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ハマス Ḥamās

翻訳|Ḥamās

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハマス
Ḥamās

ヨルダン川西岸ガザ地区を拠点とするイスラム原理主義組織。イスラエルの打倒とパレスチナにおけるイスラム国家の樹立を目指す。名称は「イスラム抵抗運動」を意味するアラビア語の頭文字からなる。1987年12月,イスラエルの占領に抵抗するパレスチナのインティファーダが開始された時期に,アハマド・ヤシンを精神的支柱として,ムスリム同胞団のメンバーとパレスチナ解放機構 PLOの宗教派閥によって設立され,急速に支持を広げた。1988年の憲章でイスラエルからパレスチナの支配権を奪い取る聖戦を主張,この姿勢によって PLOと対立することとなった。1993年にイスラエルと PLOのパレスチナ暫定自治協定が成立するとこれを糾弾し,自爆テロによる攻撃を強化。2000年9月,イスラエルとパレスチナの和平交渉が決裂し,のちに第2次インティファーダ(アル・アクサ・インティファーダ)と呼ばれる武力闘争が拡大すると,イスラエルに対する攻撃を激化させた。2005年初め,パレスチナとイスラエルが武力闘争の停止を宣言すると,ハマスもこの停戦に合意した。2006年,パレスチナ立法評議会選挙で,事前の予想を覆して PLOを主導するファタハに勝利,ファタハとの連立内閣を樹立したが,ガザ地区でハマスとファタハの衝突が激化したことをうけ,パレスチナ大統領マハムード・アッバスは内閣を解散,2007年6月に非常事態を宣言した。ハマスはガザ地区の支配権を握り,ファタハ主導の非常事態内閣はヨルダン川西岸を掌握した。イスラエルはハマスの支配するガザ地区を敵対的存在であると宣言し,電力供給の停止,輸入の大幅な制限,国境閉鎖などの一連の制裁を承認した。2011年4月,ハマスとファタハは和解に合意,2012年2月,アッバスを暫定政府首相に選出したと発表した。2011年のアラブの春以降,主要な支援者であったシリアイランとの関係が悪化し,2013年エジプトでモルシ政権が倒されハマスに敵対的な軍事政権が立ったことで財政的な苦境に追い込まれた。2014年6月,ハマスとファタハは連立内閣を再び発足させた。

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知恵蔵の解説

ハマス

パレスチナ人のムスリム同胞団は、インティファーダ時にハマスの名を冠して活動を強化した。パレスチナ全土が神からのイスラム教徒への信託地であるとして、イスラエルの承認と和平に反対してきた。2005年8月のガザ撤退を、自らの果敢なゲリラ攻撃(イスラエルからみればテロ)の結果とみている。06年1月のパレスチナ評議会選挙で圧勝。勝利の背景には、権力を独占してきたファタハの腐敗があった。また医療の提供などの福祉部門での広範な活動も、貧しい人々の支持の源泉である。ハマスとはアラビア語のイスラム抵抗運動の頭文字であるが、同時に「熱狂」という意味でもある。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

ハマス

パレスチナのガザ地区を実効支配するスンニ派イスラム原理主義組織。「イスラーム・レジスタンス運動」のアラビア語略で、「激情」「熱誠」という意味がある。1987年、民衆による蜂起運動(インティファーダ)が展開されるなか、ムスリム同胞団(イスラム原理主義組織)出身の法学者アフマド・ヤシンが強硬派アブドルアジズ・ランティシらと共に創設。88年8月にハマス綱領を発表し、当時の主流派であったPLO(パレスチナ解放機構)の柔軟路線を否定し、イスラエルとのジハード(聖戦)を徹底することを宣言した。
93年にPLOとイスラエルの和解(オスロ合意)で、パレスチナ暫定自治政府樹立が合意されたが、ハマスはこれを拒否。自爆テロやゲリラ活動を展開したため、多くの西側諸国からは「テロ組織」に指定された。一方、ガザ地区では、PLOを引き継いだファタハ(パレスチナ最大の政治組織)の腐敗が批判を浴びる中、ハマスはムスリム同胞団のネットワークを活用した診療・食糧支援などの慈善活動を行い、ガザ住民の多くの支持を得るようになった。その後、創始者で精神的支柱だったヤシンは2004年3月にイスラエル軍に殺害され、後継者ランティシも同年4月に暗殺されたが、06年1月のパレスチナ立法評議会(国会に相当)選挙では過半数を獲得し、単独政権を樹立した。07年6月にはファタハを退け、ガザ全域を武力制圧した。しかし、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区では、アッバス大統領を中心とするファタハが優勢だったため、事実上、自治政府は分裂することになった。
この後は、断続的にイスラエルとの戦闘を続け、ファタハとの和解交渉も進展できず、財政面の危機にも瀕した。ここ数年、イスラエルの右派政権が空爆、地上侵攻、地区封鎖など攻撃を激化させており、また13年7月エジプトでムスリム同胞団のムルシ政権が倒れ、大きな後ろ盾を失ったことから、ハマスの求心力は低下しているとみられる。こうした中、ハマスはファタハと和解交渉に入り、14年6月には暫定統一内閣を樹立した。国際機関への加盟申請も進めており、イスラエルを苛立たせている。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2014年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ハマス

アラビア語で「イスラム抵抗運動」の略。87年12月、第1次インティフゼダ(反占領闘争)が始まってすぐ、ヤシン師らガザのムスリム同胞団指導者らが抵抗組織として発足を宣言。93年のイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の自治合意を拒否。ヨルダン川西岸とガザの「ミニ・パレスチナ国家」を拒否し、イスラエルを含む全パレスチナ解放を唱える。

(2007-10-29 朝日新聞 夕刊 2総合)

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百科事典マイペディアの解説

ハマス

ハマース

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デジタル大辞泉プラスの解説

ハマス

《Harakat al-Mukawamat al-Islamiya》パレスチナのスンニ派反イスラエル武装組織。「ハマス」は組織名の頭文字をとった略称で、正式名称は「イスラム抵抗運動」。1987年の対イスラエル蜂起「インティファーダ」を起源とし、長年にわたり対イスラエル武装闘争を主導。1993年のオスロ合意後も武力闘争路線を放棄せず、国際的非難を浴びる一方で、ガザ地区における慈善活動により住民の支持を集める。1997年10月8日、米国FTOに指定。2000年の「第2次インティファーダ」以降も対イスラエル強硬姿勢を維持したが、2005年停戦に合意。2006年のパレスチナ自治評議会選挙においては過半数の議席を獲得。「パレスチナ解放機構」主流派「ファタハ」との連立政権を樹立するも、翌年にはファタハと対立、武力によりガザ地区を制圧して連立政権は崩壊。以後、ガザ地区を実効支配し、対イスラエル武力闘争を継続。2012年のエジプトの仲介による停戦合意の後も、イスラエル、ハマス双方による攻撃の応酬はやまず、戦闘と停戦合意を繰り返している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハマス
はます
HAMAS

パレスチナ占領地で反イスラエル闘争を続けるイスラム原理主義組織。名称はアラビア語の「イスラム抵抗運動」(Haraka al-Muqawama al-Islamiya)の頭文字を並べたもので、1970年代後半「ムスリム同胞団」(1928年にエジプトで設立)を母体に社会活動団体として発足。教育・福祉・医療活動を通じ、難民や貧困層などに浸透した。1987年末ガザ地区を拠点に始まった反イスラエル闘争「インティファーダ」(大衆蜂起)以来、軍事部門「カッサム隊」(Izz al-Din al-Qassam)を設けて武装闘争に転換したが、運動の主導権をめぐり「パレスチナ解放機構」(PLO)とは対立関係にあり、イスラエルとの和平路線に反対している。そのため、対イスラエル軍兵士や市民にだけでなくイスラエルと協力的なPLO活動家にも無差別攻撃事件を起こしている。1990年代に入り、イスラエル国内での自爆攻撃を増加させ、1994年2月以降は、首都エルサレムやテル・アビブ市街で路線バスやマーケットなどへの連続攻撃を多発させている。これらに対して、イスラエル政府は全面戦争を宣言してハマス封じ込め策を強め、パレスチナ自治政府もハマスへの対決姿勢をとった。
 ハマスの創始者で精神的指導者といわれたアハメド・ヤシンAhmed Yassin(1938―2004)は、1989年以来イスラエル治安当局によって拘束されていたが、1997年10月ヨルダンのハマス幹部暗殺に失敗して逮捕されたイスラエル情報機関モサドの工作員の身柄と交換に釈放された。その後もハマスの精神的支柱として支持されたが、2004年3月ガザ市内でイスラエル軍のミサイル攻撃によって殺害された。ヤシンの後継としてハマスの指導者に就任したのは、強硬派のアブドルアジス・ランティシAbdel Aziz Rantisi(1947―2004)であったが、同年4月イスラエル軍はランティシをも殺害した。現指導者はハーレド・マシャルKhaled Meshaal(1956― )である。
 その後、ハマスは、2006年1月に行われたパレスチナ評議会選挙に初めて参加、それまでの主流派であったファタハを上回る支持を得て、定数132議席のうち74議席を獲得して第一党となり、ハマス幹部のハニヤを首相とした内閣を発足させた。しかしファタハとの抗争やイスラエルとの衝突が続き自治政府内の治安は悪化した。その後2007年3月に非ハマス系閣僚を加えた連立内閣が成立したが、同年6月にハマスはガザ地区を制圧し、自治政府大統領アッバスは首相ハニヤを罷免した。自治政府内はファタハが支配するヨルダン川西岸地区とハマスが支配するガザ地区とに分断され、対立が続いている。[奥野保男]

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