改訂新版 世界大百科事典 「建築装飾」の意味・わかりやすい解説
建築装飾 (けんちくそうしょく)
建築に加えられる装飾。何をもって建築の装飾要素とするかはあいまいであるが,一般には間取り,構造体の実用的機能に関係しない建築表現,すなわち細部のモールディング(刳形(くりがた))や彩色などを意味する。具体的にそれらの現れる部位は,屋根の棟(むね)飾り,軒飾り,腕木や軒組物や軒裏の飾り,柱頭,壁面装飾,手すりや飾格子,天井飾り,把手(とつて)や蝶番(ちようつがい)/(ちようばん)などの飾金物,建具の飾り,窓飾り,モザイクや寄木などの床装飾等々,建築のあらゆる部分に及ぶ。またその形状は,壁紙パターンや彩色文様などの平面的なもの,モールディングのように立体的なものに分類でき,その性質からは塗装や壁紙のように表面を覆うもの,構造体自体を刻んだり削り出したりするもの,ゴシック様式の窓のトレーサリー(狭間(はざま)飾り)のように構造体自体を変形させるもの,あるいは煉瓦積みのパターンのように構造体の組成自体を装飾的に扱うものに分類できる。したがって,建築の様式弁別の指標となる細部意匠の大半は建築装飾であるという考えも成立するわけで,J.ラスキンは〈装飾を行うことは建築の第一の要素である〉と述べる。しかし,装飾要素を建築の付加的・付随的要素と見て,非本質的なものと見なす考え方も存在した。17世紀にイタリアの建築家V.スカモッツィは〈建築は抽象的な数,形態,大きさ,各部の関係を数学と同じ方法で用いる〉と述べ,新古典主義の理論家J.J.ウィンケルマンは〈建築において美はまず比例にある。建物は比例のみによって,装飾なしでも美しくなりうる〉と述べ,建築装飾の存在を否定的にとらえた。20世紀に入ると機能主義的建築理論が力をもち,建築装飾は機能的に説明できるもの以外はあまり用いられなくなった。しかし,建築装飾には象徴的な意味の伝達機能があるという肯定的評価も根強い。
執筆者:鈴木 博之
日本
日本建築のおもな装飾法は,部材に刳形,絵様をつけ,彫刻を付加すること,塗装,彩色や漆塗を施すこと,飾金具を打つことなどである。
刳形,絵様,彫刻
刳形は,建築,家具,器物などの仕上げにおいて,部材を刳ってつくる装飾的な形で,猪目形(いのめがた),葉入り(よういり),洲浜形などがある。絵様は元来,彫像や画像の下図の意味であるが,建築部材の表面に彫られまたは描かれた文様をもいう。古代では構造がそのまま意匠となり,装飾のためだけの部材はほとんどなく,斗栱(ときよう)を雲形につくったり,板蟇股(いたかえるまた)(蟇股)に刳形をつけ,基壇や仏壇の嵌板(はめいた)に格狭間(こうざま)をつける程度であった。平安時代後期には本蟇股が装飾材として組物間に置かれ,やがてその中に唐草などの透彫(すかしぼり)彫刻がつけられ,装飾性を増すようになる。鎌倉時代には,新たに伝来した大仏様(天竺様)や禅宗様の建築において,貫(ぬき)や肘木(ひじき)の木鼻(きばな)に刳形や渦をつけるなどの装飾が行われ,これが従来の和様建築にも取り入れられていく。鎌倉時代末期から室町時代初期は,日本建築の意匠の重点が構造的部分から付加的,装飾的細部へと移行する時期として重要である。すなわち蟇股や木鼻のほかにも手挟(たばさみ),欄間など装飾を主とした部材が多くなり,また虹梁(こうりよう)などの構造材にも絵様をつけるなど,時代とともに細部の意匠に力を注ぐようになる。絵様や彫刻の手法は平面的なものから立体的なものへと発展し,室町時代後期になると,透彫や薄肉の浮彫のほかに高肉の浮彫や丸彫が用いられる。その内容も豊富になり,渦や雲,波の自然物,唐草や牡丹,蓮華などの植物のほか,鳥,魚,竜,獅子,象などが刻まれた。装飾化の傾向は近世に入るとさらに強まり,江戸時代には頭貫(かしらぬき)の木鼻は獅子や象を別木でつくって取り付ける懸鼻(かけはな)とし,尾垂木(おだるき)や繫(つなぎ)虹梁など本来構造材であるものを丸彫の竜として装飾化することも行われた。さらに,柱,梁,桁などの表面に連続幾何学模様を浅く刻む地紋彫を施したり,あらゆる壁面に高肉の浮彫彫刻をつけるものも現れた。こうした建築は日光東照宮をはじめ特に関東地方に例が多い。
彩色,漆塗
寺院建築では伝来当初から丹や朱を主とし,一部に胡粉,黄土,緑青などを用いた塗装が外部に施され,やがて神社建築にも取り入れられた。内部では仏を荘厳(しようごん)するために主として天井回りに極彩色の装飾文様を描いたりした。平安時代後期に流行した阿弥陀堂建築では,平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂のように内部一面に極彩色を施し,漆を塗って螺鈿(らでん)を散りばめ蒔絵を施すなど,堂内を〈極楽浄土〉に仕立て上げた例もある。しかし,中世までは内部の彩色や漆塗は仏を荘厳するためのものとして,仏壇回りや厨子(ずし)だけに施すのが普通であった。中世末から近世にかけて装飾性が増大すると,外部においてもまず組物や扉回りに極彩色や漆塗が施され,やがて全面に広がっていき,内部も全面に彩色,漆塗を施した建築が現れる。江戸時代にはその手法も多様化し,彩色では繧繝(うんげん)彩色でも従来の平(ひら)彩色のほかに文様の線を胡粉で盛り上げて彩色する置上げ彩色や,立体的な彫刻に対しては全体に漆を塗り,金箔を押してから境をぼかして彩色する生(いけ)彩色などが行われた。漆塗も黒漆や朱漆のほかに,素地が見えるように透明の漆を塗る木地蠟塗,磨いて仕上げる呂色(ろいろ)塗など様々な手法が用いられた。彩色の文様は忍冬(にんどう),宝相華(ほうそうげ),牡丹,蓮華など各種の花や唐草の植物文,雲や波の自然文,花菱,輪違(わちがい)などの有職(ゆうそく)文のほかに,鳳凰,天人,迦陵頻伽(かりようびんが)なども描かれている。
飾金具
その種類には垂木や隅木の木口金具,茅負(かやおい)や破風板の金具,扉の八双金具や唄金具,六葉など長押(なげし)の釘隠(くぎかくし),そのほか種々の形のものがある。材質は銅板のものが多い。古くは唐草文などを透彫し,のちには線彫して,表面に鍍金(ときん)または金箔押しをするのが普通である。飾金具は,古くは木材の保護,補強を兼ねて取り付けた場合が多く,装飾のためだけのものは釘隠や仏壇回り,厨子の荘厳用の金具くらいであったが,しだいにその本質を離れ,装飾のためだけに用いられるようになる。
→建築金物 →社寺建築構造
執筆者:浜島 正士
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