローマの支配]
前4世紀初頭,ケルト人の一派は北イタリアに侵入して先住のエトルリア人を追い出し,やがてポー平原に定着する。…
… この段階におけるケルト人の社会では,古典作家たちが記述したように,部族ごとに社会統合が進みつつあり,支配身分たる貴族の固定化が明らかになっていたと思われる。自由身分の戦士と不自由身分とが存在し,これに加えて,特異な身分としての神官(ドルイド)が存在した。祭祀者たるドルイドは,特権身分として世襲され,ケルト人の文化的伝統の体現者として,政治・社会を指導していた。…
※「ドルイド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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