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バザレリ

百科事典マイペディアの解説

バザレリ

ハンガリー生れ,フランスの造形作家。ハンガリーモホリ・ナギを通じてバウハウス構成主義を知る。1930年パリに移り,幾何学形態の造形による錯視効果を探求する。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バザレリ
ばざれり
Victor Vasarely
(1906―1997)

ハンガリー生まれのフランスの美術家。ペーチに生まれる。当初は医学を志すが、ブダペスト大学医学部在学中に美術への転向を決意して早々に中退、1928年にブダペスト近郊のボルトニクのミューヘリ美術学校に転籍する。「ブダペスト・バウハウス」の別名をもつ同校でモホリ・ナギに師事し、彼の教示によってカンディンスキー、クレー、マレービチらの作品を知る。30年にパリに拠点を移し、広告業界でデザインやアート・ディレクションの仕事に携わりながら、絵画制作にも取り組む。その当時の作品は、シュルレアリスムや構成主義の強い影響を受けたものであった。1930年代末ごろより、同じ図柄の反復による錯視効果に強い関心を抱きはじめ、第二次世界大戦中は仕事のかたわらモンドリアンやカンディンスキーらの研究に没頭した。44年、美術に専念するため広告業から退き、ドゥニーズ・ルネ画廊(パリ)の設立に参加する。47年には同画廊で初個展を開催。40歳近くになっての遅咲きのデビューであったが、独自の錯視効果研究にもとづく作品は大きな注目を集め、バザレリは以後も一貫してこの視覚の問題に取り組んだ。
 バザレリの作品が国際的にも注目されるようになるのは60年代初頭であった。それまではドゥニーズ・ルネ画廊の援助を得て視覚芸術探求グループ(GRAV=Groupe de Recherche d'Art Visuel)を結成し、もっぱら白黒の色相構造をもつ作品制作を続けていたが、この時期の作品は豊かな色彩を持ち、またフリッカー光線(ディスプレーのちらつく光)のような色彩、地と図の入れ替え可能な構図、複雑な規則にもとづく色彩とフォルムの配列などによって、立体と見まがう絵画空間を構成する効果をもっていた。いずれもバザレリが長年にわたって積み重ねた研究成果であり、バザレリの試みは同様の効果をもつ絵画を研究・制作していたイギリスのブリジット・ライリーらと並んで、強い視覚的(オプティカル)な効果をもつことから「オプ・アート」と呼ばれるようになった。バザレリの活動で最盛期を代表するのが、65年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された「レスポンシブ・アイ(反応する目)」展であった。同時期のアメリカでは、カウンター・カルチャーの影響によるサイケデリック・デザインが隆盛を迎えており、それは「オプ・アート」への関心とも強く結びついているが、バザレリは53年ごろすでにガラスや鏡の屈折作用を利用した光学的作品をつくっており、必ずしもオプ・アートの流行へ追従したとはいえない。またバザレリは、絵画のみにこだわることなく、壁画、本、タペストリー、建築装飾、映画などさまざまなメディアを通じて錯視効果の実験を精力的に展開した。
 「オプ・アート」が美術ジャーナリズムの中心ではなくなった後もバザレリは錯視効果の研究を続け、67年のモントリオール万博フランス館での展示や68年の「グルノーブル五輪記念碑」でその成果を披露した。動向としてのオプ・アートは短命であったが、その代名詞的存在であるバザレリの名はその後も長らく記憶された。[暮沢剛巳]
『「特集オプ・アートの快感」(『美術手帖』2001年7月号・美術出版社) ▽「眠り/夢/覚醒」(カタログ。2000・川村記念美術館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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