日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナジーブ・マフフーズ」の意味・わかりやすい解説
ナジーブ・マフフーズ
なじーぶまふふーず
Najīb Mafū
(1911―2006)
エジプトの作家。カイロの生まれ。エジプトのみならず、広くアラブ世界でもっともよく読まれている作家である。カイロの下町、フセイン・モスクの界隈(かいわい)に生まれ、そこで育つが、後年この界隈を作品世界として彼の代表作が生み出された。1934年エジプト大学(現カイロ大学)哲学科を卒業。以後文化省に勤務するかたわら創作活動に従事し、72年退官後著作活動に専念する。1938年処女作である短編『狂気のつぶやき』によって作家としての第一歩を踏み出した。精力的な創作活動により、優れた作品が次々に生み出され、その多くが映画化されているが、彼自身映画シナリオも手がけ、情報省映画担当顧問も務めた。長年の文学的営為がたたえられ、共和国勲章第一等など多くの賞が与えられたが、88年にアラブの作家として初めてノーベル文学賞を受賞した。
マフフーズの作品世界を眺めわたすと、いくつかの顕著な主題の変遷がみられる。『運命のいたずら』(1939)や『テーベの闘争』(1944)などの初期作品には、エジプトの史話に基づく歴史小説的性格が顕著である。以後彼の関心は現代のエジプト社会に向けられ、彼が生まれ育ったカイロの下町を舞台とし、エジプトの庶民を描いた佳作が次々と世に送り出された。『新しいカイロ』(1945)、『ハーン・ハリーリー物語』(1946)、『ミダック横町』(1947)、『蜃気楼(しんきろう)』(1948)などめじろ押しだが、とりわけカイロの下町の小路の名を冠した『バイナ・アル・カスライン』(1956)を第1作とする三部作は、不朽の名作となっている。ちなみに第2作は『カスル・アル・ショーク』(1957)、第3作は『スッカリーヤ』(1957)であるが、これらは反英独立闘争が胎動し始めた1917年ごろから第二次世界大戦の末期の44年ごろまでの、エジプトの一商家の3世代にわたる有為転変を描いた大河小説である。その後マフフーズの作品世界はしだいに思索的傾向を強めたものとなり、『渡り鳥と秋』(1962)などが書かれた。以後も旺盛(おうせい)な創作活動を持続しつつ創作上の変遷が遂げられるが、つねにエジプト社会への強い関心をもち続け、社会事象にかかわりをもつ姿勢を維持し続けた。大統領サダトの開放政策を批判した結果生じた波紋や、彼の著作や発言を理由になされたイスラム原理主義者による暴挙で傷を負うという不幸な出来事(1994)も、作家としての彼のエジプト社会への真摯(しんし)な対応の姿勢ゆえと考えられよう。
[奴田原睦明]
『塙治夫訳『現代アラブ小説全集4・5 バイナル・カスライン』上下(1978、1979・河出書房新社)』▽『塙治夫訳『ナギーブ・マフフーズ短編集』(2004・近代文芸社)』▽『高野晶弘訳『蜃気楼』(1991・第三書館)』▽『高野晶弘訳『花婿』『手品師が皿をとった』(『集英社ギャラリー「世界の文学20」』所収・1991・集英社)』▽『青柳伸子訳『渡り鳥と秋』(2002・文芸社)』