アメリカ合衆国南部,大西洋岸の州。略称N.C.。独立13州の一つで,連邦加入1789年,12番目。面積12万6161km2,人口953万5483(2010)。州都ローリー,最大都市シャーロット。州名は1619年に当時のイギリス国王チャールズ(ラテン名カロルス)2世にちなんで命名された。東西に長い州で,西よりアパラチア山脈,ピードモント台地,コースタル・プレーン(海岸平野),大西洋岸へと続く。最高点はアパラチア山脈最高峰のミッチェル山(2037m)。北緯34~37°の間にあり,湿潤温暖気候で,気候は日本の関東以西の本州と似ている。南部のなかでは工業化,都市化の進んだ州で,タバコの生産でとくに名高い。タバコ製造(全米1位,1980),綿・化繊の織物,家庭用家具,化学など各種の工業が,主としてピードモント台地の滝線(たきせん)都市を中心に発達している。農業では伝統的にピードモント台地におけるタバコ栽培が盛んで(全米1位),大豆,トウモロコシ,ピーナッツなども栽培され,豚,牛,鶏の飼育も少なくない。また山地の森林にはカシ,松,ヒッコリーなどが豊富で,林業も盛んである。教育も活発で,ローリー付近のリサーチ・トライアングル・パーク(デューク,ノース・カロライナ,ノース・カロライナ州立の3大学と数十の民間・公営研究機関からなる研究学園都市)が有名である。1584年,イギリスのW.ローリーの探検団がロアノーク島付近を探検し,ついで85年と87年に植民団が送られたが植民に失敗した。1660年ごろバージニアからイギリス人が入植した。白人は17世紀後半から18世紀初頭にかけて密林とインディアンの抵抗にはばまれながら内陸へ侵入していった。1775年には植民地議会として最初にイギリスからの独立を宣言し,その後独立革命のための激しい戦闘がつづいた。南北戦争の史跡も多い。現在インディアンは少ないが,西部に住むチェロキー族は文化の高さで知られる。黒人人口の多い州の一つである。
執筆者:正井 泰夫
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アメリカ合衆国東部の州。面積13万6197平方キロメートル、人口804万9313(2000)。独立13州の一つ。北はバージニア州、西はテネシー州、南はジョージア州とサウス・カロライナ州に接し、東は大西洋に面する。州都ローリー。州の東部は海岸平野で、その東端には細長い砂州の列が突き出ており、本土との間には潟湖(せきこ)が発達している。中央部には緩やかな起伏のピードモント台地が広がり、東の海岸平野との境界は滝線となっている。ピードモント台地の西側にはブルー・リッジ山脈とグレート・スモーキー山脈が走る。ミシシッピ川以東で最高峰のミッチェル山(2037メートル)もここにある。気候は温暖湿潤で、州都ローリーの年降水量は1152ミリメートル、1月の平均気温は5℃、7月の平均気温は25.5℃である。経済活動の中心は農業と工業である。農業ではタバコの生産が全米一であり、ブロイラー、トウモロコシ、大豆、ピーナッツ、肉牛、乳牛も重要である。州土の5分の3を占める豊富な森林資源によって木材・家具産業も盛ん。家具生産では全米第1位。1920年代まで、重要な作物であった綿花を加工する繊維・織物・衣類産業がピードモント地域に発達したが、最近は電気機器、化学製品、パルプなどの工業も発展している。鉱物資源では雲母(うんも)、リチウムなどを産する。
1585年、アメリカ最初のイギリス人植民地がロアノーク島に建設されたが失敗に終わり、17世紀中ごろにバージニアからの入植者が東部沿岸に集落を建設した。17世紀の間は沿岸部の開拓が中心であったが、18世紀になるとインディアンをアパラチア山脈以西に追い出しながら、ピードモントの開拓が進んだ。南北戦争後、ピードモント地域の工業化が進み、タバコ栽培も盛んになった。1950年代には工業製品出荷額が農畜産物販売額を上回るようになった。1970年代以降は観光産業が伸びている。原生林と野生動物のグレート・スモーキー山脈国立公園、キャンプ、魚釣り、水泳の施設が豊富な113キロメートルにわたるハッテラス岬国立海岸公園などがある。一方、先端産業の誘致にも力を入れ、ローリー、ダーラム、チャペルヒルの3市を結ぶリサーチ・トライアングル・パークにはIBMをはじめ多数の研究所が立地、世界でも有数の研究所団地となっている。
[菅野峰明]
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