デジタル大辞泉 「バスケットボール」の意味・読み・例文・類語
バスケットボール(basketball)
[補説]ゴールと得点
スリーポイントラインの外側からのショットによるゴール | 3点 |
スリーポイントラインの内側からのショットによるゴール | 2点 |
フリースローによるゴール | 1点 |
※スリーポイントラインを踏んで放ったショットは、決まっても2点。
翻訳|basketball
スリーポイントラインの外側からのショットによるゴール | 3点 |
スリーポイントラインの内側からのショットによるゴール | 2点 |
フリースローによるゴール | 1点 |
球技の一種。5人一組の2チームが,〈ボールは手で扱う〉〈ボールを保持したまま無制限に歩いたり走ったりできない〉〈身体接触を極力避ける〉ということを原則とした攻防のもとに,コート両端の頭上に設置してある両者のゴールにボールを投げ入れ合うスポーツ。当初,桃を入れる〈かご〉をゴールに用いたことから,この名称となった。そのため日本でも,かつては〈籠球(ろうきゆう)〉(または〈籃球(らんきゅう)〉)と呼ばれた。初めはbasket ballと2語で表していたが,1921年から今日のようになった。
1891年12月,アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドにある国際YMCAトレーニング・スクールで,体育担当の教師ネイスミスJames Naismith(1861-1939)が,冬季に体育館でプレーする新しいゲームとして,次のような基本的原則を念頭に置いて構想した。(1)ボールを使用する。そのボールは軽くて,両手で持てる程度の大きさとする。(2)ボールを保持したまま位置を変えることを禁止する。(3)ゲーム中は,いつでも両チームのだれもがボールをプレーできる。(4)両チームは,コート内のどこでプレーしてもよい。ただし,〈身体接触〉は禁止する。そして,少年時代に故郷カナダで遊んだ〈岩の上の鴨duck on the rock〉という遊びをヒントに,ついに〈頭上に設置した水平のゴールにショットし合う〉形式のゲームを考案した。全米各地のYMCAは新しい屋内ゲームの誕生を渇望していたので,またたくまにアメリカ国内に伝播し,代表的な屋内ウィンター・スポーツに発展した。しかし,一時は〈sissy game(めめしいゲーム)〉と称されて人気が急落するときがあった。当時もっとも盛んだったのはアメリカン・フットボールで,困難艱苦(かんく)への挑戦とその克服といった勇壮なイメージがアメリカ建国の思想と基本的に合致していたからとされる。ところが,それにひきかえバスケットボールはあくまでも身体接触を排除し,フットボールでは勇猛果敢なプレーもバスケットボールでは粗暴なプレー(反則)として徹底的にルールで規制したので,当時のアメリカの男性たちの目には〈めめしい〉と映ったのであろう。しかし,その後ルールの改廃増補が重ねられ,フットボールに匹敵するポピュラー・スポーツに成長した。一方,女性たちはバスケットボールのことを〈rough game(乱暴で粗野なゲーム)〉と評した。女子スポーツとしては過激で,生理学や心理学の立場からみて,女性には〈有害なスポーツ〉とさえいわれた時期があった。そこで,〈basquette(バスケット)〉と呼ばれる女性向きに作り変えたゲームになり,これが原因でアメリカ女子バスケットボールは,一時期,世界に遅れをとることになる。
発祥の地である国際YMCAトレーニング・スクールには各国から留学生が来ており,彼らが卒業後母国へバスケットボールを伝播する役割を果たした。また,各国のYMCAに派遣された主事が普及に努めたし,第1次世界大戦で渡欧したアメリカ軍が駐留外国軍やヨーロッパ数ヵ国に伝えたこともあって,国際的普及をみた。1932年に国際バスケットボール連盟Fédération Internationale de Basketball Amateur(FIBA)が結成されたときの加盟国数は10であったが,2006年現在は213ヵ国・地域にのぼっている。オリンピックには1936年の第11回ベルリン大会から男子,76年の第21回モントリオール大会から女子の正式種目となった。世界選手権大会も男子が1950年,女子が53年から行われている。また,アメリカでは1898年からプロバスケットボールが発足した。1949年に今日のプロ組織National Basketball Association(NBA)が確立,現在では全米を4地区に分けて29チームが所属し,そのうち21チームが収容観客数1万5000人以上,8チームが2万人以上の体育館をホームコートにしている。1シーズンの観客動員数(1996~97年度)は2030万4629人に及び,1ゲームあたり平均1万7077人が観戦している。まさに,野球(MLB),アメリカン・フットボール(NFL)と並ぶ全米三大プロスポーツの一つになっている。
オリンピックや世界選手権大会へのプロ選手の出場が容認されたことにより各国・地域の協会は名称から〈アマチュアAmateur〉を外し,男女ともプロ化は世界的傾向にある。アメリカではNBAの女子版のWNBA(Women's NBA)とABL(American Basketball League)という二つの女子プロリーグが発足した。
1891年12月21日,史上初のゲームがネイスミスの指導のもとに行われたとき,チームのなかに石川源三郎という日本人留学生がいた。しかし,彼が卒業後日本に紹介した記録はない。1908年,国際YMCAトレーニング・スクールで学んで帰国した大森兵蔵が東京YMCA体育主事となって初めて本格的に伝えた。ところが,彼は13年にアメリカで客死したので,発展の端緒を開くまでには至らなかった。しかし彼の死後まもなく宮田守衛(1911年国際YMCAトレーニング・スクールで学んで帰国)が神戸YMCAで,また佐藤金一(1909年ウィスコンシン大学で学んで帰国)も京都YMCAで紹介普及を手がけ,ようやく人々に知られるようになった。1913年ブラウンFranklin Hartwell Brown(1882-1973)が北米YMCA同盟からの協力主事として来日し,関西の京都,大阪,神戸のYMCAで指導したのが契機となって,本格的に普及し定着した。日本のバスケットボールが初めて国際大会に登場したのは,1917年に東京芝浦で行われた第3回極東選手権大会で,中国,フィリピンと対戦したときである。このときは,佐藤金一をキャプテンとする京都YMCAが代表チームとなり,戦績は振るわなかったものの,これが日本における本格的な発展のきっかけとなった。30年に大日本バスケットボール協会が結成され,36年には,バスケットボールを正式種目とした初のオリンピック・ベルリン大会に参加した。第2次大戦後,45年に全国統轄組織として日本バスケットボール協会が復活し,50年に国際バスケットボール連盟に復帰した。同年,ハワイから日系2世チームが来日,ドリブル技術などを紹介したが,これが刺激剤となって技術的に大きく向上した。男子は56年のオリンピック・メルボルン大会と64年の東京大会の10位が最高であり,女子は75年の世界選手権大会で2位となった。しかし,1965年からミニ・バスケットボール(小学生)が始まり,71年から全国中学校大会も行われ始め,長期的展望に立って競技力向上が図られている。また,クラブチーム大会,家庭婦人大会,車いす大会(身体障害者バスケットボール)などが近年次々と誕生し,多様な発展傾向をみせている。
コート,用具は図1のとおり。コートは障害物のない長方形の平面とし,国内大会の場合,縦24~28m,横13~15m。天井の高さは少なくとも7mが必要。バックボードは厚さ3cmの堅い木材か木材と同じ強さの透明な材料で作る。バスケットは内径45cmのオレンジ色の鉄製リングに長さ40cmの白いひも製のネットをとりつける。ボールはゴム袋を皮革,合成物質あるいはゴムで覆ったもので,一般用(男子)は周囲75~78cm,重さ600~650g(女子および中学校では周囲72~74cm,重さ500~540g)。ゲームは,センターサークルで両チーム1人ずつのプレーヤーの間に主審がボールを投げ上げて(トスアップ,第2クォーター以降と延長の場合も同じ)開始される。競技時間は通常10分のクォーター(ピリオドともいう)を4回行う(中学生は8分)。第1と第2,および第3と第4の各クォーターの間に2分間のインターバル,第2と第3のクォーターの間に10分間のハーフタイムを置く。得点はショット成功2点(ただし,スリー・ポイント・ラインの外側から成功した場合は3点),フリースロー成功1点。第4クォーターまでの合計得点により勝敗を決する。同点のときは必要な回数だけ1回5分(中学生は3分)の延長戦を行う。ショットとフリースローが成功したときは,特別な場合を除き,得点されたチームのエンドラインの外からのスローインによりゲームを再開する。また審判の判定等によって中断したときは,特別な場合を除き,その判定の対象となったプレーが起こった場所にもっとも近いラインの外からのスローインによって再開する。
規則に対する違反には表のようにバイオレーションとファウルがある。ファウル後は図2のような方法によりボールはインプレーにされ,ゲームが再開される。プレーヤーが5回ファウルを犯すと,それ以後そのゲームに加わることはできない。
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…スプリングフィールド銃が製造された合衆国最古の兵器廠(1794設立)があり,この中に銃器博物館がある。バスケットボール発祥の地であり,スプリングフィールド大学内にはバスケットボールの殿堂が設けられている。アメリカン・インターナショナル大学,ウェスタン・ニューイングランド大学など大学の数も多い。…
…イギリスを中心にその関係諸地域に普及している競技のほか,日本の小学校では別種のゲームがネットボールの名で行われている。前者はバスケットボールの一つの変型として1900年前後にアメリカからイギリスに伝えられ,主として女子学生のスポーツとして発展した。コートは幅50フィート(15.24m),長さ100フィート(30.48m)で,長辺を3等分したエリアに分けられる。…
※「バスケットボール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...