日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンティ」の意味・わかりやすい解説
ハンティ
はんてぃ
Хантй/Khanty
ロシア連邦中部、ハンティ・マンシ自治管区を中心に、オビ川、イルティシ川流域に広く分布する民族。かつてオスチャークの名で知られていた。人口は2万2283(1989)。言語はウラル語族フィン・ウゴル語群ウゴル語に属し、西隣民族のマンシ(ボグル)とともにオビ・ウゴルとよばれる。古くはウラル山脈の西側にも広がっていたものが、ロシア人やフィン系の諸民族に圧迫され、現在の位置に移ってきたことが知られている。13世紀から16世紀にかけて、その南部がモンゴル帝国やシビル・ハン国の支配下に置かれたこともあった。この時代の影響は彼らの慣習法などに残されている。16世紀末、シビル・ハン国の滅亡とともに彼らはロシアの支配下に入った。
ハンティの生業は、南部では農耕が行われているが、大部分は森林地帯の狩猟・漁労活動であり、北部のツンドラに近い所で小規模なトナカイ飼養が行われている。
社会は大きく二つの胞族に分かれ、それぞれに外婚的父系氏族がいくつも含まれていた。各氏族はトーテム祖先か、英雄の名でよばれ、祖先崇拝儀礼を行い、共同墓地をもっていた。信仰は古い時代の様相をよく保ち、口承文学が豊富なことでも有名である。とくに自然界に多数の霊魂を認め、人間には男に五つ、女に四つ、動物にはクマに四つの魂があると信じ、人間とクマを同じ存在と考えていた。1980年代より活発になるシベリア少数民族の伝統文化の復興や権利回復を求める運動で当初指導的な役割を果たした作家E・アイピンは、ハンティの出身である。
[佐々木史郎]