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ドレーク Drake, Edwin Laurentine

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドレーク
Drake, Edwin Laurentine

[生]1819.3.29. グリーンビル
[没]1880.11.8. ベスレヘム
アメリカの石油掘削者。 1858年石油会社に入社,削井の仕事に没頭し,翌年ペンシルバニア州タイタスビル近郊において綱掘式削井法による石油井戸掘削に成功,以後の石油工業発展の基礎をつくった。その後,石油の仲買人として流通業に手を広げたが,うまくいかず,事業家としては失意のうちに没した。

ドレーク
Drake, Sir Francis

[生]1543頃.デボンシャー
[没]1596.1.28. ポルトベリョ沖
イギリスの海賊,海軍軍人。沿岸航路で習練後,1566年以降 J.ホーキンズ配下の海賊船船長としてメキシコ湾を荒し,72年西インド諸島のスペイン植民地を襲撃,多くの略奪品をもって翌年帰国。 77年 12月5隻の船隊を率いて世界周航に出発,南アメリカ沿いに南下,マゼラン海峡を通り,ドレーク海峡を見出す。太平洋をチリ,ペルー沿いに北航し,北緯 48°あたりまで北上,太平洋を横切り,モルッカ諸島喜望峰を経て,80年9月プリマスに帰還,イギリス人として初めての世界周航を成就。翌年エリザベス1世からナイト爵を授与された。 85年また海に出てカリブ海のスペイン船を攻撃。 87年にはカディス湾のスペイン艦隊を襲い,翌年無敵艦隊の来襲の際には副司令官としてその撃破に貢献。 95年ホーキンズとともに再び西インド諸島のスペイン植民地攻撃におもむいて死去。

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デジタル大辞泉の解説

ドレーク(Francis Drake)

[1545ころ~1596]英国の航海者。西インド諸島のスペイン植民地略奪に私掠船長として活躍。1577~1580年、世界一周マゼランに次いで成功。のち、英国艦隊の司令官としてスペイン無敵艦隊を撃破。

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百科事典マイペディアの解説

ドレーク

英国の航海者,提督。初め水夫。1570年―1572年,エリザベス1世の特許のもとに私掠(しりゃく)船を率いて西インドのスペイン領を掠奪。1577年女王の援助を得て,5隻を率いて世界周航に出発,マゼラン海峡を通って北上し,太平洋,インド洋を経て1580年に帰国,ナイト位を受ける。
→関連項目キャベンディシュドレーク海峡フロビッシャーホーキンズ

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世界大百科事典 第2版の解説

ドレーク【Edwin Laurentine Drake】

1819‐80
アメリカ石油工業の開拓者。ニューヨーク州グリーンビルの貧農の子に生まれ,鉄道の車掌などさまざまな職に就いたあと,1857年彼が株主であったペンシルベニア・ロックオイル会社(ビスルGeorge H.Bissellが1854年に創設した世界初の石油会社)の事業に参画し,みずから塩井掘削技術を研究した。同社は翌年セネカ石油会社として継承され,彼を長としてペンシルベニア州タイタスビルでさく(鑿)井工事を企てた。

ドレーク【Francis Drake】

1543?‐96
イギリスの航海者,副提督。西部の港町プリマスの近傍に生まれる。1549年カトリック教徒の反乱にあい,プロテスタントの一家はケントに逃亡,船大工の町ジリンガムで赤貧のなかに成長した。60年代の初め,故郷プリマスに舞い戻り,縁者ホーキンズ家の徒弟として働く。67‐68年ジョン・ホーキンズの第3回奴隷貿易に参加,メキシコ東岸サン・フアン・デ・ウルアでスペイン艦隊の猛攻にあう。以来,復讐の鬼と化し,72‐73年にはパナマ地峡を攻撃,77‐80年には索敵と新航路探検を兼ねてイギリス人として初めて世界周航に成功,騎士位を受ける。

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大辞林 第三版の解説

ドレーク【Francis Drake】

1543頃~1596) イギリスの航海者・海賊。イギリス人として初めて世界周航(1577~1580)に成功。また、スペイン無敵艦隊撃破に功があった。

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367日誕生日大事典の解説

ドレーク

生年月日:1819年3月29日
アメリカの石油掘鑿者
1880年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のドレークの言及

【石油産業】より

…とくに,探鉱・開発,採掘,輸送を上流部門(アップ・ストリーム),精製を下流部門(ダウン・ストリーム)ということがある。
【国際石油産業の沿革】

[起源と展開]
 世界の石油産業の起源は,1859年にアメリカのペンシルベニア州タイタスビルTitusvilleで,石油会社の技師ドレークEdwin Laurentine Drake(1819‐80)が綱式さく井法による石油の生産に成功したことにさかのぼる。しかし70年にJ.D.ロックフェラーがアメリカのクリーブランドにスタンダード・オイル・オブ・オハイオ社Standard Oil Co.of Ohio(〈スタンダード・オイル〉の項参照)を創立したのが,近代産業としての石油産業の始まりといえる。…

【石油】より

…1855年にビスルG.H.Bissellはペンシルベニア州のタイタスビルに世界で最初の石油会社を設立した。この会社に工事主任として迎えられたE.L.ドレークは,塩水井を掘る技術を用いて,59年に世界最初の油を目的とした坑井による石油の発見に成功した。今から百数十年前にすぎない。…

【石油産業】より

…とくに,探鉱・開発,採掘,輸送を上流部門(アップ・ストリーム),精製を下流部門(ダウン・ストリーム)ということがある。
【国際石油産業の沿革】

[起源と展開]
 世界の石油産業の起源は,1859年にアメリカのペンシルベニア州タイタスビルTitusvilleで,石油会社の技師ドレークEdwin Laurentine Drake(1819‐80)が綱式さく井法による石油の生産に成功したことにさかのぼる。しかし70年にJ.D.ロックフェラーがアメリカのクリーブランドにスタンダード・オイル・オブ・オハイオ社Standard Oil Co.of Ohio(〈スタンダード・オイル〉の項参照)を創立したのが,近代産業としての石油産業の始まりといえる。…

【ランプ】より

… 日本におけるオイル・ランプの歴史も,ヨーロッパのそれと同様の古い歴史があるが,いわゆる洋灯としての石油ランプの始まりは,1859年(安政6)に,越後長岡の鈴木鉄蔵が横浜のスネルというオランダ人貿易商より買い求めたのが最初であったという(三宅雪嶺著《同時代史》)。それはシリマンが石油ランプを発明した年であり,E.ドレークがペンシルベニア州で初めて石油の掘削に成功した年であったから,まさしく日本の洋灯の歴史は,シリマンの発明と同時に始まったのであった。明治に入って,石油ランプは,ガラス業者のランプの製造の発達と相まって急速な普及をみせ,明治40年代から大正初年度にかけて最盛期に入った。…

【大航海時代】より

…これらの諸国はみな反スペイン的立場に立っており,旧大陸の北岸を通って中国に達する北東航路,新大陸の北岸を通る北西航路を開こうとしたが,氷と寒さのためにいずれも失敗した。次いでイギリスは1550年代からヨーロッパ,アフリカ,新大陸を結ぶ三角貿易に進出し,新大陸に奴隷を供給して利益をあげる一方,70年以降はフランシス・ドレークなどの私掠船隊がスペインの商船隊をさかんに襲撃した。このほか北東航路,北西航路の探検も続けられ,また84年にはウォルター・ローリーによるバージニア植民地,95年には同じくローリーによるオリノコ川でのギアナ植民地の建設が行われた。…

※「ドレーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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