翻訳|Nicosia
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キプロスの首都で,同名州の州都。人口22万(ギリシア系地区のみ。2004)。キプロス島中部,キレニア山脈とトロオドス山脈とに挟まれた肥沃なメサオリアMesaoría平原中にある。小麦,ブドウ,オリーブ油,アーモンド,かんきつ類,家畜の取引の中心地。ブランデー,タバコ,綿織物などの工業が立地している。東53kmにある外港はファマグスタ。古代にはレドラLedra,ビザンティン時代にはギリシア名でレウコシアLeukōsiaと呼ばれた。10世紀よりキプロス王国の政治・文化の中心地となったが,1373年ジェノバに,1489年ベネチアに征服された。1570年以降オスマン帝国領となり,翌71年にはキプロス島を含む州の主都とされた。1960年よりキプロス共和国の首都。74年の紛争以来,北部のトルコ系地区と南部のギリシア系地区とに分断され,トルコ系地区ではレフコサ(レウコシャ)Lefkoşaと呼んでいる。キプロス民芸博物館,考古学博物館がある。
執筆者:真下 とも子
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地中海東部の島国キプロスの首都。ギリシア語ではレフコシアLevkosiaという。キプロス島北部のメサオリア平野の中央に位置し、ペディエアス川に面する。人口27万3642(2001)。周辺の肥沃(ひよく)な平野で生産される小麦、オリーブ、ぶどう酒、柑橘(かんきつ)類、家畜などの集散地で、たばこ、陶器、皮革、繊維などの軽工業が発達する。古くからこの地方の中心地の一つで、12世紀に十字軍の支配を受け、15世紀にベネチアの領土となり、16世紀にはオスマン帝国の統治下に入った。19世紀以後、キプロスはイギリスの植民地となり、ニコシアはその中心都市で、1960年の独立とともに首都となった。こうした歴史を反映して東西両文明の影響を示す建物が多く残されている。15~16世紀の城郭の内部にスレイマニエ・モスク、キプロス民芸博物館、考古学博物館などがあり、観光都市としても知られる。西方8キロメートルにニコシア空港があり、東方50キロメートルのファマグスタが外港となっている。
[高橋和夫]
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