ドイツの小説家。ハンブルクの貿易商の家に生まれ、大学で哲学と法律を学ぶ。工場労働者や商店員などを転々としたのち、父の商社を継ぐ。早くから戯曲や詩を手がけたが、発表の機会なく、1943年のハンブルク大空襲で原稿をすべて焼失。廃墟(はいきょ)での体験をつづった『死者へのたむけ』(1947)、『死とのインタビュー』(1948。のち『ドロテーア』と改題)がサルトルに注目され、まずフランスで、のちドイツでも認められ、文壇に登場。56年以降、亡くなる直前まで文筆に専念。
代表作は長編『遅くとも11月に』(1955)、『弟』(1958)、短編集『螺旋(らせん)』(1956)などで、繁栄を続ける旧西ドイツ社会の不毛な精神状況に絶望した孤独な個人の、新しい可能性を求めて未知の世界へ脱出する試みが、シュルレアリスム風の幻想を交えてつづられる。晩年の長編『幻の勝利者に』(1969)、『盗まれたメロディー』(1972)では、「向こう側」の世界で挫折(ざせつ)して帰り、敗残者として生きる「再亡命者」の消息に、人間存在の可能性を追求している。ほとんどの作品が「報告」「記録」の形式をとり、劇的な筋立てはない。たとえば『わかってるわ』(1964)のように全編瀕死(ひんし)の娼婦(しょうふ)のモノローグで終始するなど、単調かつ素朴な構成が共通している。ほかに『最後の反乱の後に』(1961)、『ダルテス事件』(1968)、『待機』(1973)、『幸福な人』(1975)など。
[山本 尤]
『川村二郎他訳『影の法廷――ドロテーア』(1979・白水社)』▽『中野孝次訳『弟』(『世界文学全集21 20世紀の文学』所収・1965・集英社)』▽『中野孝次訳『盗まれたメロディー』(1974・白水社)』
ドイツの作家。ハンブルクの富裕な貿易商の家の生れ。青年時代に左翼思想への共鳴と反ファシズムの立場から2度にわたり共産党に入党。このためナチス時代には数次の家宅捜索を受けた。第2次大戦中は商人としての生活に逃げ込んで暮らす。1943年7月連合国軍のハンブルク大空襲で蔵書や書きためた原稿のすべてを焼失。このときの〈いっさいの過去を失った体験〉をのちに書き綴った記録が《没落》(1961)である。短編集《死神とのインタビュー》(1948)がサルトルの雑誌に取り上げられ,フランスで評価を受けた。以後《おそくとも11月には》(1955),邦訳名《影の法廷》を含む短編集《螺旋》(1956),いくぶん自伝的色彩を帯びた《弟》(1958),《未知の勝利者に》(1969)などの小説作品のほか,韜晦的に自己を語った《擬似自伝的注解》(1971)などの作品を発表,邦訳も多い。61年にはビュヒナー賞を受賞。小説は劇的構成に乏しく多くは独白的形式をとるが,赤裸々に自己を語ることはない。むしろ童話や神話に連なる幻想的手法によって,非日常的な,だが独特な現実感に満ちた世界を描き出している。そのためシュルレアリストと呼ばれることも多い。一方,講演や評論を集めた《文学という弱い立場》(1966)では,文学とは,制度,技術,機能主義などが支配する現代社会の潮流に抗して孤独に徹した精神を擁護するものであるとする持論を倦むことなく語り,この論集も邦訳されて反響を呼んだ。
執筆者:青木 順三
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