日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニカの乱」の意味・わかりやすい解説
ニカの乱
にかのらん
532年、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を無政府状態に陥れた騒乱。ユスティニアヌス1世(在位527~565)は、即位前に、彼の政治的・宗教的政策を支持する民衆グループ青派factio venetaを保護し、緑派factio prasinaと対立したが、帝位につくと、政治上の圧力となる党派行為を弾圧するようになった。532年1月10日、大競技場で青、緑両派の争いが起こり、処刑者が出たが、皇帝に対する減刑嘆願がいれられないため、競技終了後両派は合流、「ニカNika(勝利)」を合いことばに街に繰り出し、放火に及んだ。騒乱に乗じ、反皇帝派の元老院議員らは、故アナスタシウス帝の甥(おい)ヒパティオスを反対皇帝に擁立した。ユスティニアヌス1世はトラキアへの逃亡を企てたが、皇妃テオドラの諫言(かんげん)により思いとどまり、反皇帝派を急襲させ、これを総崩れにした。ヒパティオスを処刑し、当の元老院議員18人の家財を没収し、ようやく乱を鎮圧した。
[和田 廣]