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ニカラグア ニカラグアNicaragua

翻訳|Nicaragua

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニカラグア
ニカラグア
Nicaragua

正式名称 ニカラグア共和国 República de Nicaragua。面積 13万373km2。人口 587万(2011推計)。首都 マナグア中央アメリカ中部にある国。中央アメリカ最大の国で,北はホンジュラス,南はコスタリカと国境を接し,西は太平洋,東はカリブ海に面する。

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デジタル大辞泉の解説

ニカラグア(Nicaragua)

中央アメリカの共和国。首都マナグア。1821年にスペインから独立。1923年中央アメリカ連邦に加わるが、1938年分離独立。1979年革命政権が樹立された。コーヒー・綿花などを産する。人口600万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ニカラグア

◎正式名称−ニカラグア共和国Republic of Nicaragua。◎面積−13万1812km2。◎人口−607万人(2012)。◎首都−マナグアManagua(91万人,2005)。
→関連項目ウォーカーチャモロ[家]ホンジュラス

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世界大百科事典 第2版の解説

ニカラグア【Nicaragua】

正式名称=ニカラグア共和国República de Nicaragua∥Republic of Nicaragua面積=13万km2人口(1996)=427万人首都=マナグアManagua(日本との時差=-15時間)主要言語=スペイン語(公用語)通貨=コルドバ・オロCórdoba Oro中央アメリカの中央にある共和国。1979年のサンディニスタ革命以来,中央アメリカの政治的緊張の焦点になっている。同国は中央アメリカ最大の国でカリブ海と太平洋とにはさまれ,北はホンジュラス,南はコスタリカと国境を接している。

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大辞林 第三版の解説

ニカラグア【Nicaragua】

中央アメリカにある共和国。コーヒー・バナナ・綿花・砂糖を産出。1838年スペインから独立。首都マナグア。住民はメスティソ。面積13万平方キロメートル。人口550万( 2005)。正称、ニカラグア共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ニカラグア
にからぐあ
Nicaragua

中米地峡(南北アメリカ大陸をつなぐ陸地が極端に狭くなった地域)の中部に位置する共和国。正式名称はニカラグア共和国Repblica de Nicaragua。北はココ川でホンジュラスと、南はニカラグア湖とサン・フアン川でコスタリカと国境を接し、東はカリブ海、西は太平洋に面する。カリブ海には数百の小島からなるマイス諸島やミスキト諸島がある。国名は先住民のニカラオに由来する。日本の北海道と九州を合わせた面積にほぼ等しい13万平方キロメートルに人口553万(2006年推計)、589万(2011年推計)が暮らす。首都はマナグアで、首都圏人口は135万(2009年推計)である。[国本伊代]

自然

カリブ海と太平洋に挟まれた国土は、北西から南東に縦走する中米山脈と北西部の海抜1200~1500メートルの高地によって、カリブ海側と太平洋側に大きく二分されている。カリブ海に沿って広がるミスキト海岸地帯は乾期のない高温多湿の熱帯多雨性気候で、その背後に迫る高地を含めた東部全域がカリブ海から吹いてくる貿易風の影響を受けて年間雨量2500~6000ミリメートルに達し、中央アメリカ地峡でもっとも雨量の多い地域である。南西部から南部に広がるニカラグア低地はサバンナ気候で、中米地峡の重要な地理的分岐点となっているだけでなく、ニカラグアのあらゆる活動の中心部でもある。コスタリカとの国境線となってカリブ海に注ぐサン・フアン川と琵琶湖(びわこ)の13倍の広さがあるニカラグア湖(8029平方キロメートル)は、パナマ運河建設以前の19世紀後半から20世紀初期にはカリブ海と太平洋を結ぶ国際交通の要所の役割を果たした。その後も何度かニカラグア低地を利用する運河建設が構想された。この地域は火山灰に覆われた肥沃(ひよく)な農業地帯を形成しており、マナグア、マサヤ、レオン、グラナダなどの主要都市が位置し、全人口の8割が集中している。国土の西部は環太平洋地震帯に位置し、火山が多く、地震も多発する。1905年にはモモトンボ火山(1258メートル)が噴火して甚大な被害をもたらした。首都マナグアは1931年と1972年に大地震にみまわれ、一時は壊滅状態となった。また、ハリケーンの襲来による被害も受ける。[国本伊代]

歴史

1502年、コロンブスが第四次航海で到達し、1523年にアンドレス・ニューニョを隊長とするスペイン人グループがニカラグアの地を踏査した。翌1524年にパナマからの移住者によりグラナダとレオンが建設され、スペイン人による本格的な植民地化が開始された。1644年にグアテマラ総督領に併合され、レオンが行政の中心地となった。植民地経済の基盤を支えたのは、アイ(藍)、カカオ、サトウキビの栽培であった。1821年のグアテマラ総督領の独立に伴い、その一部として独立したが、1823年に一時メキシコ帝国に併合されたのち、現在のグアテマラ、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバドルとともに中米連邦共和国を結成した。しかし、中米連邦共和国は内紛のために解体した。連邦を構成した5か国はそれぞれ分離し、1838年にニカラグアは他の4か国と同様に完全独立を達成した。
 植民地建設以来対立関係にあったグラナダとレオンの両都市は、独立に際しても独立派とスペイン派とに分かれて抗争を続け、独立直後の6年間に16人の大統領を交互に出すなど政治的混乱の度を強め、1846年に首都がレオンから同市とグラナダとの中間に位置するマナグアへ移された。その後も内紛は続き、レオンのリベラル派が援軍として受け入れたアメリカ人ウィリアム・ウォーカーが1855年に大統領となるなど、紛争は国際化した。アメリカの介入を危惧(きぐ)する中南米諸国、アメリカと経済的利権をめぐって対立するイギリス、ウォーカーの商敵コーネリアス・バンダービルトの反政府勢力への肩入れなどにより状況は混乱をきわめ、大統領ウォーカーは打倒されて1960年に遁走(とんそう)先のホンジュラスで処刑された。なおアメリカのニカラグアへの関心の背景には、当時アメリカ東部からカリブ海側のサン・フアンデル・ノルテ港―サン・フアン川―ニカラグア湖を経て太平洋岸に達するルートがあり、カリフォルニアのゴールド・ラッシュ時代の主要な交通路であったためである。このルートを開発したのが鉄道王バンダービルトであった。外国勢力の介入は、グアテマラ総督領時代にカリブ海沿岸の密林地帯ミスキト地方に進出して1894年までこの地域を支配し続けたイギリスと19世紀後半から鉱業と農業部門に進出してモノカルチュア(単一作物栽培)による対米従属の経済構造をつくりあげたアメリカに代表される。金鉱山(ココ川支流のピスピス川河谷付近)はアメリカ資本によって開発され、サトウキビ・プランテーション生産する砂糖はアメリカに輸出された。アメリカは政治にも介入し、1902年の内乱でアメリカ人が殺害されたことを契機に海兵隊を派遣し、さらに1912年にはニカラグア政府の要請に基づき内乱収拾のために軍隊を派遣して1933年まで駐留させた。この間の1914年にアメリカは、ニカラグア運河開削権、フォンセカ湾海軍基地設置権、マイス諸島租借権を認めさせたブライアン・チャモロ条約をニカラグア政府と締結した。このアメリカ軍隊の占領に反対した民族主義者A・C・サンディーノが1927年にゲリラ部隊を率いてアメリカ軍に戦いを挑んだが、1934年暗殺された。このサンディーノが率いたゲリラ闘争は中南米諸国に多くの影響を与え、のち1960年代からニカラグアで反政府運動を展開したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の命名の由来となった。アメリカ軍の撤退にあたり創設された国家警備隊の長官となったアナスタシオ・ソモサ・ガルシアが1936年に大統領に選出されて以後、ソモサ一族はアナスタシオ自身、長男、次男および側近の大統領就任によって、反共、親米協調の外交政策と国内における革新政党の非合法化による批判勢力の弾圧を続け、42年間に及ぶ長期独裁体制を保持した。
 1960年代以降、反ソモサ勢力のゲリラ諸集団がFSLNを中心に結集し、1977年にアメリカでカーター政権が誕生すると、その人権外交に後押しされて反政府活動が活発となり、1978年に有力紙『ラ・プレンサ』(反政府系)の社主チャモロの暗殺を引き金に内乱に発展して、1979年ソモサ独裁政権が倒され、革命政権が樹立された(ニカラグア革命)。しかし革命政権は当初FSLN以外の幅広い諸勢力を含んでいたため、新政権の左傾化に伴ってそれに反発する勢力が民主グループを結成して武力闘争を開始し、保守勢力の抵抗とも相まって、事態は内戦状態へと発展した。このニカラグア紛争の平和的解決を目ざして1983年からメキシコ、パナマ、ベネズエラ、コロンビアで構成されたコンタドーラ・グループが調停工作を行った。1984年に行われた革命後最初の歴史的な選挙でゲリラ組織から政党へと転身したFSLNのダニエル・オルテガが大統領に選出されたが、レーガン政権下のアメリカの支援を受けた右派反革命勢力(コントラ)とオルテガの率いるサンディニスタ革命政権との間の武力闘争は激化の一途をたどり、内戦状態は1990年に国際監視団の下で実施された選挙時まで続いた。この間の死者は3万人にのぼった。
 この選挙でFSLNは敗れ、中道のチャモロ政権が成立した。同政権は1995年に憲法を改正し、大統領の任期を6年から5年へと短縮し、新しい選挙法を制定するなどの政治改革を行った。その後FSLNは内部の分裂から1996年の選挙でも敗北し、立憲自由党(PLC)から立候補したアルノルド・アレマンが大統領に当選した。サンディニスタ革命政権時代に投獄され、財産を没収された経験のある実業家アレマンは対米関係の強化を図り、経済の復興に取り組んだ。2001年の大統領選挙でもPLCが勝利し二代にわたって親米の中道右派が政権を担当した。しかし2006年の選挙でFSLNはオルテガの大統領再選に成功し、さらに2011年11月に実施された選挙でオルテガは得票率63%という圧倒的な強さで連続再選(3選)された。[国本伊代]

政治・外交

1987年に制定された革命憲法が現行憲法である(1995年一部改正)。行政・司法・立法の三権分立に加えて第四権として位置づけられる選挙管理権が独立した国権として明記されている。大統領の任期は5年。国民の直接選挙によって副大統領とともに選出され、再選は禁止されている。ただし2009年10月、憲法に規定された大統領の連続再選禁止条項を最高裁憲法法廷が「法の下の平等に反する」とのFSLNの主張を認めて無効としたため、2011年のオルテガ大統領の連続再選が可能となったという経緯がある。議会は一院制、92議席で任期は5年。第四の権力として規定されている選挙管理権は任期6年の5人の委員からなる最高選挙管理委員会が行使する。委員は大統領が提出する名簿から国民議会が選出する。外交関係では、サンディニスタ革命政権時代に社会主義国との関係が強化され、対米関係が極度に悪化した。しかしチャモロ政権の樹立後は1992年に両国間の友好協力条約が締結され、関係改善が進んだ。また、ほかの中米諸国との関係も重視され、この地域の政治・経済統合への動きにも積極的に参加した。しかし、反米左派のFSLNオルテガ政権はロシア、ベネズエラ、キューバ、イランとの関係を重視し、アメリカの対キューバ政策を厳しく批判している。[国本伊代]

経済・産業

ほかの中米諸国と同様に、伝統的に経済の基幹となっていた農牧畜業は、就業人口ではいまだ総労働人口の30%を占めるものの、国内総生産(GDP)に占める割合は12%にまで低下しており(2010)、工業の27%と第三次産業の60%という数字でわかるように、21世紀における産業構造は大きく変わっている。しかし就業人口からみて、いまだ重要な農業は、かつて大土地所有者による輸出産品生産と零細農による自給作物生産との二極分解的構造となっていたが、サンディニスタ革命政権によって農地改革が実施され、全耕地の4割(280万ヘクタール)が国家に収用された。このうちの70%はソモサ一族によって所有されていた土地である。農地改革に加え、革命政権は主要産業・銀行の国有化、貿易の国家管理を行い、経済の国家管理部門を拡大し、混合経済体制をつくりあげた。しかし経営者や資本の国外逃避に加えて内戦が国内経済を疲弊させ、圧倒的多数の国民の生活は極貧状態にまで追い込まれ、世界の最貧国群のレベルにまで陥った。チャモロ政権の下で経済復興が目ざされ、国内経済の安定化と市場経済への転換が図られた。しかし、1人当り国民総所得は2000年の400ドルから2010年の3443ドルまで回復しているが、いまだに中南米の最貧国の一つである。通貨はコルドバ(NIO)。太平洋岸の南西部ではリゾート開発が行われている。[国本伊代]

社会・文化

国民の多数はスペイン人と先住民およびアフリカ系住民の混血である。ココ川流域とモスキトス海岸地域に住んでいたミスキト、スモ、ラマなどの六つの先住民集団は内戦時代に反政府ゲリラ組織を結成して闘い、内戦後の1985年にサンディニスタ政権との間で締結された和平協定で広大な北アトランティコ自治地域と南アトランティコ自治地域を獲得した。これら二つの自治区は、かつて単一の県であったセラヤ県が分割されて成立したものである。主要な宗教はカトリックで、公用語はスペイン語である。ただし先住民は母語による教育を受ける権利を憲法によって保障されており、大西洋岸のミスキト海岸ではミスキト語とクレオール英語(アフリカ系言語が混在する英語)も公用語として認められている。教育は小学校(7~12歳)と中学校(13~17歳)が無償の義務教育である。革命後、不足する教師を補うためにキューバが教員を派遣して識字運動を展開したこともあり、2010年には15歳以上の人口の識字率は80%を超えた。中南米最高とされる詩人ルベン・ダリオはこの国の出身である。[国本伊代]

日本との関係

1935年(昭和10)に外交関係を樹立。第二次世界大戦で外交関係は断絶したが、1952年(昭和27)の平和条約の署名により再開。両国間に大使館が置かれている。日本はニカラグアの内戦後の復興に人材と資金を援助する主要な援助国の一つであるが、貿易関係の規模は小さい。[国本伊代]
『細野昭雄・遅野井茂雄・田中高著『中米・カリブ危機の構図』(1987・有斐閣) ▽加茂雄三・細野昭雄・原田金一郎著『転換期の中米地域』(1990・大村書店) ▽石井章編『冷戦後の中米――紛争から和平へ』(1996・アジア経済研究所)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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