出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
ウクライナ北東部の都市で,同名州の州都。面積303km2,人口144万5173(2005)。人口ではキエフに次いでウクライナ第2位,旧ソ連邦全体でも第6位の都市であった。北ドネツ川の三つの支流のハリコフ川,ロパニ川,ウダ川の合流点に位置する。1655-56年にウクライナ・コサックによって建設された。市名はハリコフ川に由来するとも,あるいは最初の入植者がハルクという名であったことに由来するともいわれる。56-59年にクリム・ハーン国,ノガイ・ハーン国に備える要塞が築かれ,以後1768-74年の露土戦争によって黒海沿岸がロシア領となるまで,ロシア帝国南部の軍事的要衝であった。18世紀末から左岸ウクライナの中心都市として発達した。19世紀初頭に最初の企業が生まれ,1861年の農奴解放後は,ウクライナの豊富な穀物とドネツ炭田の石炭,クリボイ・ログの鉄鉱を背景に重工業が急激に発展し,1861年に5万だった市の人口は1901年には19万8000になった。十月革命・内戦期にはソビエト革命派の拠点であり,1917年12月に最初のウクライナ・ソビエト共和国が宣言されたのもハリコフにおいてであった。最終的にソビエト権力が確立されたのは19年12月で,そのときから34年6月までウクライナ共和国の主都であった。第2次世界大戦中の41年10月にドイツ軍に占領されたが,43年8月にソ連軍が奪回した。戦争中に市は徹底的に破壊されたが,戦後復興された。旧ソ連においてハリコフはモスクワ,レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)に次ぐ機械工業の中心地であったが,電機,タービン,農業機械,工作機械など多様な機械を生産している。ほかに金属加工,皮革,繊維,食品などの分野も発達している。交通上の要衝で,道路・鉄道網の中心をなし,空港もある。ハリコフ大学をはじめとして20の高等教育機関,37の中等特別教育機関をもち,文化・学術面でもキエフと並んでウクライナの中心をなしている。
執筆者:青木 節也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新