ハーバート(その他表記)George Herbert

改訂新版 世界大百科事典 「ハーバート」の意味・わかりやすい解説

ハーバート
George Herbert
生没年:1593-1633

イギリスの宗教詩人。ペンブルック伯家につながる貴族の家に生まれ,ケンブリッジ大学卒業。学識と人柄を認められてそのまま大学に残り,各方面に知己を得て,一時は宮廷での立身も考えたが,思うところあって英国国教会に入った。1630年にウィルトシャーのベマートンという村の教区牧師になって,残りの短い歳月をその教区民のためにささげた。彼の家柄や学識とくらべあわせて,注目すべきことである。その間,彼は敬虔な思索瞑想にふけったらしく,その結果はすぐれた宗教詩や宗教的散文となってこの世に残った。とりわけ《聖堂》(1633)の題の下に集められた160編の詩は,措辞の清朗にして明澄なこと,思想の真摯(しんし)にして純一なことは,特筆するに足る。〈形而上詩人〉ダンが母の親しい友人であり,しかも英国国教会の先輩牧師であったこともあって,〈形而上詩〉の詩風は顕著に見てとれる。いわゆる〈奇想〉や〈機知〉は,とりわけ目だつ特徴である。しかしダンの博学な晦渋さはなく,むしろ日常卑近の事例から思いがけず機知に富んだ比喩を選んだりする。しかもそれが熱烈な信仰の表現と結びつく。この詩風がその時代の一部に強い影響を与えたのは,信仰が思想的・政治的対立抗争の道具に堕してゆく傾向への反動であっただろうか。R.クラショーやH.ボーンは,形而上派的宗教詩人としてのハーバートの後継者であった。
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ハーバート
Xavier Herbert
生没年:1901-84

オーストラリアの小説家。ウェスタン・オーストラリア州生れ。メルボルン大学薬学部中退。処女長編《キャプリコーニア》(1938)は,アジアへの門戸にあたる北オーストラリアのダーウィン周辺を舞台に,先住民アボリジニーと白人との混血児の運命を,骨太なユーモアにあふれた文体で描いて大成功を収め,数ヵ国語に翻訳された。この作品によってオーストラリア小説は初めて外面的リアリズムの制約から脱皮したといえる。その後4作を発表したあと,1975年に同じ主題を,第2次大戦前後の国際情勢を背景により大きなスケールで展開した超大河小説《かわいそうな私の国Poor Fellow My Country》として発表し,国内に大きな反響を呼んだ。晩年は長編を書きつつ国内を放浪しており,一種の死出の旅路となった。
執筆者:


ハーバート
Victor Herbert
生没年:1859-1924

アイルランドに生まれアメリカに帰化した作曲家,指揮者チェリスト。1886年渡米,最初のオペレッタ《プリンス・アナニアス》(1894初演)が成功したため,30以上のオペレッタを書いた。なかでも《おてんばなマリエッタ》(1910)と《スウィートハーツ》(1913)はアメリカ風オペレッタの傑作といわれる。1898-1904年ピッツバーグ交響楽団の音楽監督も務め,指揮者としても活躍した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーバート」の意味・わかりやすい解説

ハーバート(1st Baron Herbert of Cherbury, Edward Herbert)
はーばーと
1st Baron Herbert of Cherbury, Edward Herbert
(1583―1648)

イギリスの理神論者、哲学者、軍人、外交官、詩人。オックスフォード大学に学ぶ。アリストテレスキケロのほか新プラトン主義、新ストア主義、懐疑論の影響を受けるが、F・ベーコンや17世紀の自然科学の流れには無縁であった。彼は真理の基準を個人の内面的確信、伝統、権威などに置くことに反対し、理性による「普遍的な同意」に求めた。人間の自然的本能には生得的な「共通概念」があり、なかでも宗教の場合には五つの共通概念がすべての宗教の基本となるとした。このように彼は理性宗教ないし自然宗教を規定し、その実質を現世的徳に求めた。この点での理神論の父とよばれるが、またデカルトガッサンディにも強い影響を及ぼした。

[小池英光 2015年7月21日]


ハーバート(George Herbert)
はーばーと
George Herbert
(1593―1633)

イギリスの形而上派詩人(メタフィジカル・ポエット)、司祭。ケンブリッジ大学時代にベーコン、ダンと親交をもち、宮廷での活躍を期待されつつも生涯田舎(いなか)で聖職者として生きた。精神的自叙伝ともいえる詩集『聖堂』(1633)には、世俗的関心と信仰の間を揺れ動く鋭い自己分析がみられ、キリスト教的な表象(タイポロジー)形式のなかに、知的に抑制された自然や日常的なイメージを用いて、静かに聖なる世界の痕跡(こんせき)を発見している。

[樋渡雅弘]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーバート」の意味・わかりやすい解説

ハーバート
Herbert, George

[生]1593.4.3. ウェールズ,モントゴメリー
[没]1633.3.1. ベマートン
イギリスの詩人,聖職者。ハーバート・オブ・チャーベリーの弟。ケンブリッジ大学出身。名門出の俊英で,宮廷での活躍を期待されたが,「田舎司祭」として静かな生涯を終えた。死の直前友人ニコラス・フェラーに送って出版か焼却かをまかせた詩集『聖堂』 The Temple (1633) によって,宗教的形而上詩人としての不動の地歩を占めている。

ハーバート
Herbert, Sidney, 1st Baron Herbert of Lea

[生]1810.9.16. サリー,リッチモンド
[没]1861.8.2. ウィルトシャー,ソールズベリー
イギリスの政治家。オックスフォード大学に学び,1832年以降下院議員。ピール派の一員として頭角を現し,閣僚を歴任。クリミア戦争の際陸相として F.ナイチンゲールと協力,軍の衛生状態改善に貢献。 60年男爵。

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百科事典マイペディア 「ハーバート」の意味・わかりやすい解説

ハーバート

米国のSF作家。とりわけデューンと呼ばれる惑星を舞台にした《砂の惑星》(1965年)にはじまる連作(6作,未完)が名高い。この作品は,エコロジー,ドラッグ,新人類といったテーマを,壮大な叙事詩的設定のなかで展開させ,それが米国の社会・文化問題とも共鳴したため,1960年代米国でSFファンのみならず広い読者に読まれ,ヒッピー文化にも影響をあたえた。

ハーバート

英国の軍人,外交官,歴史家,哲学者。《真理論》(1624年)などの著作で,理神論の先駆者とされる。
→関連項目ハーバート

ハーバート

英国の詩人,牧師。名門の出で,初め政治家を志した。形而上詩人の一人に数えられ,《聖堂》(1633年)は晩年3年間の宗教生活の結晶160編を集めたもの。E.ハーバートの弟。

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世界大百科事典(旧版)内のハーバートの言及

【理神論】より

…したがってそれはヨーロッパ思想の中で,17世紀後半のイギリス名誉革命に始まる市民社会の発展と自然科学の興起に伴い,合理的な思弁の浸透によって従来の伝統的な国教会の教義を否認し,三位一体や啓示・奇跡を否定して聖書の象徴的・比喩的解釈を採用する異端としての神学を指す。 宗教を理性と調停するこの合理主義神学の信条は,最初17世紀の哲学者チャーベリーのハーバートHerbert of Cherbury(1583‐1648)によって定式化されシャフツベリー(三代伯)により狂信の排撃と批判の論拠として用いられたが,この主題が世間の注目を集めるに至ったのは,1696年にトーランドの《キリスト教は神秘的でない》の公刊に際して国教会の護教論者がこれに攻撃を加えたのを機に,いわゆる理神論論争が勃発したためである。この論争に登場した代表的な理神論者としては,《天地創造と同じく古いキリスト教》(1730)のティンダルMatthew Tindal(1653か57‐1733)や《自由思想について》(1713)のコリンズJohn Anthony Collins(1676‐1729),当時の大物政治家で文筆家たるボーリングブルックなどが知られる。…

【オペレッタ】より

…イギリスでも1875年ころからA.S.サリバンが《ミカド》(1885)その他の風刺的作品で評判をとり,彼の作品はニューヨークで上演されアメリカにオペレッタ旋風を送る。V.ハーバートはJ.シュトラウスのオペレッタにならった作品を書いたが,J.カーンの《ショー・ボート》あたりからミュージカルへと移っていった。オペラミュージカル【井形 ちづる】。…

※「ハーバート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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